Lichtung

難波優輝|美学と批評|Twitter: @deinotaton|批評:lichtung.hateblo.jp

音楽の哲学にはどのようなトピックがあるのか

はじめに

じぶんが分析美学の研究をはじめるにあたって、芸術の哲学、分析美学の研究者の森功次さんの記事「分析美学にはどのようなトピックがあるのか」*1におおいに助けられました(森 2015)。そこで、本稿では、音楽の哲学、音楽美学をはじめようと考えている方のヒントになればと思い、どのような問いが問われているのかをまとめました。

項目は、英語圏の分析美学の教科書のひとつであるThe Routledge Companion to Philosophy of Music*2の第一部を参照しています。

解説は、何が問われているのか、それを問うと何がうれしいのかを中心に、可能であれば、関連する文献を紹介しています。

それでは、ここからさらに、音楽の哲学を加速させましょう。ちなみに、二万字弱あります。個々のトピックと説明は独立しているので、一気に読まず、お好きなときにつまみ読みしてくだされば。

f:id:lichtung:20190525014457j:image

I. 音楽の哲学の20のトピック

1. 定義

・分析美学者の好むトピックのひとつである定義論。「音楽とは何か」。音楽には、西洋音楽に注目すれば、音楽作品とその演奏とがあり、どちらの問題も考えられる。ある音の並びがいつ音楽になるのか。あるいは、何が音楽作品と認められる条件なのか。

・音楽の定義論は芸術形式一般の定義論と相互に議論の交流を行なっているため、よりひろい視野から学ぶことも有用だろう。

・ある音の並びや響きを音楽かどうかを判別して、議論の扱う対象を明確化したり、音楽の根本的なあり方を見直す手がかりとなります。個人的には、定義論のよさは、「これが音楽だ」と音楽を狭くとる立場への武装として役立つ点にありますね。「それはあなたの知ってる音楽の定義で、一般的なものではないですよね」。

・作品の存在論に関しては、音楽哲学を牽引してきたピーター・キヴィの入門書をまとめた拙まとめのこちらの項も参照していただければ。

・定義一般については、拙まとめを。

・また、芸術の定義については、この本がまとまっていて参考になる。

Theories of Art Today

Theories of Art Today

 

・拙稿「詩の哲学入門」第一節も比較として。

・定義論にいきなり踏み込むと、「いったい何の戦いなんだ……」となることがあるが、いろいろ役に立つトピックなのだと個人的に強調しておきたい。さいきんは、そもそもなぜ定義するの? という問題も掘られており、緻密な議論と目的の設定を得意とする音楽哲学者が現れてくれたらと期待する。

2. 無音、音、ノイズ、音楽

・何が音楽的な音で、何が音楽ではないノイズなのか。無音には、音楽的な無音とそうでない無音があるのか。音楽の定義と関連しつつ、とくに、音、ノイズ、無音という音のあり方の違いや関係を問うトピック。

・無音の使い方、ノイズの価値を考察することで、グレン・グールドのうなり声は美的にわるいノイズか、それとも作品を構成する音楽的ノイズか。ビートルズの再録において、椅子の軋みや楽器のノイズはどこまで入れるべきか、カットすべきか、といった録音におけるノイズの価値についての議論にも接続される。また、vaporwaveに代表される、あるいは、Lo-Hiヒップホップにみられる、グリッチ、ノイズが作品の美的価値に貢献しているような作品はどのように価値づけられるだろうか。

・参考文献はさわりしかチェックできてないが、次の「Lo-Fiの美学」がおもしろい。Lo-Fiの美学をしたい方は、ナンバもやりたいので、勉強させていただきたい。

https://onlinelibrary.wiley.com/doi/10.1111/j.1540-594X.2007.00247.x

・その美的価値を見出すことで、音の範囲を広げる活動に興味のある方にもおすすめ。

・うなるグールド

3. リズム、メロディ、ハーモニー

・音楽を構成するリズム、メロディ、そしてハーモニーはそれぞれどのような特徴を持ち、いかなる関係にあるのか。西洋における音楽理論と密接に関わるトピックです。リズムとメロディ、そしてハーモニーについて。拍子とリズムの異なり、メロディの特徴、ハーモニー、カデンツ、調性など。

・以上でふれたような概念の分析と整理を行うことで、それぞれの言語使用を整理できる点に利点がある。

・音楽の哲学における論文は少ないようです。むしろ音楽理論を探ってみるのがよいだろう。最近β版が公開されている次のサイトは、リズムとメロディ、そしてハーモニーについてとても有益な分析を行っている。

