Lichtung

難波優輝|美学と批評|Twitter: @deinotaton|批評:lichtung.hateblo.jp

ピーター・キヴィ『音楽哲学入門』 読書ノート 第2章 すこし歴史の話を

はじめに

音楽の哲学についてなぜわたしたちは語りたがるのか、と問うてみると〈なぜならわたしたちは音楽が好きだから〉という存外単純な答えを得られるかもしれない。

音楽には汲み尽くし得ない謎が秘められていて、それを解明しようとすればするほどに、謎はいっそう深く輝きを放つ、というイメージを音楽哲学者は抱いているのかもしれない(し抱いてなどいないかもしれない)。ページをめくりながら、そんなことを考えた。それはさておいて、今回もピーター・キヴィの『音楽哲学入門』に取り組んでいこう。(この青い表紙、見慣れてきました)

注記 訳語の訂正について 'disposition'

5月23日。訳語についてご指摘をいただきました。'disposition'→〈性質〉としていたものを'disposition'→〈傾向性〉と訂正しました。

じぶんなりに見直すと、'disposition'が用いられるのは、すくなくともこの2章では、ある存在者と人間との関係について述べられる場合に限っているように思われます。必ずある関係のもとであらわれる何かを指しています。

たとえば、またたびがそれ自体としてもっている構造は、それが猫に対する場合と人間に対する場合とでは、異なる傾向性をもってあらわれます。またたびの化学的な構造はどの場合においても不変ですが、それが猫と人間という異なる存在者に関係する場合、それぞれの傾向性があらわれているとみなすことができると考えられます。

こうした関係性における、不変な構造の表れの違いをはっきりさせるために、'disposition'〈傾向性〉という表現が用いられている、と考えています。

6月3日。Susanne K. Langerの読みはレンガーではなくランガーだと教えていただきました。ありがとうございます。

第1章→ピーター・キヴィ『音楽哲学入門』 読書ノート 第1章 …の哲学 - Lichtung

第3章→ピーター・キヴィ『音楽哲学入門』読書ノート 第3章 音楽における情動 - Lichtung

第4章→ピーター・キヴィ『音楽哲学入門』 読書ノート 第4章 もうすこし歴史の話を - Lichtung

第5章→ピーター・キヴィ『音楽哲学入門』 読書ノート 第5章 形式主義 - Lichtung

第6章→ピーター・キヴィ『音楽哲学入門』 読書ノート 第6章 強化された形式主義 - Lichtung

Introduction to a Philosophy of Music

第2章 すこし歴史の話を A Little History

この章では音楽と情動の関係についての歴史が粗描される。
古代ギリシア期、プラトンアリストテレスが提起した説からはじまり、飛んで16世紀後半、後期ルネサンスの音楽サークル「カメラータ」の提起した説、そして17世紀中頃のルネ・デカルトの情念論、19世紀初頭および中期には、アルトゥール・ショーペンハウアーエドゥアルト・ハンスリックの音楽論、そして、20世紀に現代の音楽哲学につながるランガーの同型的という概念。これら大きく6つのトピックが取り上げられる。

1.古代ギリシア期ープラトンアリストテレス

まずは、第一パラグラフをみてみよう。

The oldest and the most continuously reiterated precept in the philosophy of music ......is that there is a special connection between music and the human emotions, beyond the connection there might be supposed between emotions and any other of the fine arts.

音楽の哲学において、もっともふるく、そして何度も繰り返し言及されてきた考えとは……人間の情動と音楽のあいだには、ほかの芸術と人間の情動とのあいだに想定されているような関係を越えている、ある特別な関係があるというものだ。p.14

こうした考えの原型をわたしたちはプラトン(Πλάτων - Plato, 427-347 BC)の『国家』第3巻に見ることができる、とキヴィは言う。

In other words, Plato can be taken, and was, by many, to have claimed that, in general, melodies have the power to arouse emotions in listeners by imitating or representing the manner in which people express them in their speech and exclamations.

