Lichtung

難波優輝|美学と批評|Twitter: @deinotaton|批評:lichtung.hateblo.jp

プロフィール

名前

ナンバユウキ

連絡先

Twitter: @deinotaton

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プロフィール

分析美学を手がかりとして、フィクション、批評、そして芸術と倫理との関係を研究しています。特に、現在は人間とキャラクタの表象についての理論の構築に関心を持っています。また、批評に美学の道具立てを応用する試みを行なっています。以下、研究関心について説明します。 

1. 芸術とは何か

卒業研究では、「芸術とは何か、そしてそれはどのようにして明らかになるのか」という題のもと、芸術の概念とそれを問う方法論について取り組みました。動機としては、芸術という概念が持つ特有の評価的な含みがどのようにして作り上げられたのかに関心があったからです。
第一に、分析美学における芸術の定義論を取り上げ、その成果から、必要十分条件の探索に加えて、第二に、芸術の概念史を追う必要を主張しました。主には、P. O. クリステラーの古典的著作「近代的な諸芸術の体系」にある、「芸術の体系すなわち、詩・絵画・彫刻・音楽・舞踊という五つの代表的な芸術形式を要素とする一つのグループが18世紀に始めて誕生した」とする主張を、それが依拠するアリストテレスプラトンの言説を精査する限りでは根拠不十分であることを先行する議論を手がかりに示し、芸術の概念史の研究の必要性を主張しました。

2. 芸術から、様々な表現へ

芸術の概念の研究を進める中で、芸術という大きなカテゴリのみならず、絵画や写真、映画や音楽といった様々な形式のそれ自体の特徴に注目する重要性を再確認し、現在では、ファッション、アイドルなどいわゆる伝統的な芸術形式とはみなされないようなポピュラー文化の分析を進めています。
とはいえ、わたしは根っからのアイドルファンでもおしゃれ好きでもありません。しかしだからこそ、こうしたポピュラー文化に興味を持っています。
なぜなら、わたしたちが幼い頃から影響を受けてきた/受け続けているのは、こうしたポピュラー文化における表現であり、ゆえにこそ、生活に織り込まれたポピュラーなものの分析と批判からわたしたちの感性の日常的なあり方が(そしてその倫理的問題が)明らかにされると考えているためです。そこで、特に、わたしたちの身近に存在し、それに深く関わっている表現形式、すなわち、「人間の表象が鑑賞される文化」について取り組んできました。

3. パーソン、ペルソナ、キャラク

具体的には、アイドルやキャラクタをはじめとする人間のあるいは擬人的な表象が鑑賞される文化実践に関心を持ち、これまで、2017年末からネット文化に浸透しはじめたバーチャルYouTuberという、アイドル、YouTuber、そしてキャラクタ文化が重なり合った特徴的な文化について、メディア論、美学、スター研究を手がかりに、パーソン、ペルソナ、そしてフィクショナルキャラクタの三層からなる文化形式についての理論を構築しつつ研究してきました(難波 2018a; ナンバ 2018b)。今後、その美的特徴を明示化しつつ、倫理的問題との関係からも研究を続けていきます。

4. 美学の実践としての批評

こうした理論構築の作業と並行して、分析美学や芸術学において提示された道具立てを批評に応用することを試みています。たとえば、虚構的ポルノグラフィと窃視の倫理性に関する議論を用いた映像批評(難波 2018b)や芸術のカテゴリを用いての(ナンバ 2018a)あるいは、映画の哲学や人形美学の議論を援用した作品批評(ナンバ 2018c)を行っています。
理論と概念は自律的に構築されうるわけではなく、実践や実際の表現を記述、理解するためにあり、逆に、実践と記述は、理論と概念とによって部分的にせよ形作られうると考え、美学研究とその実践としての批評の往復をひとりの実践者として試みています。

研究キーワード
  • 美学、分析美学、芸術の哲学、音楽哲学、批評、フィクション、ポルノグラフィ、パーソン、ペルソナ、キャラク
研究分野
  • 芸術学 / 美学・芸術諸学 / 
書籍など出版物
ユリイカ 2018年7月号 特集=バーチャルYouTuber

ユリイカ 2018年7月号 特集=バーチャルYouTuber

 

ユリイカ』2018年7月号(担当:分担執筆、範囲:バーチャルYouTuberの三つの身体––––パーソン、ペルソナ、キャラクタ)

論文

難波優輝. 2018a.「バーチャルYouTuberの三つの身体––––パーソン、ペルソナ、キャラクタ」『ユリイカ』50 (9) 特集バーチャルYouTuber, 青土社, 117-125. [依頼あり]
難波優輝. 2018b. 「鳩羽つぐとまなざし––––虚構的対象を窃視する快楽と倫理」『硝煙画報』第一号, 81-87. [依頼あり]

個人ブログ記事

ナンバユウキ. 2018a. 「鳩羽つぐの不明なカテゴリ––––不明性の生成と系譜」Lichtung Criticismhttp://lichtung.hateblo.jp/entry/2018/03/25/044503
ナンバユウキ. 2018b. 「バーチャルユーチューバの三つの身体––––パーソン・ペルソナ・キャラクタ」Lichtung Criticism, http://lichtung.hateblo.jp/entry/2018/05/19/バーチャルユーチューバの三つの身体:パーソン

ナンバユウキ. 2018c. 「高い城のアムフォの虚構のリアリズム––––虚実皮膜のオントロジィ」Lichtung Criticism, http://lichtung.hateblo.jp/entry/2018/08/10/『高い城のアムフォ』の虚構のリアリズム:虚実

ナンバユウキ. 2019.「『ガールズ ラジオ デイズ』––––周波数を合わせて」Lichtung Criticism, http://lichtung.hateblo.jp/entry/2019/01/16/『ガールズ_ラジオ_デイズ』––––周波数を合わ

電子発行物

ナンバユウキ. 2018a. 『音楽哲学入門読書ノート』Lichtung Mallhttps://lichtung.booth.pm/items/963883
ナンバユウキ. 2018b. 『高い城のアムフォの虚構のリアリズム––––虚実皮膜のオントロジィ』LIchtung Mallhttps://lichtung.booth.pm/items/960935

関連サイト

研究ブログ:Lichtung http://lichtung.hatenablog.com

批評:Lichtung Criticism http://lichtung.hateblo.jp

電子発行物:Lichtung Mall https://lichtung.booth.pm

美学相談〈ソフィスト〉はじめました

はじめに

こんにちは。難波優輝です。2021年、神戸大学大学院人文学研究科博士課程前期課程修了(文学)、

感性と表現に関する哲学的問いの調査・解決・教育サービス〈ソフィスト〉を行っております。

おかげさまで2019年は9月から2年目となりました。

本記事はそのサービスの紹介、名前の由来、そして、サービスをはじめた理由と展望をご説明いたします。

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ソフィスト〉とはどんなサービスか?

・〈ソフィスト〉とは、「感性と表現に関する哲学的問いの調査・解決・教育サービス」です。主に分析美学を専門とする難波が、クライアントさまのご提案に応じて、感性と表現に関する哲学的問いにまつわる疑問を解決するためのお手伝いをしたり、学習や研究の参考になるような文献をいっしょにお探ししたり、また、原稿などについて添削やアドバイスを行うサービスです。

・たとえば、次のようなサービスが候補にあります。

  • 哲学の文献の読み方をお教えする。
  • テーマの探し方や文献の探し方をお教えする。
  • 文章の制作の仕方を構想からお教えする。
  • わたしが専門として取り組んでいるバーチャルYouTuber、アニメーション、美的なものと倫理的なものの関係、おしゃれ、音楽の哲学などのトピックをお話しする。
  • わたしに美学よもやま相談をしていただきどんな研究があるかをご紹介する。
  • 独学の方法をお教えする。
  • 大学院選びのお手伝いや研究へのご質問にお答えする。
  • 作品制作の際に参考となる美学の議論や概念、枠組みをご紹介する。

なぜ〈ソフィスト〉なのか?

