Lichtung

難波優輝|美学と批評|Twitter: @deinotaton|批評:lichtung.hateblo.jp

ヴァーチャルリアリティはリアルか?:VRの定義、存在論、価値

近年、ソーシャルVRと言われる『VRChat』のサービス開始(2017年2月〜)や、VRヘッドセットやVR技術の漸進的な普及、そして、VRのアイコンといえるVirtualYoutuber(Vtuber, VTuber)らの登場で、ヴァーチャルリアリティの世界は一段と盛り上がりをみせている。それらはコミュニケーションのあり方を変え、新たなゲームプレイやエンターテイメントの可能性もたらすとともに、哲学的にもさまざまな魅力的な問いをわたしたちに投げかけている。

たとえば、なんとなくわかったような気がしている、ヴァーチャルリアリティとは何だろうか。それはどうヴァーチャルなのだろう。ヴァーチャルな世界は現実世界とは違うのだろうか。さらにそれは、さまざまな物語のなかの虚構世界とは違うのだろうか。もしそれらが互いに異なるとしたら、それはどのようにしてだろうか。また、VRはMR(複合現実)やAR(拡張現実)とはどう違うのだろうか。ヴァーチャルな世界における体験は現実のそれと同じ価値をもつのだろうか。そもそも、リアリティといって、ヴァーチャルリアリティは真の意味でリアルなのだろうか。そうではないとしたらなぜなのか。

本稿ではこうした問いに取り組み、ヴァーチャルリアリティの定義、存在論、価値を論じたチャーマーズ(2017)の論文をまとめている。この項では、当該の論文の前半部分でなされるヴァーチャルリアリティの定義に関する議論をまとめている。

なお、ヴァーチャルリアリティの定義や関連する概念の整理に興味がある方は目次にあるヴァーチャルリアリティの定義のセクションから読んでいただければと思う。

・Chalmers, David J. "The virtual and the real." Disputatio 9.46 (2017): 309-352.*1

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概要

筆者のチャーマーズは、ヴァーチャルリアリティ(Virtual Reality: VR)はある種の真正な現実(reality)の一つであることを主張する。そのために、ヴァーチャルな対象(virtual object)は虚構的対象(fictional object)であるとするヴァーチャル虚構主義(virtual fictionalism)を退け、ヴァーチャルな対象は現実的なデジタルな対象であるとするヴァーチャルデジタリズム(virtual digitalism)を擁護する。そして、ヴァーチャルな対象が現実的対象であることと、ヴァーチャルリアリティにおける知覚が必ずしも幻覚ではないこと、さらにヴァーチャル世界における生活が非ヴァーチャルなそれとおおむね同じ種類の価値をもちうることを主張する*2

チャーマーズの主張:ヴァーチャルデジタリズム

筆者であるチャーマーズが主張したいのは、まず、ヴァーチャルリアリティはある種の真正な現実そのものであるという主張だ。そしてこの主張をサポートするためにチャーマーズはつぎの三つを明らかにしようとしている。

  • ヴァーチャルな対象は現実的対象であり、
  • ヴァーチャルリアリティ内で起こるイヴェントはほんとうに現実であって、
  • ヴァーチャルリアリティにおける体験は非ヴァーチャルリアリティにおける経験と同じだけの価値をもつ。

これを論証するためにはここで用いられる語彙を整理する必要がある。そこで以下上記の主張に対応して次の四つの問いが問われる。

  1. ヴァーチャルな対象は現実的対象か虚構的対象か。
  2. ヴァーチャルなイヴェントは現実のイヴェントか。
  3. ヴァーチャル世界の知覚は幻想か現実の知覚か。
  4. ヴァーチャル世界の経験の価値は非ヴァーチャル世界における経験の価値と同じか。

ここで筆者はヴァーチャルリアリティが現実であることに賛成する立場と競合する立場を提示する。

ヴァーチャル実在論|Virtual Realism

  1. ヴァーチャルな対象はほんとうに存在する。
  2. ヴァーチャルリアリティにおけるイヴェントは現実に起きている。
  3. ヴァーチャルリアリティにおける経験は非幻覚である。
  4. ヴァーチャルな経験は非ヴァーチャルな経験と同じだけの価値がある。

ヴァーチャル非実在論|Virtual Irrealism

  1. ヴァーチャルな対象はほんとうに存在しない。
  2. ヴァーチャルリアリティにおけるイヴェントは現実に起きていない。
  3. ヴァーチャルリアリティにおける経験は幻覚である。
  4. ヴァーチャルな経験は非ヴァーチャルな経験と同じだけの価値がない。