進行の分類や、メロディとシェルとカーネル分析は圧倒的。わたしも機会があるたびにチェックして勉強している。メロディはどうまとめられて聴かれるか、やジャズにおける進行の特徴、そもそも緊張と解放とは何か、ハーモニーとメロディとはどう美的性質として異なるか、それは絵画における主題と背景とに分けられるかなどなど。すこしずつ研究していきたい。

音楽理論にも還元可能なトピック。わたしは楽理に弱いのだが、共同して、さらなる音楽理論の発展に向けてお手伝いできたらと思っている。

・リズム、メロディ、ハーモニーの複雑な関係が作り出す聴取経験については、個人的に推しまくっている浜本談子の次の曲を聴いて欲しい。特に、音楽における「リズムの情感」についてより深い実感を得られることだろう。

4. 存在論

・音楽作品とは何か。それは創造されるのか、発見されるのか、消滅しうるのか、そして、作品同士はどう区別されうるのか。ここでの「存在論」とは、「世界に存在する各存在者はどのような基準で分類され、どのような枠組みで整理されるべきか」(森 2015)で、「存在証明」といった意味ではない。

・音楽作品とは何かが明らかになる。作品と演奏の存在論的区別を考察する中で、批評や価値づけの際の理論的道具が生成される。特に、カバーと原曲の関係の説明においてつよい概念的説明力を発揮します。音楽作品とその演奏について、ヘタな演奏があったとしても、その作品の価値にはふつう影響しないし、また、作品の価値と演奏の価値がある程度独立であるからこそ、演奏家は「真の」価値をパフォーマンスにおいて提示するために練習をし、楽譜と対峙する。その際には、作品を繰り返し可能なタイプとして、そして、演奏をそのタイプの例示としてのトークンとして(ちょうど硬貨の金型と硬貨そのもののように)区別することで、それぞれの価値づけのあり方をすっきりと整理できる。

・音楽の哲学に精力的に取り組んでおられる田邊健太郎さんのすっきりとしたサーベイ論考がある。「分析美学における音楽の存在論は何をどのように​論じているのか」

https://researchmap.jp/?action=cv_download_main&upload_id=155321

・vaporwaveに詳しい、写真論研究者の銭清弘さんの記事も勉強になる。

・さらに、存在論を応用したカバーと原曲の関係については、次の論文がひじょうにおもしろい。

https://onlinelibrary.wiley.com/doi/10.1111/jaac.12034

この論文に関しては、森功次さんによるスライドもある。

https://researchmap.jp/?action=cv_download_main&upload_id=56786

・この発表も含めた応用哲学会での発表のまとめはこちらにある。

・1. 定義論とともに、ばりばり細部を詰めていく方におすすめなトピック。

・たとえば、この曲は、ベートーヴェン交響曲第5番の「演奏」なのだろうか?

5. メディウム

・音楽特有のメディウムとは何か。それは特定の音の構造なのか、それとも作曲者の歴史的な経緯を含み持つものなのか。

・分析美学者のデイヴィッド・デイヴィスの整理によれば、芸術作品はその鑑賞の総体をつくりあげる諸要素とその関係によって特徴づけられる。彼は「芸術的メディウム」「手段的メディウム」そして「芸術的言明」の三つが、鑑賞の対象の総体、すなわち「鑑賞の焦点(focus of appreciation)」を構成し、芸術的メディウムを介し、作者による意図を伴った手段的メディウムの操作を通じて、ある芸術的言明がいかにして「表現(articulate)」されているのかが鑑賞される対象として「芸術作品(art work)」を特徴づけた(Davies 2004, ch. 3)*3

ここで、「芸術的言明(artistic statement)」とは、「芸術家によって生成された対象あるいは構造の、表象的、表出的、そして形式的性質」(ibid., 53)、すなわち、いわゆる作品の「内容(contents)」である。作品がその内容によって評価されることはたしかだが、のみならず、絵画における同一の主題の変奏がそれぞれの価値をもつように、内容がどのように表現されているのかもまた鑑賞の焦点のうちにある。

内容は「芸術的メディウム(artistic medium)」と「手段的メディウム(vehicular medium)」を介して表現される。後者は、たとえば、デュシャンの『泉』における工業製品としての便器という「物体(object)」、そして、それを美術館に展示させるという「行為(action)」といった、作品がそれを介して表現されうる物理的/非物理的な「素材」、である。手段的メディウムなしでは、いかなる内容も表現されえない。だが、素材はそれだけで内容を表現するわけではない。男性用便器が内容を表現するのは、その素材がある特定の内容を表現するものとして理解される場合に限られる。これを可能にするのが芸術的メディウムである。

