Lichtung

難波優輝|美学と批評|Twitter: @deinotaton|批評:lichtung.hateblo.jp

エイミー・L. トマソン「芸術の存在論論争:わたしたちはなにをしているのか? 」

はじめに

本稿は、芸術の存在論(ontology of art)は諸芸術をひとつに包括するような単一の説明を目指すべきではなく、わたしたちの実践の分析にもとづいた存在論として組み立てられることが必要であると主張する、哲学者エイミー・トマソンの論考のまとめである。ごく簡単な各章のまとめを記載している。

書誌情報

 Thomasson, Amie L. "Debates about the ontology of art: what are we doing here?." Philosophy Compass 1.3 (2006): 245-255.

本論

概要

哲学者は、いくつかまたはすべての芸術作品を、物理的な物体、抽象的な構造、想像的な存在者、行動タイプやトークンなどとすることで、ほぼすべての利用可能な存在論的カテゴリーに位置づけている。これらの主張のうちどれを受け入れるか、いかにして決定できるだろうか? 「絵画」や「交響曲」のようなソータルの用語を用いる規則は、わたしたちがこれらの用語で言及しているものの存在論的なものの種類を確立している。ゆえに、上述の論点を判断する際には概念分析の形式を使用しなければならないと主張する。これにより、いくつかの興味深い結論が導き出される。それは、改訂的応答の疑わしさ、十分な答えを得るためにはカテゴリーのシステムを広げなければならないこと、そして芸術の存在論に関する基本的な問い —「芸術作品の存在論的地位はいかなるものか? 」 -は誤って立てられた問いであり、答えられない問いである、という結論である。

Philosophers have placed some or all works of art in nearly every available ontological category, with some considering them to be physical objects, others abstract structures, imaginary entities, action types or tokens, and so on. How can we decide which among these views to accept? I argue that the rules of use for sortal terms like “painting” and “symphony” establish what ontological sorts of thing we are referring to with those terms, so that we must use a form of conceptual analysis in adjudicating these debates. This has several interesting consequences, including that revisionary answers are suspect, that adequate answers may require broadening our systems of categories, and that certain questions about the ontology of art – including the basic question “What is the ontological status of the work of art?” – are ill-formed and unanswerable. (p.245)

イントロダクション

・芸術の存在論は芸術作品の展示、保存、収集、売買といった実践にも寄与する。なにより、芸術の存在論は、一般的な存在論の枠組みではうまく説明できないために、一般的な存在論を洗練させる事例として有益である。

1. 近年の観点 

・抽象的存在者(abstract entities)←芸術家がつくっているために抽象的存在者としての定義にそぐわない。∴ 抽象的人工物(abstract artifact)としての定義をあげる。・サルトルコリングウッド、キュリー、D. デイヴィスといったその他の論者について触れる。

2. 論争を評価する:わたしたちはなにをしているのか?

・芸術作品を扱う際の、あるいは批評する際の実践、文脈を分析することで、芸術作品の存在論を構築する必要性を述べる。

・絵画を例に、何が絵画と呼ばれるのか(それをつくる芸術家の存在の必要性)、絵画とはどのようなものか(ある温度以上で燃えたり展示したりできる)といった実践において、絵画ということばの用いられ方を分析する。

ゆえに、この種の芸術作品の存在論的地位を決定するためには、これらの作品について話したり、これらを扱ったりする実践を分析し、加えて、どのような存在論的な種が、その用語(が参照しているだろうもの)の適切な指示対象として確立されているのかを分析しなければならない。

As a result to determine the ontological status of works of art of these kinds, we must analyze the practices involved in talking about and dealing with works of these kinds and see what ontological kind(s) they establish as the proper referents for the terms (assuming the terms refer).(p.249)