つまり、プラトンは、一般に、旋律はひとびとが発話・叫びや感嘆の声によって情動を表現する様態を、模倣しあるいは表象することで、聴き手に情動を惹き起こす力をもっているのだと主張したと考えられているし、実際そう解釈された。p.16

すなわち、プラトンは、旋律が人間の情動の表現を模倣していると考えた(人間の情動そのものを表現しているわけではないことに注意しよう)。

 時代はくだり、アリストテレス(Ἀριστοτέλης - Aristotle, 384-322 BC)は、音楽は人間の情動の物理的な表現を模倣したものではなく、人間の情動そのものである、と主張した。この主張ははっきりとは理解されていない、とキヴィは述べる。また、この章の後に取り上げる、レンガーによる音楽の同型的なものの概念と関連している可能性がある、と示唆されている。

また、キヴィによるプラトンの引用に関する詳細は次を参照のこと→ピーター・キヴィ『音楽哲学入門』第2章補足 プラトン『国家』第3巻第399α-399β節に関するコメント - Lichtung

2.後期ルネサンスーカメラータ〈惹起説〉〈傾向性説〉〈共感説〉

16世紀の終わり、フィレンツェで、カメラータcamerata)と名づけられた音楽サークルが生まれた。カメラータは、当時の著名な詩人や作曲家、理論家といった文人たちのサークルで、ギリシア悲劇の再興を意図し、のちにわたしたちが「オペラ」として知るものの素地を作った。
彼らは、「音楽が人間の情動を惹き起こす力をもっているのは、それがさまざまな情動を表現する際の人間の話し声を旋律によって表象するからだ」と考えた。この考えは上にみたようにプラトンの理論に基づいていることが分かる。

ここで、キヴィは、カメラータの説を整理するためにいくつかの術語を定義する。ひとつひとつ見てゆこう。

まず、'expressive'〈表現的〉という言葉について
◾️表現的→「ある作品Wが、ある感情Xを聴き手に惹き起こす力をもっているとき、その作品Wは感情Xについて表現的である」といわれる(It was expressive of sadness in virtue of arousing sadness in listners.)。
そしてこのような考えに基づく理論を音楽表現における 'arousal' theory〈惹起説〉と呼ぶ。
また、そうした理論を 'dispositional' theory〈傾向性〉とよぶ。なぜなら、そうした理論は、「音楽は聴き手に情動を惹き起こすような情動的要素を〈傾向性〉として持っている」と考えるからだ。
最後に、カメラータの説は、どのようプロセスで音楽が聴き手に情動を惹き起こすかについて、'sympathy' theory〈共感説〉を唱えたと考えられる。共感説において、「音楽は、人間の情動表現を模倣する。聴き手はその音楽がなにを模倣しているかを同定することで、模倣されている情動そのものを感じる」というプロセスが説明される。

もう一度整理すると、カメラータは、音楽そのものに着目した場合、音楽がある〈傾向性〉をもっているという、〈傾向性〉を唱えた一方、他方で、音楽と聴き手のあいだで起こる情動〈惹起〉のプロセスを〈共感説〉というかたちで定式化した。
キヴィはここで注意を促す。これらふたつの分析は異なる問いを問うものだ、と。
言い換えれば、傾向性説と共感説がそれぞれ扱う問題の違いは、以下のふたつの問いとなってあらわれる。

・傾向性説と共感説が扱う問い

  • 傾向性説→音楽が人間にある情動を惹き起こすのは、音楽に属するいかなる傾向性によってであるのか?
  • 共感説→音楽が人間に情動を惹き起こす、そのプロセスはいかなるものか?

以後、このふたつの問題をめぐる歴史が語られていくため、重ねて注意を促しておきたい。

3.17世紀中期ーデカルトの情念論

前節でみた二つの問題(傾向性とプロセス)は、同等の扱いを受けてきたわけではなかった。カメラータたちによる問題提起の後、数十年に渡り、音楽の〈傾向性〉については注意が払われてきたものの、音楽が情動を惹き起こす「プロセス」について十分な議論があったわけではなかった