ギリシアにおいて弁論の技術を対価を伴って教えていたというソフィストたちに習って、「美学教育と相談を価値に変える」という文化を作り出そうという野心のもとはじめました。

・昨今、人文系の大学院に所属する、あるいは人文系の大学院を卒業したひとびとには、そのスキルに合致する職業がじゅうぶんにあるとは言えません。そこで、ないならつくってしまおうと思い立ちました。

・研究のスキルを価値に変える、というスタイルは伝統的なイメージの中の、「学究に邁進し、暮らし向きに無頓着な哲学者」というスタイルとは、対立するわけではないものの、すんなりとは馴染まないでしょう。ここで哲学者には避けられてきた「ソフィスト」ということばを自称とするのは、アカデミックな世界での生活の困難な時代がはっきりと姿を現しつつある現時点で、研究に専念し、アカデミックな所属によって生活をつなぐのみの哲学者のモデルから新しい哲学者の生き方のモデルを探そうとする試みのモチーフとして、この言葉がふさわしいと考えるからです。「学究に邁進しつつ、そのスキルをひとびとに提供して生きていく哲学者」という生き方をソフィスト的生き方とだぶらせ、その実現を試みます。

ソフィスト〉とは誰か?

・現在、〈ソフィスト〉のメンバーはわたし難波優輝ひとりです。わたしは、分析美学を手がかりに、ポピュラーカルチャーの分析を行っています。フットワークの軽さや異なる文化に属するひととのコミュニケーションに臆さないことがわたしの武器です。研究者としては駆け出しですが、何にでも興味を持つ能力に関しては誰にも負けないし、誰も足を踏み入れていない地点に飛び込む勇気にかけては、知り合いの研究者の中でも指折りだと自負しています。

・〈ソフィスト〉のサービスにおいて、クライアントの知識は話しながら確認していき、いっさい前提しません。哲学の名を冠している限りは、知らないことを知れることが、そして、知らないことを知らせることができることが価値あることだと思える空間をつくりたいと考えています。ですのでクライアントの方には、安心して「いったい何を言っているの?」「もっと教えて!」と質問していただければさいわいです。

・難波の素性や業績はつぎのresearchmapという研究者用サイトをご覧ください。

・まだ遠い先の話ですが、難波の実践がうまくいけば、継続するなかで、ソフィストのメンバーも増やしていければと考えています。

なぜ〈ソフィスト〉をはじめるのか?

・音楽家にとって演奏会がその活躍の主たる場であるように、論文と発表が学者の舞台です。ですが、それで生きていくのにじゅうぶんなお金は発生しません。

・もちろん、寄稿する雑誌の運営の方は原稿料をくださいます。しかし、生活するためには、論文執筆では十分ではない。なので、論文書きは発表会、演奏会と考えて、それ以外の教育や調査で稼ぐという、演奏家音楽教室スタイルが哲学者の取りうる有力な道のひとつだとわたしは考えています。その音楽教室が過去はアカデミックな就職口、大学の教授、講師でした。ですが、この国の現状をみていると、特に人文系の就職状況に関しては、かなり厳しいものがあります。

・公の野望は、哲学者の個人教室の流行です。哲学者が論文を舞台としつつも、哲学の教室や個人教授で暮らしていけるロールモデルを模索し、わたし自身が実践していきます。

時間と体系

・時間:基本は90分、Skypeやhangoutなどを介して、一対一を基本としています。ご要望により、30分、60分のサービスも可能です。その場合、90分を基準に割って計算いたします。

・90分(30分、60分)のレクチャを一回として、気になったことだけについて一回きりでもまったく構いませんし、継続してご依頼頂くこともできます(とてもありがたいです)。

・おおきくみっつのサービスと対応して違いがあります。2020年2月17日時点でつぎのようになっています。以下は税別です。

  1. 美学や研究全般についての相談(大学院選び、美学よもやま話)、分析美学概論→90分、9000〜
  2. 添削指導や研究、勉強方法の指導→90分、12000〜
  3. 個別のトピックに関するレクチャ→90分、15000〜

・クライアントさまのご要望をわたしが理解したものをご提示し、「こちらの内容ですと、2.になります。そして、60分とのことで、こちらの数字になります」など、先に計算を確認した後にはじめてレクチャの開始となりますのでご安心ください。

・基本的にはレクチャの後に指定の振り込み先をお伝えいたします。

・個別のトピックに関するレクチャやサーベイなど、準備に時間や調査、資料収集が必要な場合は見積もりの額を先にいただきます。

・複数人や長いスパンでのレクチャや指導(原稿執筆の継続的な添削や勉強の長期にわたるアドバイス)などもご相談くださいませ。グループですと割引きもあります。

・現在のところはskype講座外での継続的なサービス(メールでの相談サービス、個別の論文添削サービスなど)は行なっていません。ですがご依頼があれば個別に対応いたします。

申し込みフォーム

Twitterでも受け付けています。

おわりに

・〈ソフィスト〉のような試みは、同時代に行なっているかたを見つけることはできず、完全に手探りの状態です。哲学・美学は決して不必要でも役に立たない学問でもなく、わたしたちがよりよく、よりたのしく生きるにあたって役に立つ学問だと信じています。それゆえ、よりよく、よりたのしく生きることを望むかたがおられる限りは、哲学・美学を必要とするかたがいらっしゃると考え、これから〈ソフィスト〉を運営、発展させてくことはできると考えています。

・より実際的な話として、研究者が生き延びる方法の多様化を目指し、研究者が、アカデミックなポスト以外で、しかし、そのスキルを活かし、研究を続けながらどのように生き延び得るかを、試行錯誤のなかで考えていきます。応援どうぞよろしくお願いいたします*1

難波優輝/ナンバユウキ(分析美学と批評)Twitter: @deinotaton

*1:ちなみに、〈ソフィスト〉のロゴは、ふたりの人間が向かい合うさま、そして、sophistのふたつのsのギリシア文字の大文字のΣをフューチャーしています。

おしごとさがし

はじめに

こんにちは。神戸大学大学院人文学研究科博士課程前期課程所属、分析美学の研究と批評を行なっている難波優輝です。これまでに『ユリイカ』『ヱクリヲ』『vanitas』などに論考を寄稿してきました。

現在は、修士論文に向けて、「ポルノグラフィと社会的公正」をテーマに、ポルノグラフィを例として、表象やフィクションが現実に与える影響とその倫理的問題を研究しています。

また、昨年から、アイドル、バーチャル/YouTuberに代表される、メディアを介した人間の現れを「メディアペルソナ」として概念化し、こうしたペルソナと鑑賞者との関係や鑑賞実践を「層状の文化」と呼び、幅広く研究を行なっています。

本稿では、準備中のテーマをリストアップしています。お仕事のご依頼の参考にして頂ければ幸いです。

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プロフィール

連絡先:Twitter: @deinotaton

Mail: deinotaton☆gmail.com(☆を@に変えてください)

分析美学を手がかりとして、フィクション、批評、そして芸術と倫理との関係を研究しています。特に、現在は人間とキャラクタの表象についての理論の構築に関心を持っています。また、批評に美学の道具立てを応用する試みを行なっています。

(a)準備中のテーマ

以下、準備中のテーマを提示しています。これらは文献を集めたばかりであるか、他の執筆と同時に調査しているものです。

じぶんのペルソナ研究プロジェクトには直接関与しないため、原稿の依頼がない限り、優先順位は低いです。ぜひご依頼をお待ちしております。

(1)食の美学

・「おいしい」とはどういう経験か/理想的な鑑賞者の条件とは何か/倫理的にわるい食事とそのおいしさとはどう関係するのか/食事は美的経験か。

「おいしさの構造」

「おいしい」にはいろんな経験がある。辛くておいしい、苦くておいしい、甘くておいしい。あるいは、さくさくしておいしい、なめらかな舌触りがおいしい、さらには、後味がおいしい、鼻に抜ける香りがおいしい。単に舌の味覚器官に与えられた情報のみならず、香りや触覚もそれおいしさの経験を形作るものだ。このように「おいしい」には多様な経験が伴うが、いったい「おいしい」という経験とはどのような経験なのだろうか。それは「湯船につかってあたたかくて気持ちいい」や「音楽を聴いて心地よい」とは違った経験であり、甘さや苦さには尽くされない経験である(甘いだけでおいしくない。苦いだけでおいしくないという経験はふつうにある)。すなわち、おいしいという経験は、少なくとも、(1)快と結びついているが、それに尽くされず、(2)特定の味に尽くされない。おいしいという経験を美的経験の側面から分析してみよう……