ヴァーチャル非実在論はいっけんパワフルだ。あなたがヴァーチャルリアリティ環境でヴァーチャルな猫を飼っても、それはほんとうに存在するはずがないし、それはほんとうに鳴くわけではないし、その鳴き声はほんものではないし、ヴァーチャルな猫である彼女を飼った経験とじっさいの猫を飼った経験とは同じ価値があるとは考えづらい。

だが、チャーマーズは前者の実在論路線をとる。じっさい、チャーマーズは以前『マトリックス』のような完全なヴァーチャルリアリティ世界についてのヴァーチャル実在論を擁護した*3。そのような理想的なヴァーチャルリアリティにおいて「そこにテーブルがある」というわたしたちの信念は正しいものだろう。そしてもし、わたしたちがじっさいにマトリックス世界にいるとしたら、わたしたちは目の前のテーブルをみながら「そこにはテーブルはない」とは言わない。むしろ、「そこには、ビットでつくられたデジタルな対象であるテーブルがある」と言うだろう。ここで、チャーマーズはヴァーチャル実在論の改訂版を提案する。

ヴァーチャルデジタリズム|Virtual Digitalism

  1. ヴァーチャルな対象はほんとうに存在し、それらはデジタルな対象である。
  2. ヴァーチャル世界におけるイヴェントはおおむねデジタルなイヴェントであり、それらはほんとうに起きている。

以上が前述の論文で議論されたことであり、これらに加えて、

  • ヴァーチャルリアリティにおける経験はデジタル世界の非幻覚的な知覚を含んでいる。
  • デジタル世界におけるヴァーチャルな経験は非デジタル世界の非ヴァーチャルな経験と同じだけの価値をもちうる。

これらについて、現在VR技術によって可能になっている、より不完全なヴァーチャルリアリティに関しても論証する。そのためには、ヴァーチャル非実在論をとる論者にも受け入れられるような議論の土台を組み立てる必要がある。

ヴァーチャルリアリティの定義

まず、議論を設定するためにヴァーチャルリアリティに関する定義を行う。はじめに、一般的に英語話者にとって、ヴァーチャルという言葉は大きく二つの意味をもつとされる。

ヴァーチャルの二つの意味|実質と仮想
  • 実質的なもの:あるXのようであるがXではない。
  • コンピュータに基づいたもの:コンピュータ上の情報処理を通してつくられたX。

前者の意味で考えれば、ヴァーチャル実在論は棄却される。だが、わたしたちが2018年にヴァーチャルリアリティという言葉で指示しているのは、後者の意味でのことだろう。こちらの意味で考えれば、実在論非実在論のどちらが正しいかは開かれた問いのままになる。チャーマーズは後者の意味で考えたさい、ヴァーチャルリアリティの核となる三つの要素を指摘する。

ヴァーチャルリアリティの三つの要素|没入、インタラクション、コンピュータによる生成
  • ヴァーチャルリアリティ環境virtual reality environment):ヴァーチャルリアリティ環境とは、没入的で、インタラクティヴで、コンピュータによって生成された環境のことである。

コンピュータによって生成された環境は前述のとおり、コンピュータ上の情報処理を通してつくられたものであるために、まさしくヴァーチャルなものであるといえる。そして、その環境が没入的でインタラクティヴな環境であることによってリアリティに近づくといえよう*4。それでは、これら三つの没入、インタラクション、そしてコンピュータによる生成とは正確にはどのような意味をもつのだろうか。

  1. 没入(immersion):没入的環境とは、その環境内でのパースペクティブにおいて、ユーザに「現前性(presence)」の感覚(すなわち、ユーザにそのパースペクティブにおいて[じしんが]ほんとうに現前しているという感覚)を与えるような、その環境における知覚的経験を生成する環境のことである。
  2. インタラクション(interaction):インタラクティヴな環境とは、ユーザによる行為が、その環境で起こることに重大な変化をもたらすような環境のことである。
  3. コンピュータによる生成(computer generation):コンピュータによって生成された環境とは、ユーザの感覚器官によって処理されるような出力を生成する、コンピュータシミュレーションのようなコンピュータ処理に基づく環境のことである。

