Lichtung

難波優輝|美学と批評|Twitter: @deinotaton|批評:lichtung.hateblo.jp

本の二つの読み方:精読型と検索型

友人が本の読み方について質問をしてくれた。自分にとっても有益だったので対話をほぼそのまま公開する。

Mさん さいきん文章を自分がどう読んでいたのかまるで思い出せないので、きちんと体系化された文章の読み方と分析の仕方を身につけ直さないといけなさそうなんですが、ナンバさんって研究のとき何/どんなやり方を心の軸に据えてますか?

––––文章の読み方は、特定の哲学者を研究するのではない限りは、「目的を持って読む」のが一番いいかなあと思います。むしろ、自分の場合は何の目的もなく勉強で読む文章は教科書くらいで、専門書を読むときは必ず目的を持って読んでいますね。もう少し具体的に言えば、自分の議論のパーツにどう使えるかとか、自分の議論の反論や反例、傍証になるかどうかを考えて読んでいます。なので、一冊の本を丁寧に読み通す、ということは、ほとんどないですね。

Mさん ありがとうございます。検索的な読み方、と言えるかも。最初の目的の磨き込みや設定が間違えているとなんか違うんだよな、的なところに辿り着いてしまう。
その本全体を読んで体感することや、作品全体の大きな構造の分析そのものが目的なら、ただ読む、あるいは細かく細かく精読する、というスタンスはあり得る。けれど議論やその材料のために使うなら、検索的に読む。

––––そうですね。例えば、ハイデガーを研究する人ならむしろ精読方式が正しいはずです。

Mさん ああ、確かに。特定の人物を研究する場合は精読になる。何かを立ち上げたりしたい時は精読というより検索っぽい感じ。

最近『自省録』を読んでいたら、自分の本の読み方が「たしかに全体を読んでいるけど、これなんで読んでいるんだっけ?」みたいな状態になっていたんですよね。読み終えることに変なこだわりが発生していたことを自覚できました。ナンバさんありがとう。

––––こちらこそ話していて二つの読み方があることに気づかされました。精読型と検索型。

Mさん 最近は普段の生活で多くの時間を占めている仕事が、テーマに対するアスリート的(研究者的?)なものではないので、いつの間にかこういうフォームの崩れが生じるからこわい。

––––フォームの崩れ、というのもおもしろいですね。たしかに、目的を定めない読書ほど難しいかもしれません。極端に言えば、誰しもが研究テーマを持って読書したほうが本を読みやすいんじゃないかな、と思うんです。論文じゃなくて、きっと作品づくりのために読む人もいると思うけれど、何かしら目的をもって本を「使う」という目論見のもとで本を精読するのか、検索するのかを決めるとよいのでしょうね。