(2)感傷とノスタルジアの美学

・感傷とは何か/セカイ系やノスタルジックな恋愛シミュレーションにおけるノスタルジアはなぜ心地よいのか/感傷には心の痛みや喪失感を伴うのに、なぜ心地よいのか/感傷やノスタルジアは非難されるべきなのか。

「存在しない思い出に向かって」

夏の日、親戚の家の縁側、どこまでも続く向日葵畑、風に吹き上げられて飛んでいく白い帽子の影……わたしたちは、なぜ、経験したこともない思い出を思い出し、感傷に浸ることができるのだろうか。本稿では、分析美学における感傷に関する議論を手がかりに、わたしたちに挿入される存在しない思い出を分析し、その分類と、独特の美的経験の諸相を明らかにしたい。それは、存在しないはずの記憶を共有することでひとびとを動員するノスタルジアの危険と美学とを再考する手がかりとなるだろう……

(3)怪異譚と怪物の美学

・ネットロアやフォークロア特有の美的経験とは何か/ホラー映画と異なる怪異譚の特徴とは何か/SCPなどの特定の怪異譚の美的価値について/怪異譚は世界についてのなんらかの真なる命題をもたらすか。

「怪異譚と真理」

怪異譚はなぜこわいのだろうか。ネットロアを読む恐怖は、よくできたホラー作品を読む恐怖とは、どこか異なっているように思える。それは、フィクションをフィクション然として読む経験ではなく、いつのまにか現実から現実でない世界の法則へと足を踏み入れてしまった恐怖ではないか。だとすれば、それは、フィクション論における語りの真理のあり方と、その受容の分析の道具立てを用いてよく分析できるはずだ。本稿では、分析美学の視点から、怪異譚がほかのホラージャンルとどのように異なるのかを明らかにしたい。そうすることで、わたしたちは、怪異譚と伝聞、そしてフェイクニュースとの間の思わぬ連関を見出すことになるだろう……

(4)ショッピングモールの美学

ヴィレッジヴァンガードニトリ無印良品、フードコート、GU、スタジオアリス好日山荘といった店舗とひとびとのライフスタイルの交錯を描く。

(b)骨格ができたテーマ

以下は、すでにブログ記事を執筆しており、また、ある程度読むべき文献が定まっているテーマです。

(1)詩の哲学/入門

(2)聖地巡礼の美学

その他のご依頼について

以上のテーマにとどまらず、様々なテーマやトピックに関するご依頼をお待ちしています。特に、詩、音楽(特にポップス)、サブカルチャー作品に関する考察が得意です。

おわりに

わたしは、現在、サブカルチャー文化の解説にとどまらず、その現象を経験しているひとはどのような経験をしているのか、それを整理し、その文化を経験していないひとへと開いていくような文章を執筆しています。それはたんに文化や作品の紹介ではなく、それに対する批判や反応も含めて、文化の発展に寄与するはずです。

また、ポピュラーな対象にアカデミックな意匠を施して、「芸術的価値」のお墨付きを与えるのではなく、ポピュラー対象がそれ自体で考察に値する価値や問い、さらには倫理的問題を投げかけていることをあらためて提示することで、その意義と問題と開いてゆくことを目指しています。

こうした立場は特定のものであり、わたしの個人的なものですが、制作者ではないわたしがわたしとして、文化に対してもたらすことのできる貢献だと考えています。

文化の解説のみならず、その価値を見出し、あるいはその問題に光をあてようとするとき、哲学的なアプローチはそのお力になれるはずです。ぜひ、分析美学の視点から文化の研究と分析のお手伝いさせてください。

難波優輝(美学)Twitter: @deinotaton

いくつもの身体のあいだで––––バーチャルYouTuber、おしゃれ、ペルソナ(海賊版)

はじめに

こんにちは。神戸大学大学院人文学研究科博士課程前期課程所属のナンバユウキです。分析美学とポピュラーカルチャーを研究しています。

先日、2019年7月27日にYouTube上で行った「361°アートワークス配信「バーチャル美少女学のための10のガイドトーク 1時限目」」にて、「いくつもの身体のあいだで–––バーチャルYouTuber、おしゃれ、ペルソナ」と題しまして、バーチャルYouTuber、おしゃれ、そしてペルソナ論を横断しながら、バーチャルな身体とリアルな身体との関わりを議論しました。

本記事では、その資料、さらに未公開資料を共有するとともに、ネタ元の論文のリンクを挙げます。

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資料

・発表のアーカイブはこちらです。

「361°アートワークス配信「バーチャル美少女学のための10のガイドトーク 1時限目」」

・2019年7月27日にYouTube上で行った「361°アートワークス配信「バーチャル美少女学のための10のガイドトーク 1時限目」」での発表スライドです。researchmapのアップロードデータの制限のため、写真のいくつかは記載していません。

・実は行き違いで最新版が反映されていませんでした。確認はだいじですね。気をつけます。せっかくつくったので、最新版の、しかも読み上げのガイド原稿も付加したバージョンも共有します。区別がややこしいので、こちらの最新-原稿付加版は「海賊版」と呼ぶことにします。

・難波優輝. 2019. 「いくつもの身体のあいだで–––バーチャルYouTuber、おしゃれ、ペルソナ(海賊版)」、1-52. <https://drive.google.com/file/d/1HI0XDFzzvT3WApGhEaq62tfEccfZMSV9/view?usp=drivesdk>.

・こちらの発表原稿を再編して論考として発表したい気持ちもあります。ぜひお声がけくださいませ。

内容

1. バーチャルYouTuber

バーチャルYouTuberの三層理論、ふたつのペルソナとしての鑑賞のくべつ、そして、ペルソナとペルソナイメージの違いについてお話ししました。

・ネタ論文はこちら

難波優輝. 2018.「バーチャルYouTuberの三つの身体:パーソン、ペルソナ、キャラクタ」『ユリイカ』50 (9) 特集バーチャルYouTuber、117-125頁、青土社.

難波優輝. 2019. 「バーチャルYouTuberエンゲージメントの美学––––配信のシステムとデザイン」『ヱクリヲ vo. 10』、44-64頁、ヱクリヲ編集部. 

ユリイカ 2018年7月号 特集=バーチャルYouTuber

ユリイカ 2018年7月号 特集=バーチャルYouTuber

 
ヱクリヲ vol.10 特集I 一〇年代ポピュラー文化――「作者」と「キャラクター」のはざまで 特集II A24 インディペンデント映画スタジオの最先端

ヱクリヲ vol.10 特集I 一〇年代ポピュラー文化――「作者」と「キャラクター」のはざまで 特集II A24 インディペンデント映画スタジオの最先端

  • 作者: 高井くらら,横山タスク,伊藤元晴,山下研,さやわか,西兼志,得地弘基,難波優輝,楊駿驍,横山宏介,堀潤之,小川和キ,伊藤弘了,佐久間義貴,村井厚友,福田正知
  • 出版社/メーカー: ヱクリヲ編集部
  • 発売日: 2019/05/10
  • メディア: 単行本
  • この商品を含むブログを見る
 

・ネタ元のブログはこちら

ナンバユウキ. 2018.「バーチャルユーチューバの三つの身体––––パーソン・ペルソナ・キャラクタ」Lichtung Criticism, <http://lichtung.hateblo.jp/entry/2018/05/19/バーチャルユーチューバの三つの身体:パーソン>. (2019年7月27日最終アクセス)
ナンバユウキ. 2018. 「バーチャルYouTuberスタディーズ入門」Lichtung Criticism, <http://lichtung.hateblo.jp/entry/2018/06/27/バーチャルYouTuberスタディーズ入門:コミュニケーシ>. (2019年7月27日最終アクセス)