芸術的メディウムは、特定の素材について、それを特定の内容を表現するものとして認めるような、あるひとびと、コミュニティによって共有された理解の集合である(Davies 2004, 58-59)。芸術的メディウムは、ある文化において、内容を表現しうるものとしてみなされるものに関する共有された知識である。

音楽においては、標準的には「音」が手段的メディウムとなり、そして、それらの音は共通の理解としての芸術的メディウムを介して、特定の芸術的言明が伝達されるとする。

・音楽についてではないですが、メディウムの議論を扱っているものとして、二本論文を書きました。

難波優輝. 2019. 「アニメーションの美学––––原形質性から多能性へ」『アニクリ 6s』

難波優輝. 2019. 「おしゃれの美学––––パフォーマンスとスタイル」

メディウムという概念と枠組みはかなり有用であることがわかる論文かと思います。

・音楽におけるメディウムの拡張を推し進めている作家として、わたしは網守将平をあげたい。最新作の『パタミュージック』においても、様々な電子音、グリッチを導入することで、ポップでありかつ聴いたことのない/ある音楽を混交させる。

・前作のアルバム『SONASILE』については次のように書いたことがある。

6. 即興

・即興とは何か。それは作曲とどう異なり、どのように似ているのか。即興の価値とはパフォーマンスにおけるパフォーマの創意と言われるが、それはどのように価値づけられうるのか。即興は作品なのか。

銭清弘さんのまとめ記事がある。丁寧なまとめと、文献紹介、それから様々な楽曲例のリンクなどがあり、即興の哲学のスタート地点としてとても有用。要チェック。

・一回きりの即興と、その即興を再現した演奏とはどのような関係があるのだろうか。それらは同じ旋律だが、しかし異なる評価がなされているように思える。即興そのものの価値とは何だろうか。

7. 記譜法

・楽譜とは何か。それは演奏、作品とどのような関係を持つのか。

・記譜法には、一般的なものと、様々な移調楽器に対応した楽譜やTABなどの楽器特定的記譜の区別があります。それらはそれぞれにどういう効果をもたらしているのだろうか。また、記譜法には、通奏低音やジャズのスコアシートのような、記憶補助的なもの、西洋クラシック音楽のような緻密で指令的なもの。そして、諸民族の音楽を記録するためのドキュメント的機能をもつものなどがある。

・たとえば、いまもっとも傑出した作曲家、プレイヤであるジェイコブ・コリアーの演奏の記譜の試みがJune Leeによってなされている。

この試みにはひじょうに価値があるが、同時に、彼の演奏の記譜のあまりの難しさや、楽譜からこぼれ落ちるものについても考えを巡らさざるをえない。記譜とは何のためにあるのか、それはどのように聴取の理解と関わるのかもまた興味深いトピックだ。

・楽譜について考察することで、それが作品とどう関わるのかが考察できます。図形譜にみられるように楽譜は表現となりうるのか、それ自体作品となりうるのかなど。

・記譜と作品、演奏の関係については、グッドマンの議論がもっとも有名。

芸術の言語

芸術の言語

 

・トピックのおもしろさとしては、それ自体というより、グラフや図像、建築物の設計図、特に、図形楽譜など様々な記号表現のなかで楽譜の特殊性を分析する点にあるかもしれない。わたしの知るところあまり研究論文をみかけないトピックではある。ブルーオーシャン

存在論や真正な演奏の問題とも関わり、そもそも「楽譜に忠実な演奏とは何か?」といった問いもある。

8. パフォーマンスとレコーディング

・パフォーマンスとレコーディングとは、それぞれどんな本性を持つのか。その関係はいかなるものか。パフォーマンスの一般的特徴、その種類価値づけと聴取者とパフォーマの区別がなくなるパフォーマンスについて。また、録音の種類と、反復可能性と透明性についてなどの問いがある。

・パフォーマンスと作品について、さらに、一回きりのパフォーマンスとは異なるレコーディング特有の価値とは何かが考察できる。

・どのパフォーマンスの解釈が正しいのか、という問いや、レコーディングの区別について、パフォーマンスのドキュメントと、編集されたもの、そして、録音においてのみ存在する楽曲など、考察のしがいがあるだろう。また、録音の透明性については、写真の哲学における写真的出来事との関連など興味深いトピックとなるだろう。

・パフォーマンス論一般は、デイヴィッド・デイヴィスの次の単著が参考になる。

Philosophy of the Performing Arts (Foundations of the Philosophy of the Arts)

Philosophy of the Performing Arts (Foundations of the Philosophy of the Arts)

 