そんななか、17世紀中期、正確には、1649年、ルネ・デカルト(René Descartes, 1596-1650)による『情念論』(Les passions de l'ame)が出版され、状況は変わった。
彼は、人間の情動の発生メカニズムを「動物精気(英:vital spirit 仏:esprits animaux)」によって説明する。これは、液体の媒体で、みずから形を変えることにより、基本的な情動を惹き起こすとされる。例えば、危険を知覚した際、神経系において、動物精気は恐怖を惹き起こすように形を変え、身体を駆け巡り、実際に恐怖を惹き起こす、とされる。
こうした「生理学的理論」は、当時の音楽家たちに、音楽が情動を惹き起こすプロセスのすぐれた説明として受け入れられた。デカルトの理論に深くコミットする立場はドイツで'Affektenlehre'として存在感をもった。

 4.19世紀初頭ーひとつめの革命、ショーペンハウアー

音楽のプロセスについての研究の進展は、カメラータたちやデカルト以後、実に200年の時を待たなければならなかった。
最初の革命は1819年、アルトゥール・ショーペンハウアー(Arthur Schopenhauer, 1788-1860)の『意志と表象としての世界Die Welt als Wille und Vorstellung)』の出版によって始まった、とキヴィは言う。
ショーペンハウアーによれば、音楽は、あらゆる存在の根源となっている意志を、他のあらゆる芸術が成しうるよりも本質的に表象しうるがゆえに、芸術のなかでもっともすぐれたものである。細かな説明はされえないが、このショーペンハウアーの宣言によって、音楽の哲学における、三つの画期がなされたと言われる。
ひとつは、彼の結論が、18世紀において音楽が置かれていた低い地位を引き上げ、むしろ、音楽は芸術のなかでもっともすぐれたものだという考えを生んだこと。
ふたつには、音楽が意志を表象しているという結論から、音楽における表現性聴き手において生まれるのではなく、そもそも音楽のうちにあるということが確認された。キヴィはこれを"The emotions music is expressive of were moved, at a stroke, from the listener, and into the music"「音楽が表現している情動が、聴き手から、音楽そのものへと一挙に移動した」(p.21)と表現する。
最後に、彼は、音楽はじしんの表象の力によって情動を表現しうる(music is expressive of the emotions in virtue of its representational power)のであり、それによってなにがしかの情動が模倣されている(whatever emotion or emotions it represented)ために、情動を表現するのではないということを示した。ややこしくなってしまったので、まとめよう。

・意志-表象-音楽-情動/情動の表象-模倣-音楽-情動

  • 意志を表象する→音楽→情動を惹き起こす
  • 情動の表象(叫び、嘆きの声やしぐさ)を模倣する→音楽→情動を惹き起こす

5.19世紀中期ーふたつめの革命、ハンスリック

19世紀に起こった、音楽哲学におけるふたつめの革命は、1854年、エドゥアルト・ハンスリック(Eduard Hanslick, 1825-1904)『音楽美論(英:On the Musically Beatiful 独:Vom Musikalisch-Schönen)』の出版によって起こった。
キヴィは彼の議論を次のようにまとめる。

Music, as an art, cannot either arouse or represent the garden-variety emotions. Therefore, it cannot be the sole or primary purpose of music, as an art, either to arouse or to represent the garden-variety emotions.

音楽は、芸術のひとつとして、月並みな情動を惹き起こしたり、あるいは表象したりはしない。それゆえに、音楽の芸術としての唯一の、あるいは主要な目的は、月並みな情動を惹き起こしたり、あるいは表象することではありえない。p.22

