はじめに
こんにちは。神戸大学人文学研究科修士課程在籍の難波優輝です。1月25日に大妻女子大学にて開催された「描写の哲学研究会」(松永伸司さん主催)にて発表した「これは人間ではない––––キャラクタの画像の何がわるいのか」のかんたんな解説と資料の公開をします*1。加えて、じぶんが現在構想している「応用美学」のスケッチを共有します。分析美学、描写の哲学、ジェンダー表象、そして、哲学と実践に関心のある方はお読みいただければさいわいです。
「これは人間ではない––––キャラクタの画像の何がわるいのか」
以下、資料のリンクとかんたんな解説を記載します。
資料
・スライド:
・配布まとめ資料:
引用例
難波優輝. 2020. 「これは人間ではない––––キャラクタの画像の何がわるいのか」描写の哲学研究会, 大妻女子大学.
または、難波優輝. 2020. 「これは人間ではない––––キャラクタの画像の何がわるいのか:発表スライド/まとめ」描写の哲学研究会, 大妻女子大学.
解説
本発表はわたしの修士論文+単著『ポルノグラフィの何がわるいのか––––議論のための哲学的マッピング』に収録される予定の「ポルノグラフィと画像の行為」の章の最初の構想です*2。
発表説明の前に、この発表の位置づけを紹介します。
現在のわたしのおおきな問題関心は、ポルノグラフィの倫理的問題です。現在、わたしは、ポルノグラフィが倫理的に問題があるとすれば、それはどのようなものかを整理するための枠組みをつくる研究をしています。規制論や道徳的制裁の手前で、わたしたちが適切な議論を行うのに役立つような枠組みをつくることを目指しています。
その第一弾はこちらになります。
第二弾はこちらです。
【資料公開】「制作するフィクション」
— ナンバユウキ (@deinotaton) 2019年12月10日
12月7日第14回芸術学研究会「フィクションパワー」(神戸大学芸術学研究室)の発表資料です。
フィクションが現実をいかに構成しうるのかを社会存在論と分析美学、言語哲学における「総称文」の議論を手がかりにスケッチしたものです。 https://t.co/Wrcm4bTmRb
このような研究の流れの中で第三弾として、「虚構的キャラクタの画像」に関する問題––––虚構的なキャラクタの画像を提示することは、現実の女性/男性についての何らかの主張や行為なのか、虚構的なキャラクタの画像提示の特有の倫理的問題とは何か––––本発表はこの問いに焦点をあてました。
本発表では、キャラクタの画像の何がわるいのか、すなわち、キャラクタの画像の何が倫理的問題となる/ならないのか、を問います。この問いはいろんな問いを含んだものなので、本発表で問われるのは、つぎのようなふたつの問いです。
虚構的なキャラクタの画像を提示する行為の倫理的問題を適切に問うために
(a)重要な要素はどれで、
(b)それらはどのように関わるか
そして、ふたつの答えが次のものです。
答え(a):(1)画像の内容の意味、(2)画像の使用の意味、(3)構成される行為、(4)提示者、(5)意図、(6)文脈、(7)ジャンル
の各要素が重要で、
答え(b):このように関わる、
「キャラクタの画像をめぐる倫理的問題に決定的な答えを与えることが目的ではなく、答えを与えるために問われるべき問いを共有する」。これが本発表の目的です。
虚構的キャラクタの倫理的問題を共有する手がかりとして『宇崎ちゃんは遊びたい!』に登場するキャラクタの画像が献血の呼びかけのための広報の一手段として用いられ、様々な議論がなされた例を、分析美学と言語哲学の議論や概念を手がかりに分析しています。
応用美学の構想
本発表で目指すこと、そして、もう少しひろく言ってわたしのしたいことは「応用美学(applied aesthetics)」と呼ぶのがふさわしいとさいきん考えています。
一方で、極端な例では純粋な理論的関心や魅力に従って研究されるような「基礎美学(foundation aesthetics)」(狭義の美的性質の存在論など)があり、他方で、極端な例では、具体的な関心や実践的要請から研究されるような応用美学があると考えています。
基礎的な研究を手がかりとしながら応用的な(言い換えれば具体的な)問題への分析を行なったり、逆に、応用的な(具体的な)問題から基礎的な研究へと問いをもたらしたりするように、基礎美学と応用美学はひと組になりわたしたちの知識を増やしたり、適切な議論の手がかりとなってくれるはずです。