こちらは、個別の議論をばりばり詰めていくというよりは、パフォーマンス芸術にはどのような種類があり、どんな論争があるのかをアラカルトに見ていく印象。

・4. 存在論でふれたように、カバー曲やリマスタリングといった、音楽作品の複製とその価値の整理の議論とも関わってくる。もはやレコーディングがある曲の代表的な演奏となったポップミュージックでは、パフォーマンスの価値はどのように考えられるのか? おもしろいトピック。

・わたしのもっともすきなバンドのひとつである「Lamp」を主導する染谷太陽は、しばしばライブよりレコーディングの魔法を強調する。

僕はつくづく録音物が好きな人間でして、
なんていうんでしょうね、
録音物には浪漫があると思うんです。

聴いているとき、これを作った人の姿が見えないじゃないですか。
全て音の世界じゃないですか。

僕が誰かのライブにほとんど行かず音源ばかり聴いているのも、この浪漫に対する偏愛なのかなと思います。

この『promenade』を作った人のことは知っているんですが、
でも、これを聴いているときはもう本人の事なんか忘れて、スピーカーやヘッドホンから聴こえてくる音の世界に入っているんですね。完全に。*4

そしてまた、じぶんたちの音楽の鑑賞のあり方についても一貫した考えを持つ。

やっぱり自分たちはライブバンドではなく、レコーディングに拘ってきたバンドだと思っていて、スタジオ盤を聴いてもらう前にいきなりライブ盤を聴かれるというのはちょっと抵抗があったりする……*5

たしかに、彼らの演奏は超絶技巧で魅せるというより、そして、それを評価するというより、自然に奏でられる音を聴くという経験に近しい、とわたしは感じる。そのライブ演奏も親密な雰囲気でとてもあたたかく、詩人の読書会に出るような感覚である。彼女の詩作を先にひとりで読んでから、あらためて、相見えて静かに聴き入る、という感覚だ。

さて、Lampの演奏において、レコーディングとパフォーマンスはそれぞれどのような価値の関係を持つのだろうか。

・たとえば、Lampの名曲である「さち子」(2014年発売のアルバム『ゆめ』収録)のレコーディング版とMVはこちら。個人的には先にこちらを聴いて欲しい。

・パフォーマンスはこちら。こちらもとてもいい雰囲気。

・ひるがえって、いまをときめくシンガーソングライタである崎山蒼志は、レコーディングのみならず、そのライブパフォーマンスの熱量においても高く評価される。音のミスがあったとしても、あるいは、あるからこそ、それぞれのパフォーマンスが独自の価値を持っているようにも思える。

・ライブパフォーマンスとレコーディング、これらはどのように違い、どのように味わわれることで、それぞれのよさが感じられるのだろうか。

・パフォーマンスについての考察として、次の記事もおひまがあれば。

9. オーセンティック/真正な演奏

古楽における真正さ(authenticity)とは何か。どうすれば、ある曲の「真正な」演奏となりうるのか。そもそも、真正な演奏は可能なのか。真正さを求める動機とは何だろうか。あるいは、古楽演奏には、独特の美的価値があるように思える。その「新鮮な」古典曲の演奏には、どのような価値があるのだろうか。

・1960年代から興隆したとされるオーセンティックな演奏の運動は様々に興味深い問いを持っている。何が真正な演奏となりうるのだろうか。その作品(あるいは楽譜)それ自体に従う演奏か、それとも作者の意図を十全に汲み取る演奏か、それとも、当時の音や聴取実践を再現した演奏か。こうした考察の際には、「真正さ」という概念を前提とせずに、哲学的な整理を行うことが有用な手段となるだろう。

・さらにまた、カバーアレンジにおける真正さもしばしば議論される。たとえば、つぎの矢野顕子の演奏は、ひとによれば、「原曲の作曲者の意図を裏切り、真摯さに欠ける」という非難を行う者もいるかもしれない。

・あるいは向井秀徳の「CHE.R.RY」のカバーは「真正な」演奏なのだろうか。

これらの曲のカバーに何らかの非難があるとすれば、その非難はどのような意味で正当なのだろうか。あるいは、アレンジにおける正当さについて、わたしたちはそれを聴取に影響させるべきなのだろうか。真正さをめぐる演奏に関する問いは、歴史的側面も持ちつつ、現在のポピュラー音楽実践においても考察を欠かしてはならないものだろう。わたしも、このカバーの真正さについての議論を考察しているところである。

・真正さをめぐる歴史的な運動を踏まえながら考察することで、過去を再現することの意義と謎めいた価値とが徐々に明らかになりうるだろう。音楽学とも連携しつつ歴史を追っていける研究者の論文が読んでみたいと個人的に思っている。

