第9章 はじめに言葉ありき、しかして音楽ありき
この章では、言葉と音楽をめぐる問題をオペラと楽劇の歴史を通して検討する。
第1節ではオペラ以前の歴史を宗教改革との関連から記述し、第2節ではオペラの問題をその形成とともに述べ、第3節では音楽と言葉へのまなざしの変化を情動理論の変化とともに探り、第4節ではオペラと楽劇の相違点を指摘する。
第1節 言葉と音楽の問題
これまでの章では、言葉を伴わない音楽を扱ってきた。というのも、それが音楽の哲学から見て、とくに情動に関してさまざまな問いを引き起こすからである。けれども、何度か指摘したように、そういった言葉を持たない音楽は、音楽のなかで中心的な位置を占めてきたわけではない。むしろ、言葉を伴う音楽の方が、歴史的にも、そして現在においても、音楽のなかで存在感を示してきたし、いまなお示し続けている。ゆえに、音楽哲学においても、言葉を伴う音楽を等閑視するわけにはいかないし、実際、それは際立ったかたちでわたしたちに問いを投げかけてくるのである。(p.160, par.1, 2)
けれども、それだけ時空間的に広範囲に存在している言葉を伴う音楽を、やみくもに問うてゆくわけにはいかない。わたしたちは問いの範囲を限定しなければ途方にくれてしまうだろう。そのため、現代的な哲学において問われる、主に西洋音楽史における言葉と音楽をめぐる問いに限定することにして、この章、そして続く章でも問いを問うてゆくこととする。
第1 音楽的劇と対抗宗教改革
この問いの出発点となる次のふたつの出来事、すなわち、〈音楽的劇〉(musical drama)*1より一般的な言葉に言い換えるなら〈オペラ〉(opera)の発明、そして〈対抗宗教改革〉(Counter-Reformation)をこれから扱う。これらは16世紀後半、ルネサンスの終末と〈近代〉(modern era)のはじまりの出来事である。(par.3)
〈対抗宗教改革〉とは、プロテスタントによる宗教改革への対抗としての、あるいはそれ以前から継続していた一連のカトリック教会内における改革運動のことである。(p.161, par.1)
その改革は1554年から1563年にかけて行われた〈トリエント公会議〉(Council of Trent, (羅)Concilium Tridentinum)において極まった。ここでは、カトリックの儀式、哲学、神学などさまざまなものがあらためて確認、そして刷新された。そのなかでも、音楽についての論争に注目しよう。
そこで問題となっていたのは教会音楽における歌詞の理解であった。ある者たちは、あまりに複雑化した音楽のせいで、肝心の歌詞が聴き取れず、理解できなくなっていることを指摘した。(par.2)
その非難の正否を検討する前に、そうした非難の的になった当時の音楽がどのようなものであったのだろうか、これを確認しよう。
第2 ポリフォニー
中世から16世紀中期・後期ルネサンスにかけて、典礼音楽は複雑化し、〈ポリフォニック〉(polyphonic)なものになっていた。ポリフォニックとは何か、すこし説明を加えよう。(par.3)
ポリフォニックな音楽、すなわち〈ポリフォニー〉(polyphony)には広義の意味と狭義の意味とがある。
広義のポリフォニーとは、メロディーとその以外の音が同時に鳴っている音楽のことである(any music where there are more tones sounded simultaneously than simply those of the melody)。例えば、メロディーとその他にシンプルな和音のみを伴う民謡なども広義のポリフォニーである。(p.162, par.1)
そして、狭義のポリフォニーとは、2つかそれ以上のメロディーが同時に演奏される音楽のことである(music consisting of two, three, four, or even more separate melodies, sung or played (or both) simultaneously)。かつまた各々のメロディーは美しく、互いに調和的でなければならない。(par.2)
そして中世の終わり頃からカトリックの教会音楽は、狭義のポリフォニーであった。そして、各声部がそれぞれの歌詞を歌い、その内容を聴き取ることは難しかった。宗教的な意味は音楽の喜びのために消し去られてしまっていた(The religious message was being obliteratedh in the interest of musical pleasure.)。ゆえにトリエント公会議では、音楽そのものの楽しみとと言葉の理解可能性との折り合いをいかにつけるかが争われた。(par.3)