わたしは、ポルノグラフィをはじめとして、虚構的なキャラクタの画像も含めた、セクシャルな、あるいはジェンダーとふかく関わる表象の倫理的問題に関心があり、研究を行なっています。その動機は、一方で、ジェンダー不平等な社会的状況をつくりだしたり、特定のジェンダーに属するひとびとへの倫理的に問題のある行為を適切に批判し、よりよい社会を目指すために哲学者/美学者として活動したいと考えているからであり、他方で、ポルノグラフィをはじめとして虚構的なキャラクタの画像を含めた、セクシャルな、あるいはジェンダーとふかく関わる表象を実際、鑑賞し、価値づけているひとりの鑑賞者として、ポルノグラフィをはじめとして虚構的なキャラクタの画像を含めた、セクシャルな、あるいはジェンダーとふかく関わる表象の制作や鑑賞の問題のある規制や検閲を避けながら、適切な改善の可能性を模索したいと考えているからでもあります。
応用美学は、(わたしの研究トピックで言えば)ポルノグラフィをはじめとする表象の倫理的問題に対する決定的な答えを与えるというより、答えを与えるために問われるべき問いを共有することをはじめ、わたしたちの実践をよりよく理解し、整理し、次の議論をよりよく行うためのインフラを整備することを目的のひとつとします。
むろん、応用美学はポルノグラフィをはじめとする表象の倫理的問題のみに関わる研究実践ではないものと考えています。たとえば、作品の存在論に関する応用美学は、ビデオゲーム作品のアーカイブとは何でありうるか(ゲームソフトだけか、その説明書などを含めるのか、さらには、ゲームプレイ動画も含めるのか、といった問い)や、カバー曲とは何か(どこまでが引用と認められうるのか)といった問いに対して、基礎美学を手がかりとしながら考察するトピックでありえます。わたしが想像していないトピックもまた数多くありうるでしょう。わたしの応用美学の試みの最初のものは、バーチャルYouTuber文化を理解するために、鑑賞者がバーチャルYouTuberをどのように鑑賞しているのかを分析するための枠組みをつくるといったものでした*3。
興味深いことに、すでに法学の分野において、わたしの枠組みを用いた議論がなされており、応用美学のひとつのあり方を示唆してくれています。原田伸一朗さんの2019年11月のご発表「バーチャル YouTuber の人格権および著作者人格権」(情報ネットワーク法学会第19回研究大会)。
・発表原稿リンク:https://researchmap.jp/?action=cv_download_main&upload_id=291490
わたしは、こうした作業が価値のあるものだと現在信じており、こうした作業に名前をつけて、その価値をよりよく伝えたいと考え「応用美学」ということばをひろく提示していきます。この営みにどのような価値がありうるのか、どのように実践に寄与しうるのかは、わたしが主張しているだけではもちろん示されえません。実際に様々な研究者、実践者と協同しながら、社会をよりよくするために応用/哲学者/美学者として研究と活動を行なっていきます*4。
難波優輝(分析美学と批評、応用美学)
注
*1:
*2:こちらの本をぜひ出版したいと考えており、編集者さんのお声がけをお待ちしております。ちなみに現時点での章立てと進捗状況は次のようになっています。 修士論文と『ポルノグラフィの哲学入門——美と倫理の微妙なライン(仮)』のプロジェクトマップです。ポルノグラフィの倫理的問題を分析哲学と分析美学の議論から整理し、これからの議論のための地図をつくります。編集者さんのお声がけを絶賛お待ちしてます⚓︎ pic.twitter.com/MyIlTJmdSY
*3:「バーチャルユーチューバの三つの身体」記事のブラッシュアップ版については、を参照してください。また、さいきんの議論については、と、を参照していただければさいわいです。
*4:まだ十分な研究を蓄積できていませんが、応用美学の入門書を書くことも目指しています。こちらも出版社さんからのお声がけをお待ちしております。 『応用美学を学ぶ人のために』(仮案) pic.twitter.com/eUCG47hndy