2. おしゃれ

・おしゃれの定義、装い、ペルソナ、イデアルなどの概念を紹介しました。

・ネタ本はこちら

難波優輝. 2019. 「おしゃれの美学––––パフォーマンスとスタイル」『vanitas 006』、138-156頁、アダチプレス.

vanitas No. 006

vanitas No. 006

 

3. いくつもの身体

・デジタルな装い、装いの倫理の問題について語りました。

・主たるネタ元はなく、これから書きたい論文の予告編です。

参考文献

Etengoff, C. 2012. “Fashioning Identities in Virtual Environments.” Fashions: Exploring fashion through culture. Probing the Boundaries at the Interface Series, ed. J.L. Foltyn, 135-150. The Inter-Disciplinary Press.
Goffman, E. 1956. The presentation of self in everyday life. University of Edinburgh.(『行為と演技——日常生活における自己呈示』石黒毅訳. 1974. 誠信書房.)
Jenkins, K. 2017. “What women are for: Pornography and social ontology.” In Beyond speech: Pornography and analytic feminist philosophy,  ed. M. Mikkola, 91–112. Oxford University Press.
Horton, D., & Richard Wohl, R., 1956. “Mass communication and para-social interaction: Observations on intimacy at a distance.” Psychiatry, 19 (3), 215-229.
松永伸司. 2018. 「俳優、着ぐるみ、VTuber」、9BIT: GAME STUDIES & AESTHETICS, <http://9bit.99ing.net/Entry/87/>.(2019年7月27日最終アクセス)
ナンバユウキ. 2018a.「バーチャルユーチューバの三つの身体––––パーソン・ペルソナ・キャラクタ」Lichtung Criticism, <http://lichtung.hateblo.jp/entry/2018/05/19/バーチャルユーチューバの三つの身体:パーソン>. (2019年7月27日最終アクセス)
––––. 2018b. 「バーチャルYouTuberスタディーズ入門」Lichtung Criticism, <http://lichtung.hateblo.jp/entry/2018/06/27/バーチャルYouTuberスタディーズ入門:コミュニケーシ>. (2019年7月27日最終アクセス)
難波優輝. 2018.「バーチャルYouTuberの三つの身体:パーソン、ペルソナ、キャラクタ」『ユリイカ』50 (9) 特集バーチャルYouTuber、117-125頁、青土社.
––––. 2019a. 「バーチャルYouTuberエンゲージメントの美学––––配信のシステムとデザイン」『ヱクリヲ vo. 10』、44-64頁、ヱクリヲ編集部. 
––––. 2019b. 「おしゃれの美学––––パフォーマンスとスタイル」『vanitas 006』、138-156頁、アダチプレス.
––––. manuscript. 「ポルノグラフィをただしくわるいと言うためには何を明らかにすべきか」< https://researchmap.jp/index.php?action=pages_view_main&active_action=multidatabase_view_main_detail&content_id=25217&multidatabase_id=68853&block_id=2580832#_2580832 >. (2019年7月27日最終アクセス)
Riggle, N. 2015. “Personal style and artistic style.” The Philosophical Quarterly, 65 (261), 711-731. 
Roach-Higgins,E. M. & Eicher, J. B. 1992. “Dress and identity.” Clothing and textiles research journal 10 (4), 1-8.

参照サイト、参照動画

FAVRIC. 2019. <https://twitter.com/favric_live?s=17>.
アイコン動画館. 2019. 「【合計1000人】2018年バーチャルYouTuberたちのチャンネル登録者数をアイコンで表現する動画」アイコン動画館_IconVideos、< https://youtu.be/1QjEc4MfJDE >. (2019年7月27日最終アクセス)
ねこます. 2018. 「それはとっても世知辛いなって【002】」バーチャル番組チャンネル、< https://youtu.be/DoVh4Fc43Bo >. (2019年7月27日最終アクセス)
「VRoid Studio」、< https://vroid.com/studio/ >. (2019年7月27日最終アクセス)
「[ VRoid WEAR × chloma ] Y2K Anorak for VRoid コンプリートセット」< https://vroid.booth.pm/items/1330521 >. (2019年7月27日最終アクセス)
ZOZO FashionTechNews. 2019. 「フォロワー160万も、人間を超えつつあるバーチャルインフルエンサー。今注目の12人」ZOZO FashionTchNews、< https://ftn.zozo.com/n/ncc6095dabeb8 >. (2019年7月27日最終アクセス)

おわりに

はじめてのYouTube上での発表だったので、ラグの確認など問題がありました。ですが、家から研究発表できるのはすごくおもしろくて不思議な体験でした。これからも引き続き研究を進めるとともに、発表の機会もいただければ積極的に参加したい、と思いました。なので、ご興味のある方、企業さんはぜひお声がけください。バーチャルYouTuberの基礎を考えるためのお話を、今回できなかった点も含めて、ぜひお話ししたいです。ちなみに、

です。よろしくお願いいたします。

ナンバユウキ(美学と批評)Twitter: @deinotaton

ポルノグラフィをただしくわるいと言うためには何を明らかにすべきか:資料公開と感想記

はじめに

こんにちは。神戸大学人文学研究科、芸術学専修、現在修士課程一年のナンバユウキです。分析美学を手がかりにポピュラーカルチャーの分析と批評を行なっています。

2019年7月13日から翌14日にかけて、東京・代々木の国立オリンピック記念青少年総合センターにて開催された哲学若手研究者フォーラムにおいて、二日目に分析哲学と分析美学からポルノグラフィの倫理的問題の問いの場と、そのわるさの理由を分析する「ポルノグラフィをただしくわるいと言うためには何を明らかにすべきか」を発表しました。

本稿では、第一に、資料公開とその簡単な内容紹介、じぶんの研究における位置づけをご紹介し、第二に、発表した感想を共有します。

今回が修士論文に向けた公での研究発表の第一回でした。研究初期のアイデアを研究会を超えて本稿のようにブログで共有するのは、あまり見たことはないです。一般に修士論文の内容や計画を公に共有することも同様です。

ですが、その都度研究状況を共有したほうが、関心領域の一致する研究者と議論しやすくなるし、また、ひろく一般に、分析美学や分析哲学が何をやっているのかのアピールになるかなと考えたうえでの試みです*1。のみならず、発表の感想や改善点を共有する研究文化をつくっていきたいなという目論見もあります。

そう言う話は抜きにしても、ポルノグラフィ研究に関心があるひと、ポルノグラフィを哲学の視座から考えたいひと、ポルノグラフィの倫理や美学からの問題を問いたいひとに役立てばと思います。

資料と内容

資料

・資料はこちらで公開しています(PDF)。

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・引用例:難波優輝. 2019. 「ポルノグラフィをただしくわるいと言うためには何を明らかにすべきか」2019年度哲学若手研究者フォーラム、<https://researchmap.jp/multidatabases/multidatabase_contents/detail/293105/ec83452b99a0bd2d1c797d40d5240ae4?frame_id=603867>.