3. 答えられない問い

・音楽や彫刻や絵画それぞれにおける存在論を議論することはできる。

・芸術作品一般はどのような存在者か? という問いはそもそも誤っている。とトマソンは主張する。

例えば、対象、もの、存在者といったことばは、それが言及する存在者のカテゴリーを明白にするために必要な、同一性の基準とは結びつかない。そして、より内容のある「贈り物」といったことばでさえ、カテゴリーを特定することはないだろう。わたしの贈り物は、シャツであったり、海辺への旅行であったり、髪を切ってあげることだったり、詩だったりする。
そして、「芸術」あるいは「芸術作品」という一般的なことばは、カテゴリー特定的ではないという意味で、「贈り物」に似ている(The generic term “art” or “work of art” seems to be like “gift” in this regard: it seems not to be category-specifying.)。

4. 改訂的応答

・わたしたちの芸術に対する概念の枠組みが間違っており、議論によって明らかになった事実にもとづいて改訂(revision)を加える必要がある、とする改訂的理論(revisionary theory)は誤りである。改訂主義者は、もし、わたしたちが概念の枠組みを改訂することを望むなら、そうすることでわたしたちが得る利益について説得的でなければならない。加えて、彼らが指摘するわたしたちの実践の不一致性(inconsistency)は、そこまで深刻なものではなく、もし、改訂しなければならないとしても、それは最小限にとどめなくてはならない。

5. 結論

・実践を分析することでさまざまな芸術の存在論の問題を解決する糸口が見つかる。芸術の存在論ではなく、さまざまな芸術の存在論を問うべきである。芸術作品や実践の存在論を組み立てる際は、伝統的なカテゴリー分けの外に出なければならない。

コメント

どんな論文?

芸術の存在論論争を概観。芸術というカテゴリーにはあまりに多様なカテゴリーが含まれているために、それらの多様なカテゴリーを統一的に説明できるような存在論は組み立てられないと述べる。また、各々の芸術作品の存在論を組み立てるために、芸術作品を扱う際の、そして批評する際の実践を分析する必要性を強調。

有用さ

さまざまな芸術をまとめ上げる芸術というカテゴリーを問うべきではないことを指摘し、さまざまな芸術のカテゴリーを問う必要性を述べた。実践を分析するという指針を提示している。

発展性

芸術の存在論の目的や方法論の検討を図ることができる。わたしたちの実践を記述するような存在論の必要性を述べている点で、興味深い。

関連文献 

Thomasson, Amie L. “Categories.” Stanford Encyclopedia of Philosophy. 2004b

http://plato.stanford.edu/entries/categories

——.“The Ontology of Art.” The Blackwell Guide to Aesthetics. Ed. Peter Kivy. Oxford: Blackwell, 2004a.

——.“The Ontology of Art and Knowledge in Aesthetics.” Journal of Aesthetics and Art Criticism 63.3 (2005): 221–30.

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"Amie Thomasson"

メモランダム

・第2、3節のソータル(sortal)に訴えた議論をきちんと理解できていない。絵画(painting)は、適用条件(application condition)と同一条件(identical condition)を含むソータル(sortal)である(p.248)。そして「存在論的地位に関する問いが、能力のある話者が関連するソータルと結びつけるような、適用と同一に関する基準を明らかにすることで答えられるとするなら、少なくともこれまで芸術の存在論に関して哲学者によって述べられた、いくつかの問いは単純に答えられないということになる(If questions about ontological status are to be answered by determining what basic criteria of application and identity competent speakers associate with the relevant sortal terms, then at least some of the questions that have exercised philosophers in addressing the ontology of art may be simply unanswerable.)」。ゆえに、絵画の何割を入れ替えても当の絵画のままであるか、といった議論には答えを与えることができない。という議論(p.249-250)。

・ソータルとは、「特定の状況で使うことができる」という適用条件と、「異なるAとBに対して同じソータルXである」と発言できる同一条件を持つ言葉である? 

・ソータルとは? 存在論的地位に答えを与えられる/られないがソータルの有無によって決まるのはなぜなのか?