ひとつの案として、ポリフォニー音楽を完全に廃止し、グレゴリオ聖歌のような単旋律(monodic)音楽に回帰することが提案された。(p.163, par.1)
しかし、一時は真剣に検討されたこの案は、音楽の愛好者によって差し止められ、替わりに、作曲者たちに、ポリフォニー音楽を簡素化すること、通常の発話のリズムやペースにより一致させることを命じるかたちで決着がついた(The composers were directed to simplify their polyphony, and be more faithful to the rythm and pace of ordinary speech.)。(par.2)
こうした解決法は、教会とは別に、第2章で触れたカメラータ(camerata)が希求した解決法にも通ずる点がある。というのも、彼らも、音楽に歌詞を加えつつ、いかにしてその歌詞を聞き取れるものにするかという問題に取り組んでいたからだ。(par.3)
ここで、カメラータについて触れよう。
彼らもまた、カトリック教会とは別の観点からポリフォニー音楽を批判していた。というのも、彼らはギリシア音楽が聴衆に深い情動的な衝撃を与え得たと信じており、それは、ポリフォニー音楽のように異なるメロディを混濁(garble)させてしまう方法ではなく、ひとりの歌手が、和声的な伴奏とともに単旋律を理解可能な情動の〈メッセージ〉(message)として演奏することで実現されうると考えた(a lone singer, a single melody, a completely intelligible emotive 'message')。(par.4)
こうした考えから彼らは後のオペラにつながる最初の音楽劇〈音楽のための劇〉(drama per musica)を創り出した。(p.164, par.1)
第2節 オペラの問題
さて、第2節ではオペラについて、特にそれが孕む問題について考えよう。
オペラには、音楽とテキストの関係における問題が潜んでいる。(par.2, p.165, par.1, 2)
音楽は、オペラ内の曲でも同様に、〈循環的〉(cyclic)な形式を持つ。しかし、ナラティヴフィクションは〈直線的〉(linear)な形式持つ。もちろん、ナラティヴフィクションも回想(flashback)を行なったり、物語の途中から開始されることもある。しかし、本筋はゴールへと向かう一方通行の形式をしている。こうした流れる方向の違いが〈オペラの問題〉(problem of opera)を生むのだ。どういうことか。もうすこし議論を見てゆこう。(p.165, par.3, 4, 5)
オペラ・セリア
17世紀のはじめ、最初期のオペラは〈音による会話〉(conversations in tones)、あるいは〈舞台様式〉(stile rappresentativo)によって構成されていた。当時のオペラは言葉を主とし、音楽を従とするもので、短い歌や合唱、器楽、が含まれていたものの、それらは周縁的なものに過ぎなかった。(p.166, par.1)
そうした状況下で、さきほど軽く触れた、音楽の循環性とドラマの直線性というオペラの問題を調停するために様々な提案がなされてきた。その中で特に満足できうる解決を図ったものを2つ検討しよう。(par.2)
1 オペラ小史
それをオペラの歴史を辿りながらその解決策を検討する。
舞台様式を含むような最初のオペラは17世紀のはじめに現れた。その最初の実践者は著名なイタリアの作曲家モンテヴェルディ(Claudio Monteverdi 1567-1643)であった。彼の著名な作品《オルフェオ》(orfeo)は偉大ではあるが、しかし、オペラの問題を解決するにはいたっていない。やはり〈音楽的会話〉(musical speech)に止まるものだった。つまり十分に音楽的な循環的形式とドラマの直線的形式とが統合されているわけではなかった。(par.3)
その後また、別の発展が18世紀の最初の30年間でなされた。
英国で活躍したドイツの作曲家ヘンデル(Georg Frideric Handel 1685-1759)は〈オペラ・セリア〉(opera seria)という形式のオペラを創り上げ、音楽と劇との調停を図った。(p.167, par.1)