・資料は、適宜引用、言及、共有してくだされば。共有の際には元リンクを使用していただけるとうれしいです。どれくらい共有されたかがわかるので。

・略称は「ポたべき」です。ハッシュタグは、#ポたべき。

内容

・発表は、修士論文「ポルノグラフィと社会的公正––––定義、分類、虚構(仮)」を構成する要素として計画しています。第1章は、ポルノグラフィの定義論を概観し、第2章に、発表で目指したものを組み込めればと考えています*2

・発表の内容はおおきく二つから構成されています。第一に、「わるさフロー」の構築です。(1)「ポルノグラフィがわるい、と言われるときのわるさをめぐって争われる領域はどこか」(2)「わるさの理由とは何か」を整理しわるさの領域と理由の関係を整理する「わるさフロー」を構築を、言語行為論(レイ・ラングトン)、社会存在論(キャサリンジェンキンス)、趣味論(A・W・イートン)を参照しつつ目指しました。そして、第二に、わるさフローの中身を研究するアプローチとして現在考えているものを、とくに言語行為論の議論を手がかりに提示しました。

・参照領域は、全体として分析哲学です。第一のパートでは、言語行為論、社会存在論、分析美学の議論を、そして、第二のパートでは、言語哲学におけるヘイトスピーチや差別研究、分析美学における「画像と行為」*3の研究を意識しています。

なぜポルノグラフィなのか

・わたしはポルノグラフィが好きでたまらない、というわけではないですが、そのひじょうに独特な内容や扱われ方、そして倫理的問題との関わりに関心を持っています。広範に流布していながら、一筋縄ではいかないトピックとして、そして、その議論の際には、主たる専攻としている分析美学における画像、表象、虚構、鑑賞、情動、想像の問題にとどまらず、倫理学ジェンダー論、言語哲学、そして、ある種の政治哲学、法哲学との関わりを避けがたいトピックとして、そして、これらにひろく関心があるために、修士研究としてやりがいを感じています。

・上のような理論的関心のみならず、規制論などと関わる形で実践的にも関心があります。ポルノグラフィ規制論はどこまで正当な議論と言えるのか、あるいは、どこまで規制をすべきなのかを、直接的ではないにせよ間接的に議論するための土台を整理、構築したいと考えています。哲学や美学は規制に決定的な答えを与えるものではないでしょう。しかし、議論のためのインフラストラクチャを構築できると考えています。このインフラ整備のレベルにおいて、哲学や美学が「役立つ」とわたしは信じており、本発表がその一部をなす修士研究は、その信念をどこまで説得的に示しうるかの挑戦でもあります。いまだ道ははじまったばかりですが、どこまでいけるのか、わくわくしながら研究を進めています。

感想記

緊張

はじめての学会発表でした。何度か他の学会に参加したことはあり(応用哲学会や研究室主催の研究会)、ある程度学会というものの雰囲気は知っていたので、それほど緊張はしませんでした。

あと、ツイッタでかれこれ一年ぐらいの付き合いになるメンバーのひとが散見され、それも緊張を和らげた要因でしょう*4

オーディエンスの数と理由

・とてもありがたいことに40人規模の容量の部屋いっぱいにオーディエンスの方がいらっしゃいました。その理由として考えているのは、(1)ひろくトピックを扱うものであることをアピールしうるタイトルだった。(2)「ポルノグラフィ」の「わるさ」の問題というひろく関心を惹きうるタイトルだった。(3)ツイッタで宣伝していた*5。(4)知り合いのひとが来てくださった。の四つです。おそらく、(3)と(4)が大きな要因だろうと思っています。来ていただいたみなさまには感謝申し上げます。

・じぶんでじぶんの発表を宣伝するのは、発表が往々にして制作段階ゆえに緊張しますが、来ていただいて、コメントいただいてなんぼだと思うので、わたしは宣伝してよかったと思いますし、これからも継続して宣伝してきます。

資料の数と対策

・資料は、20部刷って行きましたが足りませんでした。それを見越して、QRコードを記載した資料も置いていました。

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・ただ、遅れて入ってきたひとは、急いでらっしゃるので、ペラ紙で置いていても気づかれにくいかもと思いました。発表中の進行のほうはじぶんでやっちゃえるので、しつれいながら、司会の方に入り口にいてくださるようお頼みして、ご案内をしていただくようにするのも手かな、と思いました。

発表の形式

読み上げ形式でいきました。とはいえ、語尾とかトーンはかなりしゃべり言葉に近くして、いらないところはばさばさ切っていったり、あるいは、前のほうのひとのしかめっつらを察知したときは、もうすこし例を足さないとむずかしいのかな、と判断して、追加で説明しました。分量は1万8千字ぐらいで、60分強発表、節ごとに軽い確認の質問を受け付け、さいごにまとめて質問を受け付けるかたちにしました。

喋り方

オーディエンスを見ながら、はっきりと大きな声で説明するよう心がけました。はやさについては、はやくちになってしまっていたな、と思うので、資料の分量とも兼ね合わせて、ここは改善の余地ありです。また、発表後に、「四隅をもっとみるとフロア全体をみている感じがしていいよ」というめちゃくちゃ具体的なアドバイスを頂いて助かりました*6

質疑応答

6人ほどの方に質問いただきました。他の研究会で質問していただいたことがあるひと、前日に発表を聞いたり話をしていたひとだったので、このひとはこんな質問のしかたをなされるよね、というのがわかっていたので、リラックスした環境でした。これがまったく初対面だと、またちがった緊張感がありそうですが。

全体

発表経験になり、様々な研究者の方と知り合えたし、また、課題も見つかったので発表してよかったです。若手で哲学を研究している方は、ぜひ、若手哲学研究者フォーラムに参加してみてはいかがでしょう。

フォーラムの運営のみなさまには、発表の場を準備していただき心より感謝いたします。司会の方には、司会を引き受けていただきありがとうございます。

あらためて、貴重な時間を割いて発表を聴きに来ていただいた、そして質問をしていただいたオーディエンスの方々には、心よりお礼申し上げます。いっしょに研究の時間を共有できてとてもたのしかったです。また議論しましょうね。

ナンバユウキ(分析美学と批評)Twitter: @deinotaton

更新履歴

2020/04/16、researchmap の改修によって切れていたファイルリンクを更新。

*1:ただ、これができるのは、データそのものが発見になるというより、議論のしかたが評価されうる、そして、プレイヤの顔がおおむね知れ渡っている(分析)哲学/分析美学の特殊な条件に由来する気もする。

*2:ちなみに、第3章以降は、発表で提示したアプローチのいずれかを具体的に発展させていく予定です。

*3:このトピックにはかなり関心がある。修士論文とともに、他のジャンルの研究とも連動してこれから主題となるテーマ。画像と行為に関してはナンバにお任せくださいと言えるようになる。

*4:壇上から見渡すと、日本の分析美学者集めました状態だった。

*5:こんな感じ。

*6:哲学的論理学を研究しておられる方、ありがとうございます。

音楽の哲学にはどのようなトピックがあるのか

はじめに

じぶんが分析美学の研究をはじめるにあたって、芸術の哲学、分析美学の研究者の森功次さんの記事「分析美学にはどのようなトピックがあるのか」*1におおいに助けられました(森 2015)。そこで、本稿では、音楽の哲学、音楽美学をはじめようと考えている方のヒントになればと思い、どのような問いが問われているのかをまとめました。

項目は、英語圏の分析美学の教科書のひとつであるThe Routledge Companion to Philosophy of Music*2の第一部を参照しています。

解説は、何が問われているのか、それを問うと何がうれしいのかを中心に、可能であれば、関連する文献を紹介しています。

それでは、ここからさらに、音楽の哲学を加速させましょう。ちなみに、二万字弱あります。個々のトピックと説明は独立しているので、一気に読まず、お好きなときにつまみ読みしてくだされば。

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I. 音楽の哲学の20のトピック

1. 定義

・分析美学者の好むトピックのひとつである定義論。「音楽とは何か」。音楽には、西洋音楽に注目すれば、音楽作品とその演奏とがあり、どちらの問題も考えられる。ある音の並びがいつ音楽になるのか。あるいは、何が音楽作品と認められる条件なのか。

・音楽の定義論は芸術形式一般の定義論と相互に議論の交流を行なっているため、よりひろい視野から学ぶことも有用だろう。

・ある音の並びや響きを音楽かどうかを判別して、議論の扱う対象を明確化したり、音楽の根本的なあり方を見直す手がかりとなります。個人的には、定義論のよさは、「これが音楽だ」と音楽を狭くとる立場への武装として役立つ点にありますね。「それはあなたの知ってる音楽の定義で、一般的なものではないですよね」。

・作品の存在論に関しては、音楽哲学を牽引してきたピーター・キヴィの入門書をまとめた拙まとめのこちらの項も参照していただければ。

・定義一般については、拙まとめを。

・また、芸術の定義については、この本がまとまっていて参考になる。

Theories of Art Today

Theories of Art Today

 