・こちらの拙まとめをチェックするとだいたいどんな議論が行われているのかがわかるだろう。

・真正さについては、アプローチはかなり異なるが、問いの立て方としてはおもしろいと感じた以下の本がある。

あじわいの構造―感性化時代の美学

あじわいの構造―感性化時代の美学

 

10. 音楽と言語

・音楽と言語はしばしば共通した要素を持つものとされる。しかし、両者の同一点と違いとは何だろうか。一方の言語は概念や意味を持つが、他方の音楽は確固たるものとしてはそうしたものを持たない。しかし、両者はある一定の構造との関係のなかで理解されるというい点では類似している。一方は文法的構造において、他方は、多くの場合、なんらかの調性において。

・音楽と言葉の歴史的関係については次のまとめを。

・音楽が言葉のようになにかを表したりできるのかどうか、という問いについては、次のまとめを。

・近年、思弁的な考察のみならず、人間の認知能力や脳機能から、言語と音楽との異同は議論されはじめている。

・この分野をリードしているのは、ジャッケンドフだろう。

A Generative Theory of Tonal Music (The MIT Press)

A Generative Theory of Tonal Music (The MIT Press)

 

・音楽と言語の関連について、パスカルキニャールの『音楽への憎しみ』における言葉と、その言葉を引用した伊藤計劃による『虐殺器官』の言葉を思い起こす者もいるだろう。

「音は視覚とは異なり、魂に直に触れてくる。音楽は心を強姦する。意味なんてのは、その上で取り澄ましている役に立たない貴族のようなものだ。音は意味をバイパスすることができる」

「……耳にはまぶたがない、と誰かが言っていた。わたしのことばを阻むことは、だれにもできない」
伊藤計劃. 2010. 『虐殺器官』225. 早川書房

言葉の意味と音楽的響きによる感情の操作。認知科学にも関心のある美学者の到来を個人的に待っている。

・これに加えて音楽と言語が同時に鑑賞される形式、すなわち、歌においての研究も見過ごしてはならないだろう。

たとえば、キリンジ『エイリアンズ』冒頭において、

はるか空に旅客機音もなく

公団の屋根の上 どこへ行く

という上空への視線から、

誰かの不機嫌も寝静まる夜さ

バイパスの澄んだ空気と

僕の街

と横方向への注意とおそらくは眼下の街へと視線が下がるのと呼応するように、メロディもゆっくりと下がっていく。これはことばと音とが一体となって独自の効果を生み出している好例だろう。

11. 音楽と想像

・音楽における想像の役割とは何か。

・音楽における想像の役割に関するトピック。音楽のうちに、特定の情動や動きやキャラクタを見出すような想像的知覚、あるいは、音楽から何か別のイメージを想起するような知覚的想像の議論などがある。

長谷川白紙の『草木』は、タイトルのように、盛り上がり、競り上がり、互いにひしめきあい伸び続ける草木の生命の熱さを感じさせる。それは、わたしの脳機能のどのような想像力によって可能になっているのか。

・また、音楽的知覚において議論されている、「音楽的な空間」の問題、たとえば、音が「高い」「低い」とは、あるいは「速いパッセージ」とは、比喩なのか否か、といった問題がある。また、鑑賞者は自発的に音楽それ自体を生命的なものとして、心的状態や意志を持つ対象として想像的知覚を行うと考えられているが、それは、どのようなメカニズムによるものなのだろうか。

・この点については、たとえば、ケンダル・ウォルトンによる論集に興味深い議論がまとまっている。

In Other Shoes: Music, Metaphor, Empathy, Existence

In Other Shoes: Music, Metaphor, Empathy, Existence

 

・想像と想像力にくわしい美学者もいたらなあと思ったりしている。こちらもばりばり認知系の話ができるとさらに発展しそうなトピックだ。

12. 音楽の理解

・音楽を理解するとは何か?

・音楽の理解には、「ある音が鳴っている」「このように響いている」という知覚的、認識的な理解のレベルがある。他方で、さらに、「このコードは前のコードを受けてこのような響きを作り出している」「ここは再現部となっている」といった、楽曲の構造や理論に関する概念的な知識を必要とするような概念的な理解とがある。これらのどちらがより重要なのだろうか。それともどちらも同程度重要なのだろうか。そして、「正しい」理解とは、これらの様々な理解のレベルについて言えるのか。そして、正しさはどの観点から言えるのか。アナリーゼや演奏解釈とも関わってくるトピック。

・これを、「わたしたちは何を理解しながら聴いているのか?」という観点から考えるにあたっては、キヴィのこちらの議論が参考になるだろう。

・たとえば、この論集がこのトピックを扱っている。

Musical Understandings: and Other Essays on the Philosophy of Music (English Edition)