オペラ・セリアは〈番号オペラ〉(number opera)でもあった。これはひとりの歌手にオーケストラが伴う〈アリア〉(aria)という音楽的な部分と、およびその他の部分ほとんど通常の発話に近い〈セッコ・レチタティーヴォ(乾いた叙唱)〉(secco recitativo)とにはっきりと分かれており、初めから順に番号のついているオペラの形式である。
セッコ・レチタティーヴォは、聴衆に何が起こっているのかを説明したり、登場人物のモノローグやダイアローグが展開される際に用いられる。他方アリアは、劇中の出来事に対して登場人物が自分の情動を表現する際に用いられるものである。セッコ・レチタティーヴォが直線的に物語を語るのとは対照的に、アリアはA-B-Aという音楽の反復のパターンを持っていた。こうして、オペラにおける劇と音楽の調停が、演劇的なセッコ・レチタティーヴォと、音楽的なアリアの結合によって図られたのだ。(par.2)
2 ダ・カーポアリア
しかし、これはオペラの問題の完璧な解決とは言えない。なぜならアリアにおいて、次の問題が生まれているからだ。(p.168, par.1)
オペラセリアに含まれるアリアの多くは〈ダ・カーポアリア〉(da capo aria)として知られている。これは、さきほどA-B-Aの形式として触れたように、楽譜において、ひとつめのセクションAが演奏され、次にふたつめのセクションBに移った後、Bの最後にダ・カーポ(はじめから)の指示が記載されており、ふたたびAを演奏して終わる、という形式である。たとえば、ある女性の登場人物が愛を歌い、そして嫉妬を歌い、最後にふたたび愛を歌う。(par.2)
ダ・カーポアリアはその循環的な形式ゆえ音楽的には優れている。とはいえ、ドラマ的リアリズムからは疑問の余地がある。というのも、普通わたしたちは感情をA-B-Aの形式で表現するわけではない。つまり繰り返して表現することはない。言ってみれば、ダ・カーポアリアは情動をくよくよと悩んでいるが、実生活の感情は抑えることなしに突き進んでゆく(The da capo aria dwells on emotions; in life emotions rush on unchecked.)。これが実情である。とキヴィは述べる。(p.169, par.1)
第3節 情動理論の変化
けれども実のところ、当時、ヘンデルのオペラセリアという形式に以上のような批判が向けられることはなかった。というのも、18世紀前半のダ・カーポアリアは当時の哲学的な情動理論と整合的であったし、当時のオペラにおいて一般的であったキャラクター(character)とも合致していたのだ。
その訳を詳述しよう。
当時の情動理論は第2章でも触れたように、1649年に出版されたデカルトの『情念論』によって打ち出された理論が一般的であった。情動は静的なもので、数も限られており、ちょうどダ・カーポアリアで表現される情動と合致していた。
それに加えて、当時のオペラにおけるキャラクターは類型化され、強迫的に情動に取り憑かれ、反復的にその情動を表現する存在だった。(par.2)
ゆえに、ダ・カーポアリアの形式は時の状況にうまく適合していたのだ。
けれども、18世紀後半、情動理論の変化が音楽の嗜好の変化とともに起こった。(par.3)
まず、イギリスで新たな情動理論が生まれた。それは〈観念連合主義〉(associationism)と呼ばれるものである。これは、ひとが思いつくすべての観念は、それ以前の観念との〈連合〉(association)によって生まれるとするものである。よって、観念連合主義者は、情動が生得的(innate)なものであるというよりは、獲得された(acquired)ものだと考える。そしてデカルト的な情動説とは異なり、情動は曖昧で、個人的で、移ろいやすいものだと考えた。(p.170, par.1, 2, 3-p.171, par.1, 2, 3)
ソナタ形式
デカルト的な情動説を採用する者からすれば、ダ・カーポアリアは現実に即したものだったが、観念連合主義者はダ・カーポアリアを現実にそぐわないものとみなす。
デカルト的情動主義者においては、ダ・カーポアリアのA-B-Aというそれぞれの部分は、それぞれの情動を表し、ひとつずつで完結していること、そしてそれゆえに、繰り返しの部分が存在しても、それらが互いに閉じているがために、不自然ではないと考えられていたのだった。他方、徐々に存在感を増していった観念連合主義者にとってはこうした情動の表現の形式は不合理なものに思えた。(par.4, p.172, par.1)
それでは、この新しい情動説に適合するような音楽の形式はいったいいかなるものだろうか?