・拙稿「詩の哲学入門」第一節も比較として。

・定義論にいきなり踏み込むと、「いったい何の戦いなんだ……」となることがあるが、いろいろ役に立つトピックなのだと個人的に強調しておきたい。さいきんは、そもそもなぜ定義するの? という問題も掘られており、緻密な議論と目的の設定を得意とする音楽哲学者が現れてくれたらと期待する。

2. 無音、音、ノイズ、音楽

・何が音楽的な音で、何が音楽ではないノイズなのか。無音には、音楽的な無音とそうでない無音があるのか。音楽の定義と関連しつつ、とくに、音、ノイズ、無音という音のあり方の違いや関係を問うトピック。

・無音の使い方、ノイズの価値を考察することで、グレン・グールドのうなり声は美的にわるいノイズか、それとも作品を構成する音楽的ノイズか。ビートルズの再録において、椅子の軋みや楽器のノイズはどこまで入れるべきか、カットすべきか、といった録音におけるノイズの価値についての議論にも接続される。また、vaporwaveに代表される、あるいは、Lo-Hiヒップホップにみられる、グリッチ、ノイズが作品の美的価値に貢献しているような作品はどのように価値づけられるだろうか。

・参考文献はさわりしかチェックできてないが、次の「Lo-Fiの美学」がおもしろい。Lo-Fiの美学をしたい方は、ナンバもやりたいので、勉強させていただきたい。

https://onlinelibrary.wiley.com/doi/10.1111/j.1540-594X.2007.00247.x

・その美的価値を見出すことで、音の範囲を広げる活動に興味のある方にもおすすめ。

・うなるグールド

3. リズム、メロディ、ハーモニー

・音楽を構成するリズム、メロディ、そしてハーモニーはそれぞれどのような特徴を持ち、いかなる関係にあるのか。西洋における音楽理論と密接に関わるトピックです。リズムとメロディ、そしてハーモニーについて。拍子とリズムの異なり、メロディの特徴、ハーモニー、カデンツ、調性など。

・以上でふれたような概念の分析と整理を行うことで、それぞれの言語使用を整理できる点に利点がある。

・音楽の哲学における論文は少ないようです。むしろ音楽理論を探ってみるのがよいだろう。最近β版が公開されている次のサイトは、リズムとメロディ、そしてハーモニーについてとても有益な分析を行っている。

進行の分類や、メロディとシェルとカーネル分析は圧倒的。わたしも機会があるたびにチェックして勉強している。メロディはどうまとめられて聴かれるか、やジャズにおける進行の特徴、そもそも緊張と解放とは何か、ハーモニーとメロディとはどう美的性質として異なるか、それは絵画における主題と背景とに分けられるかなどなど。すこしずつ研究していきたい。

音楽理論にも還元可能なトピック。わたしは楽理に弱いのだが、共同して、さらなる音楽理論の発展に向けてお手伝いできたらと思っている。

・リズム、メロディ、ハーモニーの複雑な関係が作り出す聴取経験については、個人的に推しまくっている浜本談子の次の曲を聴いて欲しい。特に、音楽における「リズムの情感」についてより深い実感を得られることだろう。

4. 存在論

・音楽作品とは何か。それは創造されるのか、発見されるのか、消滅しうるのか、そして、作品同士はどう区別されうるのか。ここでの「存在論」とは、「世界に存在する各存在者はどのような基準で分類され、どのような枠組みで整理されるべきか」(森 2015)で、「存在証明」といった意味ではない。

・音楽作品とは何かが明らかになる。作品と演奏の存在論的区別を考察する中で、批評や価値づけの際の理論的道具が生成される。特に、カバーと原曲の関係の説明においてつよい概念的説明力を発揮します。音楽作品とその演奏について、ヘタな演奏があったとしても、その作品の価値にはふつう影響しないし、また、作品の価値と演奏の価値がある程度独立であるからこそ、演奏家は「真の」価値をパフォーマンスにおいて提示するために練習をし、楽譜と対峙する。その際には、作品を繰り返し可能なタイプとして、そして、演奏をそのタイプの例示としてのトークンとして(ちょうど硬貨の金型と硬貨そのもののように)区別することで、それぞれの価値づけのあり方をすっきりと整理できる。

・音楽の哲学に精力的に取り組んでおられる田邊健太郎さんのすっきりとしたサーベイ論考がある。「分析美学における音楽の存在論は何をどのように​論じているのか」

https://researchmap.jp/?action=cv_download_main&upload_id=155321

・vaporwaveに詳しい、写真論研究者の銭清弘さんの記事も勉強になる。

・さらに、存在論を応用したカバーと原曲の関係については、次の論文がひじょうにおもしろい。

https://onlinelibrary.wiley.com/doi/10.1111/jaac.12034

この論文に関しては、森功次さんによるスライドもある。

https://researchmap.jp/?action=cv_download_main&upload_id=56786

・この発表も含めた応用哲学会での発表のまとめはこちらにある。

・1. 定義論とともに、ばりばり細部を詰めていく方におすすめなトピック。

・たとえば、この曲は、ベートーヴェン交響曲第5番の「演奏」なのだろうか?

5. メディウム

・音楽特有のメディウムとは何か。それは特定の音の構造なのか、それとも作曲者の歴史的な経緯を含み持つものなのか。

・分析美学者のデイヴィッド・デイヴィスの整理によれば、芸術作品はその鑑賞の総体をつくりあげる諸要素とその関係によって特徴づけられる。彼は「芸術的メディウム」「手段的メディウム」そして「芸術的言明」の三つが、鑑賞の対象の総体、すなわち「鑑賞の焦点(focus of appreciation)」を構成し、芸術的メディウムを介し、作者による意図を伴った手段的メディウムの操作を通じて、ある芸術的言明がいかにして「表現(articulate)」されているのかが鑑賞される対象として「芸術作品(art work)」を特徴づけた(Davies 2004, ch. 3)*3

ここで、「芸術的言明(artistic statement)」とは、「芸術家によって生成された対象あるいは構造の、表象的、表出的、そして形式的性質」(ibid., 53)、すなわち、いわゆる作品の「内容(contents)」である。作品がその内容によって評価されることはたしかだが、のみならず、絵画における同一の主題の変奏がそれぞれの価値をもつように、内容がどのように表現されているのかもまた鑑賞の焦点のうちにある。

内容は「芸術的メディウム(artistic medium)」と「手段的メディウム(vehicular medium)」を介して表現される。後者は、たとえば、デュシャンの『泉』における工業製品としての便器という「物体(object)」、そして、それを美術館に展示させるという「行為(action)」といった、作品がそれを介して表現されうる物理的/非物理的な「素材」、である。手段的メディウムなしでは、いかなる内容も表現されえない。だが、素材はそれだけで内容を表現するわけではない。男性用便器が内容を表現するのは、その素材がある特定の内容を表現するものとして理解される場合に限られる。これを可能にするのが芸術的メディウムである。

芸術的メディウムは、特定の素材について、それを特定の内容を表現するものとして認めるような、あるひとびと、コミュニティによって共有された理解の集合である(Davies 2004, 58-59)。芸術的メディウムは、ある文化において、内容を表現しうるものとしてみなされるものに関する共有された知識である。

音楽においては、標準的には「音」が手段的メディウムとなり、そして、それらの音は共通の理解としての芸術的メディウムを介して、特定の芸術的言明が伝達されるとする。

・音楽についてではないですが、メディウムの議論を扱っているものとして、二本論文を書きました。

難波優輝. 2019. 「アニメーションの美学––––原形質性から多能性へ」『アニクリ 6s』

難波優輝. 2019. 「おしゃれの美学––––パフォーマンスとスタイル」

メディウムという概念と枠組みはかなり有用であることがわかる論文かと思います。

・音楽におけるメディウムの拡張を推し進めている作家として、わたしは網守将平をあげたい。最新作の『パタミュージック』においても、様々な電子音、グリッチを導入することで、ポップでありかつ聴いたことのない/ある音楽を混交させる。