Musical Understandings: and Other Essays on the Philosophy of Music (English Edition)

 

・ナンバがいま音楽の哲学のトピックでもっとも気になっているもののひとつ。

13. スタイル

・ロマン派と印象派はどう違うか。あるスタイルの要素には何が含まれるのか。そこから、あるスタイルを判別したり分類したりできるのか。そもそも、スタイルとは、作品が属するカテゴリやジャンルとは区別すべきなのか。

・さらに、彼女の作品には独自のスタイルがある、と言われるとき、それは何を意味しているのかという問題もある。

・音楽ではないが、わたしは、近刊「おしゃれの美学––––パフォーマンスとスタイル」にて、「あのひとのおしゃれはあのひとらしいスタイルがある」と言う表現は何を意味するのかを分析している。こちらの評価的な含みを持ったスタイル概念についてはご参考に。

・スタイル一般については、日本語文献では、こちらに収録の西村清和/小田部胤久論文が特に参考になるだろう。

スタイルの詩学―倫理学と美学の交叉(キアスム) (叢書 倫理学のフロンティア)

スタイルの詩学―倫理学と美学の交叉(キアスム) (叢書 倫理学のフロンティア)

 

・個人的には、スタイルは、より記述的なスタイル概念––––様式的スタイル(ロココ調)概念––––と、より評価的で、「自己表現」の含みを持つようなスタイル概念とを分けて考えた方がよい。このあたりの議論は、ロビンソンの古典的な論文、Robinson, J. M. (1985). Style and personality in the literary work. The Philosophical Review, 94(2), 227-247.を手がかりにするとよい。

14. 美的性質

・音楽における美的性質とは何か。

・美的性質の議論は音楽の哲学に固有というわけではない。しかし、特に、音楽に関しては、音楽理論として、その他の芸術形式と比していっそう高度な理論化がなされており、特定の美的性質(壮大な、生き生きとした、のどかな、といった用語によって指し示される性質)と特定の音楽語法や構造、ハーモニーなどがつよく結びつけられる実践がより目立ってみられる。しばしば、特定の和声進行が「清廉な」「緊張感に満ちた」と語られるが、いったい、音楽における美的性質は理論によって指摘される特定の構造とどのような関わりを持っているのだろうか。

・たとえば、洗練されたポップスを歌う松木美定の最新作「実意の行進」を取り上げたい。

冒頭の「うららかな」「ここを『去ることは』」の部分にみられるような動きから、クラシカルで端正な響きを感じさせる。そして、全体は、どこかあたたかでのどかな響きを感じさせる。なぜ特定の音型が、あるいは、全体の響きが特定の美的性質と結びついているのか。

・音楽が絵画のように表象的ではなく、何かしら深遠な、そして崇高なものと直接関わっているという説と関係して、興味深いトピックとなっている。また、音楽がもつ、形式的な美についての議論もしばしばなされる。

・美的性質に関する古典的な議論はフランク・シブリーの「美的概念」にある。

邦訳はこちらに。

分析美学基本論文集

分析美学基本論文集

 

・ただ、いきなり読む前に、デ・クレルクのこちらのサーベイを読むといい感じ。

https://onlinelibrary.wiley.com/doi/abs/10.1111/j.1747-9991.2008.00165.x

15. 価値

・音楽特有の価値とは何か。視覚芸術でも、物語的でもない音楽ならではの価値とは何か。うえの美的性質における「深遠さ」や「崇高」とも関わり、また、しばしば、音楽は「別世界」を立ち上がらせると言われる。それはいったいどういう事態で、ほんとうに音楽それ自体にしかもたらすことのできない価値はあるのか。

・ピーター・キヴィ『音楽哲学入門』第13章参照。

・音楽の価値の議論にあたっては、音楽が歴史的にどう聴かれてきたのかをふりかえることも有用だろう。西洋における歴史のかんたんな概観については、次を参照。

16. 価値づけ

・作曲者、楽曲、演奏をどう評価するか

・こちらは批評の哲学とも関係するトピック。音楽をいかに価値づけるかは、たんにその楽譜に基づいて可能なのか、それとも、つねにその曲の演奏を通じてしか不可能なのか。また、ロックやポップスのような、楽譜に準拠するわけではないパフォーマンスはどのようにそれぞれのパフォーマンスを比較しうるのか。

・批評一般についてはノエル・キャロルの『批評について』を参照。

批評について: 芸術批評の哲学

批評について: 芸術批評の哲学

 