没入的環境は、典型的には、三次元空間における立体的な視覚体験を可能にするVRヘッドセット、そしてヘッドフォンのような聴覚的な装置によってもたらされている。インタラクティヴな環境は、体の各部位のトラッカーやコントローラ、あるいはキーボードを通してユーザの行為が入力されることでVR環境に変化がもたらされることで可能になっており、コンピュータによって生成された環境は、デスクトップコンピュータや、あるいはスマートフォンによって可能になっている。こうした三つの条件によるヴァーチャルリアリティの特徴づけは、あとで行うように「VRらしい」さまざまなものごとをよく整理できる点ですぐれている。

さまざまな用法

VRの狭い意味での二つの用法|環境と技術

VR周辺を整理する前に、英語において、次の二つの意味で使われていることに注意したい。

  • 可算名詞としてのVR:個別のヴァーチャルリアリティ環境。
  • 不可算名詞としてのVR:VR環境一般あるいはVR技術。

日本語でも、VRといったとき、可算名詞的に、個別のヴァーチャルリアリティ環境を指す場合もあれば、不可算名詞的に、複数のヴァーチャルリアリティ環境のぜんたいや、VR技術のことを指す場合もあるだろう。本稿ではVRといったとき、おおむねVR環境一般を指し、VR技術は指示しない。

また、ここで、

  • VR技術:ヴァーチャルリアリティ環境を維持する技術の総称(e.g. VRヘッドセット、それに同期する聴覚的機器やトラッカー、コンピュータなど)。

とする。

VRの広い意味での用法|VRプロパー

まず、もっともげんみつなVRについて定義しよう。

  • VRプロパー:上記の⑴没入的環境、⑵インタラクティヴな環境、⑶コンピュータによって生成された環境の条件をすべてみたすようなヴァーチャルリアリティ。

VRプロパーな環境とは、わたしたちがヘッドセットとヘッドフォンを被り、トラッカーを装着し、コントローラを握り、アクセスする環境、没入し、画面上に刻々と描画される他者と交流する環境のことである(e.g. 『VRChat』)。

つぎに、予告したように、「VRっぽい」さまざまなものごとを整理しよう。これは、⑴から⑶の条件のどれかが欠如しているものごとに分類できる。

一つの条件の欠如|非没入、非インタラクティヴ、非コンピュータ生成
  1. 非没入的VR:⑴没入の否定。非没入的だが、インタラクティヴでありコンピュータによって生成された環境(e.g. 家庭用ビデオゲーム)。
  2. 非インタラクティヴVR:⑵インタラクションの否定。没入的だが、非インタラクティヴであり、コンピュータ生成された環境(e.g. ヘッドマウントディスプレイに映し出されるコンピュータによって生成された映画)。
  3. 非コンピュータ生成VR:⑶コンピュータによる生成の否定。没入的で、インタラクティヴであるが、非コンピュータ生成環境(e.g. ロボットアームを操作することによる遠隔医療手術)。

例示したように、⑴から⑶のどれか一つの条件を満たしていなくてもVRと呼ばれるものがある。さらに、これらのひとつしか満たしていなくても、VRと呼ばれるものもある。

二つの条件の欠如|VR的なもの
  1. 没入のみのVR:没入的だが、非インタラクティヴで、非コンピュータ生成環境(e.g. VRヘッドマウントディスプレイ上に映し出されるグーグルストリートビューのような360°映像)。
  2. インタラクションのみのVR:非没入的で、インタラクティヴであるが、非コンピュータ生成環境(e.g. ふつうの平面ディスプレイ上に映し出された映像に基づく遠隔地のロボット操作やドローンの操作)。
  3. コンピュータ生成のみのVR:非没入的で、非インタラクティヴであるが、コンピュータによって生成された環境(e.g. ふつうの平面ディスプレイ上に映し出されるVtuber映像のようなコンピュータ生成の映像)。

これらはVRプロパーからはかなり隔たっているが、やはりVR的なものと言われるものである。

このようにして、チャーマーズは⑴没入、⑵インタラクション、⑶コンピュータによる生成の条件によって、VRプロパーからより広い意味でのVRっぽいものをもうまく分類している。じつのところこれからの議論で取り扱うぶんには、VRプロパーの定義でじゅうぶんであるように思えるが、この部分単体でもひじょうに有益な整理であると思われる。

VRのヴァリエーション|MR、AR

さて、さらに、VRと関連して語られるつぎの二つのについても整理しておこう。

  • ミクストリアリティ|複合現実(Mixed Reality: MR):ミクストリアリティ環境とは、⑴没入かつ⑵インタラクションの条件をみたし、かつ、部分的に⑶コンピュータによって生成され、また部分的にコンピュータによって生成されていない、すなわち物理的であるような環境である。
  • オーギュメンテッドリアリティ|拡張現実(Argumented Reality: AR):拡張現実的環境とは、複合現実の代表例であって、ふつうの物理的環境にヴァーチャルな対象が付け加えられたような環境である(e.g. 『Pokemon GO』)。