・前作のアルバム『SONASILE』については次のように書いたことがある。

6. 即興

・即興とは何か。それは作曲とどう異なり、どのように似ているのか。即興の価値とはパフォーマンスにおけるパフォーマの創意と言われるが、それはどのように価値づけられうるのか。即興は作品なのか。

銭清弘さんのまとめ記事がある。丁寧なまとめと、文献紹介、それから様々な楽曲例のリンクなどがあり、即興の哲学のスタート地点としてとても有用。要チェック。

・一回きりの即興と、その即興を再現した演奏とはどのような関係があるのだろうか。それらは同じ旋律だが、しかし異なる評価がなされているように思える。即興そのものの価値とは何だろうか。

7. 記譜法

・楽譜とは何か。それは演奏、作品とどのような関係を持つのか。

・記譜法には、一般的なものと、様々な移調楽器に対応した楽譜やTABなどの楽器特定的記譜の区別があります。それらはそれぞれにどういう効果をもたらしているのだろうか。また、記譜法には、通奏低音やジャズのスコアシートのような、記憶補助的なもの、西洋クラシック音楽のような緻密で指令的なもの。そして、諸民族の音楽を記録するためのドキュメント的機能をもつものなどがある。

・たとえば、いまもっとも傑出した作曲家、プレイヤであるジェイコブ・コリアーの演奏の記譜の試みがJune Leeによってなされている。

この試みにはひじょうに価値があるが、同時に、彼の演奏の記譜のあまりの難しさや、楽譜からこぼれ落ちるものについても考えを巡らさざるをえない。記譜とは何のためにあるのか、それはどのように聴取の理解と関わるのかもまた興味深いトピックだ。

・楽譜について考察することで、それが作品とどう関わるのかが考察できます。図形譜にみられるように楽譜は表現となりうるのか、それ自体作品となりうるのかなど。

・記譜と作品、演奏の関係については、グッドマンの議論がもっとも有名。

芸術の言語

芸術の言語

 

・トピックのおもしろさとしては、それ自体というより、グラフや図像、建築物の設計図、特に、図形楽譜など様々な記号表現のなかで楽譜の特殊性を分析する点にあるかもしれない。わたしの知るところあまり研究論文をみかけないトピックではある。ブルーオーシャン

存在論や真正な演奏の問題とも関わり、そもそも「楽譜に忠実な演奏とは何か?」といった問いもある。

8. パフォーマンスとレコーディング

・パフォーマンスとレコーディングとは、それぞれどんな本性を持つのか。その関係はいかなるものか。パフォーマンスの一般的特徴、その種類価値づけと聴取者とパフォーマの区別がなくなるパフォーマンスについて。また、録音の種類と、反復可能性と透明性についてなどの問いがある。

・パフォーマンスと作品について、さらに、一回きりのパフォーマンスとは異なるレコーディング特有の価値とは何かが考察できる。

・どのパフォーマンスの解釈が正しいのか、という問いや、レコーディングの区別について、パフォーマンスのドキュメントと、編集されたもの、そして、録音においてのみ存在する楽曲など、考察のしがいがあるだろう。また、録音の透明性については、写真の哲学における写真的出来事との関連など興味深いトピックとなるだろう。

・パフォーマンス論一般は、デイヴィッド・デイヴィスの次の単著が参考になる。

Philosophy of the Performing Arts (Foundations of the Philosophy of the Arts)

Philosophy of the Performing Arts (Foundations of the Philosophy of the Arts)

 

こちらは、個別の議論をばりばり詰めていくというよりは、パフォーマンス芸術にはどのような種類があり、どんな論争があるのかをアラカルトに見ていく印象。

・4. 存在論でふれたように、カバー曲やリマスタリングといった、音楽作品の複製とその価値の整理の議論とも関わってくる。もはやレコーディングがある曲の代表的な演奏となったポップミュージックでは、パフォーマンスの価値はどのように考えられるのか? おもしろいトピック。

・わたしのもっともすきなバンドのひとつである「Lamp」を主導する染谷太陽は、しばしばライブよりレコーディングの魔法を強調する。

僕はつくづく録音物が好きな人間でして、
なんていうんでしょうね、
録音物には浪漫があると思うんです。

聴いているとき、これを作った人の姿が見えないじゃないですか。
全て音の世界じゃないですか。

僕が誰かのライブにほとんど行かず音源ばかり聴いているのも、この浪漫に対する偏愛なのかなと思います。

この『promenade』を作った人のことは知っているんですが、
でも、これを聴いているときはもう本人の事なんか忘れて、スピーカーやヘッドホンから聴こえてくる音の世界に入っているんですね。完全に。*4

そしてまた、じぶんたちの音楽の鑑賞のあり方についても一貫した考えを持つ。

やっぱり自分たちはライブバンドではなく、レコーディングに拘ってきたバンドだと思っていて、スタジオ盤を聴いてもらう前にいきなりライブ盤を聴かれるというのはちょっと抵抗があったりする……*5

たしかに、彼らの演奏は超絶技巧で魅せるというより、そして、それを評価するというより、自然に奏でられる音を聴くという経験に近しい、とわたしは感じる。そのライブ演奏も親密な雰囲気でとてもあたたかく、詩人の読書会に出るような感覚である。彼女の詩作を先にひとりで読んでから、あらためて、相見えて静かに聴き入る、という感覚だ。

さて、Lampの演奏において、レコーディングとパフォーマンスはそれぞれどのような価値の関係を持つのだろうか。

・たとえば、Lampの名曲である「さち子」(2014年発売のアルバム『ゆめ』収録)のレコーディング版とMVはこちら。個人的には先にこちらを聴いて欲しい。

・パフォーマンスはこちら。こちらもとてもいい雰囲気。

・ひるがえって、いまをときめくシンガーソングライタである崎山蒼志は、レコーディングのみならず、そのライブパフォーマンスの熱量においても高く評価される。音のミスがあったとしても、あるいは、あるからこそ、それぞれのパフォーマンスが独自の価値を持っているようにも思える。

・ライブパフォーマンスとレコーディング、これらはどのように違い、どのように味わわれることで、それぞれのよさが感じられるのだろうか。

・パフォーマンスについての考察として、次の記事もおひまがあれば。

9. オーセンティック/真正な演奏

古楽における真正さ(authenticity)とは何か。どうすれば、ある曲の「真正な」演奏となりうるのか。そもそも、真正な演奏は可能なのか。真正さを求める動機とは何だろうか。あるいは、古楽演奏には、独特の美的価値があるように思える。その「新鮮な」古典曲の演奏には、どのような価値があるのだろうか。

・1960年代から興隆したとされるオーセンティックな演奏の運動は様々に興味深い問いを持っている。何が真正な演奏となりうるのだろうか。その作品(あるいは楽譜)それ自体に従う演奏か、それとも作者の意図を十全に汲み取る演奏か、それとも、当時の音や聴取実践を再現した演奏か。こうした考察の際には、「真正さ」という概念を前提とせずに、哲学的な整理を行うことが有用な手段となるだろう。

・さらにまた、カバーアレンジにおける真正さもしばしば議論される。たとえば、つぎの矢野顕子の演奏は、ひとによれば、「原曲の作曲者の意図を裏切り、真摯さに欠ける」という非難を行う者もいるかもしれない。

・あるいは向井秀徳の「CHE.R.RY」のカバーは「真正な」演奏なのだろうか。

これらの曲のカバーに何らかの非難があるとすれば、その非難はどのような意味で正当なのだろうか。あるいは、アレンジにおける正当さについて、わたしたちはそれを聴取に影響させるべきなのだろうか。真正さをめぐる演奏に関する問いは、歴史的側面も持ちつつ、現在のポピュラー音楽実践においても考察を欠かしてはならないものだろう。わたしも、このカバーの真正さについての議論を考察しているところである。

・真正さをめぐる歴史的な運動を踏まえながら考察することで、過去を再現することの意義と謎めいた価値とが徐々に明らかになりうるだろう。音楽学とも連携しつつ歴史を追っていける研究者の論文が読んでみたいと個人的に思っている。