・こんな本です。

・わたしがつねに驚かされるミュージシャンである浦上・想起(旧:浦上・ケビン・ファミリー)の曲は、価値づけに挑戦を与える。

どのようにして彼の曲を価値づけられるのだろうか。その歌詞からだろうか、その演奏技能からだろうか。わたしは、彼の曲が特定の聴取のあり方をデザインするものだ、という視点から価値づけを行った。他にはどのようなアプローチがありうるだろうか。

17. アプロプリエーションとハイブリッド性

・アプロプリエーションとは、音楽的内容や録音のサンプリング、あるいは、じぶんが属するわけではないほかの文化の音楽や録音を流用すること。アプロプリエーションは著作権の問題のみならず、その旋律や曲がある文化において精神的な価値や伝統的な意義を持つ場合、他の文化に属する者がそれらを用いていいのかどうか、という倫理的でもあり美的でもある問題が生じる。このトピックは音楽にのみ限られるわけではないが、しかし、作曲家とともに、、さらに倫理学者とともに、美学者もまた、ともに考える必要があるトピックだろう。

・たとえば、vaporwaveというジャンルにおいては、既存の曲の変形、ノイズ加工によって独特の鑑賞経験をもたらしているが、これは原曲に対してどのような関係にあるのか。アプロプリエーションによって原曲は傷つけられうるのか、それとも無関係なのか。こうした問いを問うトピックであり、その意義は大きいだろう。

・文化的アプロプリエーションの議論はヤングのこの本が有名のようだ。

Cultural Appropriation and the Arts (New Directions in Aesthetics)

Cultural Appropriation and the Arts (New Directions in Aesthetics)

 

・この本もある。

The Ethics of Cultural Appropriation

The Ethics of Cultural Appropriation

 

・日本語だと渡辺さんのこちら渡辺一暁. 2018. 「文化的盗用—その限界、その分析の限界—」がアクセスしやすい。

フィルカル Vol. 3, No. 2 ―分析哲学と文化をつなぐ―

フィルカル Vol. 3, No. 2 ―分析哲学と文化をつなぐ―

 

18. 器楽の技術

・楽器と音楽、演奏の関係について。技術の発展による、音楽の語られ方や、「電子楽器では心を表現できない」といった物言いは正しいのか、それとも的外れなのか。音楽の哲学では主要なトピックではないが、しかし、発展可能性を持つ議論だろう。

・特に、音楽演奏においては、絵画や彫刻制作における絵筆やノミ以上に、楽器についての語りがしばしばみられ、楽器はプレイヤと様々なレベルで結びつけて語られる。

・部活動などで吹奏楽に関わったことのあるひとは、楽器とじぶんの親密な結びつきや、あるいは距離を感じることがあるだろう。トランペット奏者なら、自身を鼓舞しどこまでも遠くへ声を届けられるような相棒として、打楽器奏者なら、その時々にコミュニケーションをとる様々なおしゃべりな友人たちとして。

武田綾乃原作小説・京都アニメーション制作アニメーションである『響け! ユーフォニアム』においても、吹奏楽部における高校生活を描きながら、楽器とじぶんとの様々な関係が語られ、ときにはパートナーのような、ときには思い通りにいかない相手として楽器が描かれる。

しばしば語られる楽器性格論(トランペッターには勇壮な者が多い、打楽器奏者は移り気ではしゃぎがち)とも関連して、楽器とプレイヤの関係は、音楽の哲学の興味深いトピックとして、これからまだまだ議論の余地はある。わたしも趣味ではあるが楽器と日常的に触れている者として、プレイヤと楽器との関係をより深く考えていく。

19.情動と表出

・音楽は悲しいのだろうか。それともただわたしたちが悲しくなるだけなのか。あるいは、そもそも音楽は悲しくもなく、わたしたちが感じる情動もじつはほんとうの悲しさではないのか。「情動と表出」をめぐる問いとして、音楽の哲学において魅力的でひじょうに多くの論争が交わされているトピック。

・参考として、源河亨さんの「音楽は悲しみをもたらすか?–––キヴィーの音楽情動について–––」

そして、「悲しい曲のどこが「悲しい」のか?:音楽のなかの情動認知」

が参考になる。

・キヴィの議論も簡便なまとめとして参考になる。

・情動をめぐる歴史的議論を振り返ることも有用だろう。

20. ジャンル

・音楽には様々なジャンルがあり、それらはどのような価値として聴かれているのだろうか。

・ポップス、ロック、ジャズ、オペラ、器楽曲/歌、映画音楽、映像のための音楽、ダンスミュージックなど、音楽には、様々な目的を持ち、様々な機能を持つ音楽がある。これらを通り一遍に評価することは望ましくないだろうし、特定の音楽のみに絶対的な価値があり、他のものにはないとするには、かなりがんばらないといけないだろう。