それは、観念連合説と時を同じくして現れた〈ソナタ形式〉(sonata form)である、とキヴィは述べる。(par.2)
ソナタ形式は、18世紀後期から19世紀にかけて、すべてではないにせよ多くの器楽曲に採用された楽曲形式である。ダ・カーポアリアはひとつのセクションにひとつのテーマ(monothematic)しか持っていなかった、すなわち〈単-情動的〉(mono-emotive)であった。しかしソナタ形式はこれとはおおきく異なる。その詳細をみてゆこう。(par.3)
以前触れたように*2、ソナタ形式には3つのセクションがあった。ひとつはその楽章のテーマを提示する〈提示部〉(exposition)、次に、そのテーマが変奏される〈展開部〉(development)。最後に〈再現部〉(recapitulation)でははじめのテーマが調を変えてふたたび現れ、そして曲が閉じる。(p.173, par.1)
このソナタ形式の構造とダ・カーポアリアの構造とは、おおきく言えばA-B-Aという同一の構造である。しかし、両者には大きな違いがある、とキヴィは指摘する。(par.2)
ソナタ形式はダ・カーポアリアとは異なり、さまざまなテーマを用いる。まず提示部では3つ以上のテーマが提示され、展開部では、ちょうど観念連合主義者の描く情動のように、テーマが変奏されることで、提示された情動が変化してゆくのだ。(par.3)
こうした観念連合主義者とソナタ形式の同時代的な出現がオペラを新たな方向へ導いた。(par.4)
けれども、依然としてオペラには問題があった。オペラにおいて物語の進展はセッコ・レチタティーヴォによって担われ、ダ・カーポアリアが挿入されると物語の進展は止まってしまう。すなわち、動きのあるところには音楽がなく、音楽があるところに動きがない(The paradox is that where there is action there is no music, and where there is music there is no action.)という問題があった。(p.174, par.1)
これに対して、モーツァルト(Wolfgang Amadeus Morzart 1756-1791)は今日〈ドラマティックアンサンブル〉(dramatic ensemble)として知られる技法を用いた。(par.2, 3)
モーツァルトの喜歌劇(comic opera)においては、セッコ・レチタティーヴォによって音楽の流れが中断されることなく、音楽的な対話(musical dialogue)によってプロットが進行してゆく。(par.4)
この代表例は1786年初演《フィガロの結婚》(Le Nozze di Figaro)の第4幕第2場にみられる。ここでは総勢8名の登場人物を伴って939小節にわたる切れ目ない音楽が披露される。この音楽は厳密な意味ではソナタ形式ではないが、アメリカのピアニストで音楽学者のローゼン(Charls Rosen 1927-2012)が〈ソナタの原理〉(sonata principle)と呼んだ形式がみられる。(par.5)
第4節 オペラと楽劇
さて、以上オペラの問題について検討してきたが、ここからさらにオペラという形式そのものの問題について扱う。
そこでキヴィは〈オペラ〉(opera)と〈楽劇〉(music drama)の区分を導入する。(p.175, par.2)
オペラという語でキヴィが意味するのは、音楽の循環的な形式を保ちつつも、ある程度許容できるような劇的な、特に情動的な点での真実味を保とうとするような演劇的な作品のことである(By 'opera' I shall mean those kinds of musical theater in which an attempt is made to preserve the closed musical forms and still maintain some acceptable degree of dramatic and (especially) emotive verisimilitude: dramatic and emotive 'realism.')。(par.3)
オペラにはある〈不条理〉(absurdities)があると指摘する者もいる。それは、そもそも、全ての出来事は、歌う暇もなければ、歌うことが不可能であるはずなのに、ダ・カーポアリアやセッコ・レチタティーヴォによってプロットが動機付けられているという点である(all of the events that there is no time to sing, or can't be sung, that motivate the plot)。(p.176, par.1)
第1 ジングシュピール
この不条理に作曲家はふたつの方法で対応した。ひとつは、オペラ的な形式を修繕してこの問題の解決を図る方法、もうひとつは、そもそも、〈オペラの問題〉(problem of opera)を拒否する方法である。前者の方法は、〈ジングシュピール〉(Singspiel)と呼ばれるもので、おおすじではダ・カーポアリアとの違いはないものの、登場人物の対話の場面においては〈レチタティーヴォ(叙唱)〉(recitativo)を用いるのではなく、ストレートに言葉を用いたものである。(par.2)