こう考えると、VRからMR、そしてR(リアリティ)という三者を、コンピュータによる生成と物理的環境との二つの要素によって位置づけることができる。つまり。いっぽうの極は純粋にコンピュータによって生成された環境のVR、他方の極には、まったくコンピュータによって生成されておらず、物理的環境としてあるような現実、その中間に、部分的にコンピュータによって生成され、部分的に物理的な環境としてのMRがある。

ヴァーチャルな世界とヴァーチャルな対象

本稿のさいごに、これまで何気なく使ってきた二つの概念を定義して終わることとする。

  • ヴァーチャルな世界|仮想世界(virtual world):VR技術を用いることで、そこにわたしたちが滞在している(ように感じられる)インタラクティヴなコンピュータによって生成された世界(e.g. 『ワールドオブウォークラフトWorld of Warcraft)』)。
  • ヴァーチャルな対象|仮想的対象(virtual object):ヴァーチャル世界のなかに含まれており、VR技術を用いることで、そこでわたしたちが知覚しインタラクトしている(ように感じられる)対象(e.g. ヴァーチャルな身体、ヴァーチャルな建物、ヴァーチャルな武器など)。

ヴァーチャルな世界に関して、『ワールドオブウォークラフト』はVRプロパーではない。しかしヴァーチャル世界を含んでいるといえる。というのも、VRの条件の一つである⑴没入条件はこれから議論したいヴァーチャルな対象の存在論的問題には関係がないため含まれておらず、ヴァーチャルな世界を定義するにあたって考慮しなくともよいとされるからだ。

これらふたつの定義はヴァーチャル世界やヴァーチャルな対象が現実的なもので非現実的なものでも適用できる。そのため、これらふたつの定義に至るまで、これまでながながと定義してきたものは特定の実在論非実在論と直接関わっていないためどちらの論者にも受け入れられるだろう。よって、以上の定義は冒頭で述べたように、議論の土台として有用な諸定義であるといえる。

ヴァーチャルリアリティをめぐる定義

それでは以上をまとめてみよう。

  • VR(ヴァーチャルリアリティ)は⑴没入、⑵インタラクション、⑶コンピュータによる生成の三つの条件を満たすある特定の環境である。ときに、よりゆるやかな意味で、こうしたVR環境とVR技術の両方を指す総称としても用いられる。さらにより広い意味で、以上の三つの条件のどれか一つを満たさないような環境を、また、一つだけを満たすような環境を指すこともある。加えて、VRを構成する三要素のうち、⑶コンピュータによる生成の条件に注目して、VRと関連する環境について、コンピュータによってのみ生成された環境としてのVR、部分的にコンピュータによる生成と物理的環境が複合したMR・AR、そして純粋に物理的環境である現実とを整理することもなされうる。

*1:オープンアクセスになっており、こちらから入手できる。https://www.degruyter.com/view/j/disp.2017.9.issue-46/disp-2017-0009/disp-2017-0009.xml

*2:本稿では「Virtual」を「ヴァーチャル」と音訳する。ふつうヴァーチャルリアリティは「仮想現実」と訳されているが、そのニュアンスは込み入っており、それらのニュアンスに関して比較的中立的な音訳でいくことにした。強いて音訳以外で訳さなければならないとしたら、わたしは本稿で扱うチャーマーズの議論に乗っ取って、いくつかありうる訳語のなかでは「仮想的」の訳語を選択するだろう。もし必要ならば、わたしは、ヴァーチャルリアリティ、ヴァーチャルな対象、ヴァーチャルな世界などを、仮想現実、仮想的対象、仮想世界と訳すだろう。

*3:Chalmers, D.J. 2003. The matrix as metaphysics. Online at thematrix.com. Published in print in Philosophers Explore the Matrix, ed. by C. Grau. Oxford University Press, 2005. チャーマーズじしんのウェブサイトにも掲載されている。http://consc.net/papers/matrix.html

*4:チャーマーズはこの三つの要素をHeimのものと比較している。Heimはほぼ同様な三要素を提示したが、環境ではなくそれをもたらすヴァーチャルリアリティシステムについての定義を試みた。cf.Heim, M. 1993. The Metaphysics of Virtual Reality. Oxford University Press.