ここで、'garden-variety emotions'とは、キヴィによる用語法で、よろこび、ゆううつ、怒り、おそれ、愛といった、ありふれていて、月並みで、基本的な人間の情動のことである(p.18)。
ハンスリックは、彼以前に流通していた「音楽は月並みな感情を惹き起こしたり、表象することを目的とする」という考えを完全に否定した。同時に、彼は「音楽は〈芸術としては〉月並みな情動をいっさい惹き起こしたり、表象しない」と断言した。付け加えれば、〈芸術としてではなければ〉音楽も月並みな情動を惹き起こしたり、表象したりしうる。これはつまりこういうことである。わたしたちが音楽が月並みな情動を惹き起こすと勘違いしているのは、ある情動にあるわたしたちがたまたまある音楽を聴いたときに、じぶんの情動と音楽とを関係付けてしまっていることによるものなのである。
ここで、注意しておくべきは、ハンスリックが扱っている音楽は純粋に器楽的な音楽、'absolute music'〈絶対音楽〉であり、歌や舞台の伴奏曲ではないということだ。
さて、ハンスリックは上の主張を正当化するために、ふたつの議論を用いている。
ひとつめは、今日、'cognitive theory of emotions' 〈情動の認知理論〉と呼ばれているものである。たとえば、おそれが惹き起こされる場合を考えよう。おそれを感じているひとは、通常、その情動を経験するに足るある信念をもっている。そして、ある対象をそのひとはおそれる。そしてたいていの場合、さまざまなおそれと呼ばれうる情動のなかで、ある特定の情動を感じている。
こうした分析を、ハンスリックは絶対音楽に適用する。ある情動を惹き起こすような信念、対象、そして月並みな情動のカテゴリーに属するようなある特定の情動を感じるだろうか? ハンスリックはすべて否定する。ゆえに、音楽は芸術としては、月並みな情動をいっさい惹き起こしも、表象しもしないと結論づける。
以上の議論に加え、彼はふたつめの議論を提出する。それは、'argument from disagreement'〈不一致に基づく議論〉と呼ばれるものである。
ある音楽の聴き手に、その音楽がどんな情動を惹き起こしたかを尋ねる。そうすると、全員の一致が得られるか? もちろん得られない。ある聴き手は悲しみを惹き起こされたと語り、別の聴き手は怒りを惹き起こされたと語るうるだろう。ここから、音楽は月並みな情動をいっさい惹き起こしも表象しもしないと結論づけられる。

こうしたハンスリックの〈不一致に基づく議論〉は強力で、理にかなっているように思われる。しかし、彼は次のふたつのことを説明できていない。まず、音楽の〈傾向性〉がいかなるものなのかについては何も説明できていない。加えて、音楽がどのようになにがしかの情動を惹き起こすのかという〈プロセス〉もまた触れられていない

6.20世紀ーランガーの'isomorphonic'なシンボル

ハンスリックののち、このあとの章で扱うことになる、エドモンド・ガーニー(Edmund Gurney, 1847-1888)のThe Power of Sound1880年に出版されたのちは、60年に渡って、音楽哲学の議論は沈静化していた。しかし、1942年、ランガー(Susanne K. Langer, 1895-1985)のPhilosophy in a New Keyの出版によって状況に変化が訪れた。
彼女は、音楽が、月並みな情動の個別的なアイコン、あるいは表象ではないという点ではハンスリックを支持している。しかし、彼女は、音楽は、情動の〈同型的〉'isomorphic'なシンボルだと考えた。これは心理学者Carroll C. PrattのThe Meaning of Music(1931)における卓越した比喩によって言い換えることができる。すなわち、

music sounds the way emotions feel

音楽は情動が感じるように響く

ゆえに、彼女は、「音楽のなかに情動を惹き起こすものがあり、聴き手の側にではない」という点でショーペンハウアーに同意する一方、他方、ハンスリックの結論、すなわち、「音楽はいかなる月並みな情動を惹き起こしも、表象しもしない」という点には批判的である。
彼女の議論そのものは、同型的の意味の曖昧さゆえに、流通していた月並みな情動と音楽との結びつきの直観を越えることができなかった。しかし、キヴィは彼女が次のような認識の素地を作った点を指摘する。

In short, Lager's account allowed them to think that it was silly to call music sad or happy but quite all right to say that there was emotional in it for all of that.

すなわち、ランガーの説明によって、音楽が悲しいだとかよろこびにみちているだとか述べることはばかげているが、そこに情動があると言うことは、何と言おうと、きわめて正しいということが分かるのだ。p.29

こうした音楽の哲学をめぐる歴史を辿って、わたしたちはさまざまな問いの形成と変化とをみることができた。これ以後、以上の議論を洗練させた現代における議論を見ていこう。

第1章→ピーター・キヴィ『音楽哲学入門』 読書ノート 第1章 …の哲学 - Lichtung
第3章→ピーター・キヴィ『音楽哲学入門』読書ノート 第3章 音楽における情動 - Lichtung
第4章→ピーター・キヴィ『音楽哲学入門』 読書ノート 第4章 もうすこし歴史の話を - Lichtung