この形式はギルバート(William Schwenck Gilbert 1836-1911)とサリヴァン(Arthur Seymour Sullivan 1842-1900)コンビによる〈オペレッタ(喜歌劇)〉(operetta)に、また、ベートーヴェンの『フィデリオ』といったシリアスなオペラにも採用された。(par.3)
けれども、この方法も、問題含みである。セッコ・レチタティーヴォ及びダ・カーポアリアの両者によって構成される、延々と歌い続けるオペラの形式と、ジングシュピールのような時に歌い、時に歌わない形式のどちらがより不条理でないか、という考え方こそが疑問である。(par.4)
第2 メロドラマと伴奏付レチタティーヴォ
次に、〈オペラの問題〉(problem of opera)そのものを拒否する方法について取り上げる。
これについて、キヴィはさきほど取り上げた〈楽劇〉(music drama)が採用したふたつの実験(experiment)を検討してゆく。
ひとつは、〈メロドラマ〉(melodrama)という形式の発明である。オペラの問題が登場人物の語りや歌唱の混合であるなら、そもそも歌唱を取りやめ、語りのみにし、かつ、キャラクターの発話を補強するような音楽を伴わせようとしたものである。これは音楽そのものの魅力を減退させてしまったが、オペラセリアを補強する形で採用された。また、バックグラウンドミュージックという点から、現代の映画音楽にも通じていると言える。(p.177, par.1, 2)
ふたつ目の実験はドイツの作曲グルック(Christoph Willibald (von) Gluck 1714-1787)によって行われた。彼はイタリアのオペラセリア(opera seria)を〈改革〉(reform)したと言われる。(par.3)
その改革の代表例は《オルフェオとエウリディーチェ》(Oefeo ed Euridice)(1762年初演)であると言われるが、もっとも良い例は《アウリスのイフィゲニア》(Iphigénie en Aulide)《タウリスのイフィゲニア》(Iphigénie en Tauride)にみられる。これらふたつの作品は、形式的にはメロドラマの手法を用いているが、その内容は革命的であったと言える。(par.4, p.178, par.1)
グルックの改革のひとつはセッコ・レチタティーヴォ(secco recitative)を排除したことである。チェンバロを伴い、早口の〈音楽的な発話〉(tone-talk)であるセッコ・レチタティーヴォをグルックは、〈伴奏付レチタティーヴォ〉(accompanied recitative)へと置換することでオペラの改革を行った。これは、セッコ・レチタティーヴォとアリアとの間にあると言えるもので、セッコ・レチタティーヴォよりはずっと複雑で洗練されたオーケストラによる伴奏を従え、しかし語りの要素を含むようなものであった。(par.2)
この改革には3つの利点がある。
まず、この改革はオーケストラ伴奏によるアリアと、チェンバロを伴うセッコ・レチタティーヴォとの不連続性を解消した。伴奏付レチタティーヴォの採用によってオーケストラは切れ目なく奏され、いわば〈ギリシャのコーラス〉(Greek chorus)のように、劇的な出来事の〈コメンテーター〉(comentater)になったと言える。(par.3)
ふたつに、チェンバロからオーケストラに伴奏を変更したことによって、より劇的な、情動的な点を強調できるようになった。(p.179, par.1)
最後に、伴奏付レチタティーヴォは音楽そのものの価値を楽劇に付加できるようになった。(par.2)
また、グルックのふたつ目の改革として、彼はダ・カーポアリアの長さを一般的な歌の長さに切り詰め、劇の進行速度を落とさずに済むようにした。これにより、グルックの最後の作品は、ほとんど人間が話すペースと同じものになった。(par.3)
以上の点から、グルックのふたつのイフィゲニアは〈通作歌曲形式〉(through-composed)の楽劇と呼ばれる。というのも、外的・内的な繰り返しがなく、詩に伴って音楽が途切れなく展開して行くためにこう呼ばれた。さらには、音楽の切れ目としての解決も引き伸ばされている。こうした形式のもっとも際立った使い手は偉大なドイツの作曲家ワーグナー(Richard Wagner 1813-1883)である。(par.4)
第3 ワーグナー
彼の作品のなかにまったく繰り返しがないといえば誇張になる。しかし、彼はアリアやそのほかの繰り返しのある形式を完全に排除していることは確かである。その代わりに、彼は〈ライトモティーフ〉(Leitmotiv)を導入している。これは、特定のキャラクターや観念、プロットの中の出来事と結びついているフレーズやメロディーの断片のことである。このライトモティーフは変化しながら繰り返され、楽劇の各場面を結びつけ劇的な効果を生み出している。(p.180, par.1)
ワーグナーによる音楽と言葉、そして視覚的な芸術の統合の欲望は、おそらくは、それらのあいだの断絶によるものだろう、とキヴィは述べる。この章ではオペラを通して言葉と音楽のあいだの断絶や調停を概観してきたが、さらに次の章でその断絶を詳しく見てゆこう。(par.2, p.181, par.1, 2)