・たとえば、ヘヴィ・メタルはどのように聴かれているのか。それは、ライブハウスやフェス会場でのコミュニティやライフスタイルとの関わりもあり、ほんとうに音楽だけの響きの価値から分類、価値づけ可能なのだろうか。

グレイシクのこの論文は、ジャンルの歴史、受容の複雑性を考えるうえでひじょうに示唆に富む。

https://onlinelibrary.wiley.com/doi/abs/10.1111/phc3.12386

II. 音楽の哲学についてのメモランダム

1. 日本における音楽の哲学の現状

日本で英米圏の音楽の哲学に取り組んでおられる方は、ナンバの知る限りですが、立命館大学助手をしておられます田邊健太郎さんと、慶應義塾大学非常勤講師を務められておられる源河亨さんがいらっしゃいます。

田邊さんは、存在論や音楽理解についての研究を、源河さんは、音楽の情動表出の議論をされています。西条玲央さんも、音楽の存在論に関わる論文を著されています。

加えて、院生の方ですと、デジタル写真論、表象文化論を研究しておられる銭清弘さんは、vaporwaveやファンクに関する浩瀚な記事を著されており、音楽の哲学は日本においておもしろい展開を見せています。

ナンバも音楽の哲学全般、音楽と想像、音楽理解、そして価値づけといったトピックに関心を持っており、継続的に研究を進めています。

現在は、特に、詩の哲学に興味を持っていることもあり、歌の哲学について研究を進めています。今年中には論文一本投稿する準備を進めています。

・学知は共同で形成されていくものなので、あらたなプレイヤの参入をひとりのプレイヤとしてお待ちしています。

2. 学習のアドバイス

・分析美学全般の教科書についてはこちら。

分析美学入門

分析美学入門

 

・分析美学の主要なトピックについてのブックガイドは、森さんの「分析美学邦語文献リーディングリスト」が参考になります。

・さいきん、グレイシックの音楽の哲学入門が訳されました。ありがたい。

音楽の哲学入門

音楽の哲学入門

 

学生さんなら、興味があるトピックは、教科書を二三かるく読んでから、ガリガリ論文読んじゃっていいと思います(わたしはそうしてます)。論文で一番新しくおもしろそうなのを五つぐらい読んでいくと参照されている古典的な文献がわかってくるし、逆に辿っていけばいいので。

学籍がなく論文をダウンロードできない方は、個別にナンバに依頼頂ければ調査を請け負います。「演奏の美学について知りたい!」「演奏指導に役立つ哲学研究はあるの?」など。そのシステムはまだ準備中なのですが、お見積もりは受付中です。

依頼まではいかなくとも、ご関心のある方は、SNSにおけるコメントやツイートで「音楽の哲学は加速するべき」「音楽の哲学の本が読みたい!」などとつぶやいて頂ければ、出版社の方の目に留まり、音楽の哲学に関する著作依頼が美学者に来るはずですので応援よろしくお願いいたします。

おわりに

これを読んで学生さんが音楽の哲学に興味を持っていただいたらなと思います。さらに、音楽学や関係する領域で研究されている方がこの記事を読んで関心を持ち、議論の整理に音楽の哲学の概念や枠組みを役立てていただけたらさいわいです。

わたしも音楽の哲学はまだまだ勉強中なので、読んだ記事をまとめて、ブログやウェブサイトにあげて頂けるとうれしいです。宣伝ですが、もちろん、解説記事の依頼などがあれば、お仕事お待ちしています。『音楽の哲学入門』も翻訳され、音楽の哲学へのアクセス環境は整ってきました。音楽の哲学をはじめましょう。

ナンバユウキ(美学と批評)Twitter: @deinotaton

引用例

ナンバユウキ. 2019. 「音楽の哲学にはどのようなトピックがあるのか」Lichtung. http://lichtung.hatenablog.com/entry/topics.of.philosophy.of.music.

*1:

*2:Gracyk, T., & Kania, A. eds. 2011. The Routledge companion to philosophy and music. Routledge.

The Routledge Companion to Philosophy and Music (Routledge Philosophy Companions)

The Routledge Companion to Philosophy and Music (Routledge Philosophy Companions)

 

*3:Davies, D. 2004. Art as Performance. Oxford: Blackwell.

*4:染谷大陽. 2014. 「2014.10.23 Thursday 北園みなみ『promenade』を聴いて」

*5:染谷太陽. 2019.「ライブ盤『Lamp “A Distant Shore” Asia Tour 2018』について」2019.04.10 Wednesday