・こちらの拙まとめをチェックするとだいたいどんな議論が行われているのかがわかるだろう。

・真正さについては、アプローチはかなり異なるが、問いの立て方としてはおもしろいと感じた以下の本がある。

あじわいの構造―感性化時代の美学

あじわいの構造―感性化時代の美学

 

10. 音楽と言語

・音楽と言語はしばしば共通した要素を持つものとされる。しかし、両者の同一点と違いとは何だろうか。一方の言語は概念や意味を持つが、他方の音楽は確固たるものとしてはそうしたものを持たない。しかし、両者はある一定の構造との関係のなかで理解されるというい点では類似している。一方は文法的構造において、他方は、多くの場合、なんらかの調性において。

・音楽と言葉の歴史的関係については次のまとめを。

・音楽が言葉のようになにかを表したりできるのかどうか、という問いについては、次のまとめを。

・近年、思弁的な考察のみならず、人間の認知能力や脳機能から、言語と音楽との異同は議論されはじめている。

・この分野をリードしているのは、ジャッケンドフだろう。

A Generative Theory of Tonal Music (The MIT Press)

A Generative Theory of Tonal Music (The MIT Press)

 

・音楽と言語の関連について、パスカルキニャールの『音楽への憎しみ』における言葉と、その言葉を引用した伊藤計劃による『虐殺器官』の言葉を思い起こす者もいるだろう。

「音は視覚とは異なり、魂に直に触れてくる。音楽は心を強姦する。意味なんてのは、その上で取り澄ましている役に立たない貴族のようなものだ。音は意味をバイパスすることができる」

「……耳にはまぶたがない、と誰かが言っていた。わたしのことばを阻むことは、だれにもできない」
伊藤計劃. 2010. 『虐殺器官』225. 早川書房

言葉の意味と音楽的響きによる感情の操作。認知科学にも関心のある美学者の到来を個人的に待っている。

・これに加えて音楽と言語が同時に鑑賞される形式、すなわち、歌においての研究も見過ごしてはならないだろう。

たとえば、キリンジ『エイリアンズ』冒頭において、

はるか空に旅客機音もなく

公団の屋根の上 どこへ行く

という上空への視線から、

誰かの不機嫌も寝静まる夜さ

バイパスの澄んだ空気と

僕の街

と横方向への注意とおそらくは眼下の街へと視線が下がるのと呼応するように、メロディもゆっくりと下がっていく。これはことばと音とが一体となって独自の効果を生み出している好例だろう。

11. 音楽と想像

・音楽における想像の役割とは何か。

・音楽における想像の役割に関するトピック。音楽のうちに、特定の情動や動きやキャラクタを見出すような想像的知覚、あるいは、音楽から何か別のイメージを想起するような知覚的想像の議論などがある。

長谷川白紙の『草木』は、タイトルのように、盛り上がり、競り上がり、互いにひしめきあい伸び続ける草木の生命の熱さを感じさせる。それは、わたしの脳機能のどのような想像力によって可能になっているのか。

・また、音楽的知覚において議論されている、「音楽的な空間」の問題、たとえば、音が「高い」「低い」とは、あるいは「速いパッセージ」とは、比喩なのか否か、といった問題がある。また、鑑賞者は自発的に音楽それ自体を生命的なものとして、心的状態や意志を持つ対象として想像的知覚を行うと考えられているが、それは、どのようなメカニズムによるものなのだろうか。

・この点については、たとえば、ケンダル・ウォルトンによる論集に興味深い議論がまとまっている。

In Other Shoes: Music, Metaphor, Empathy, Existence

In Other Shoes: Music, Metaphor, Empathy, Existence

 

・想像と想像力にくわしい美学者もいたらなあと思ったりしている。こちらもばりばり認知系の話ができるとさらに発展しそうなトピックだ。

12. 音楽の理解

・音楽を理解するとは何か?

・音楽の理解には、「ある音が鳴っている」「このように響いている」という知覚的、認識的な理解のレベルがある。他方で、さらに、「このコードは前のコードを受けてこのような響きを作り出している」「ここは再現部となっている」といった、楽曲の構造や理論に関する概念的な知識を必要とするような概念的な理解とがある。これらのどちらがより重要なのだろうか。それともどちらも同程度重要なのだろうか。そして、「正しい」理解とは、これらの様々な理解のレベルについて言えるのか。そして、正しさはどの観点から言えるのか。アナリーゼや演奏解釈とも関わってくるトピック。

・これを、「わたしたちは何を理解しながら聴いているのか?」という観点から考えるにあたっては、キヴィのこちらの議論が参考になるだろう。

・たとえば、この論集がこのトピックを扱っている。

Musical Understandings: and Other Essays on the Philosophy of Music (English Edition)

Musical Understandings: and Other Essays on the Philosophy of Music (English Edition)

 

・ナンバがいま音楽の哲学のトピックでもっとも気になっているもののひとつ。

13. スタイル

・ロマン派と印象派はどう違うか。あるスタイルの要素には何が含まれるのか。そこから、あるスタイルを判別したり分類したりできるのか。そもそも、スタイルとは、作品が属するカテゴリやジャンルとは区別すべきなのか。

・さらに、彼女の作品には独自のスタイルがある、と言われるとき、それは何を意味しているのかという問題もある。

・音楽ではないが、わたしは、近刊「おしゃれの美学––––パフォーマンスとスタイル」にて、「あのひとのおしゃれはあのひとらしいスタイルがある」と言う表現は何を意味するのかを分析している。こちらの評価的な含みを持ったスタイル概念についてはご参考に。

・スタイル一般については、日本語文献では、こちらに収録の西村清和/小田部胤久論文が特に参考になるだろう。

スタイルの詩学―倫理学と美学の交叉(キアスム) (叢書 倫理学のフロンティア)

スタイルの詩学―倫理学と美学の交叉(キアスム) (叢書 倫理学のフロンティア)

 

・個人的には、スタイルは、より記述的なスタイル概念––––様式的スタイル(ロココ調)概念––––と、より評価的で、「自己表現」の含みを持つようなスタイル概念とを分けて考えた方がよい。このあたりの議論は、ロビンソンの古典的な論文、Robinson, J. M. (1985). Style and personality in the literary work. The Philosophical Review, 94(2), 227-247.を手がかりにするとよい。

14. 美的性質

・音楽における美的性質とは何か。

・美的性質の議論は音楽の哲学に固有というわけではない。しかし、特に、音楽に関しては、音楽理論として、その他の芸術形式と比していっそう高度な理論化がなされており、特定の美的性質(壮大な、生き生きとした、のどかな、といった用語によって指し示される性質)と特定の音楽語法や構造、ハーモニーなどがつよく結びつけられる実践がより目立ってみられる。しばしば、特定の和声進行が「清廉な」「緊張感に満ちた」と語られるが、いったい、音楽における美的性質は理論によって指摘される特定の構造とどのような関わりを持っているのだろうか。

・たとえば、洗練されたポップスを歌う松木美定の最新作「実意の行進」を取り上げたい。

冒頭の「うららかな」「ここを『去ることは』」の部分にみられるような動きから、クラシカルで端正な響きを感じさせる。そして、全体は、どこかあたたかでのどかな響きを感じさせる。なぜ特定の音型が、あるいは、全体の響きが特定の美的性質と結びついているのか。

・音楽が絵画のように表象的ではなく、何かしら深遠な、そして崇高なものと直接関わっているという説と関係して、興味深いトピックとなっている。また、音楽がもつ、形式的な美についての議論もしばしばなされる。

・美的性質に関する古典的な議論はフランク・シブリーの「美的概念」にある。

邦訳はこちらに。

分析美学基本論文集

分析美学基本論文集

 

・ただ、いきなり読む前に、デ・クレルクのこちらのサーベイを読むといい感じ。

https://onlinelibrary.wiley.com/doi/abs/10.1111/j.1747-9991.2008.00165.x

15. 価値

・音楽特有の価値とは何か。視覚芸術でも、物語的でもない音楽ならではの価値とは何か。うえの美的性質における「深遠さ」や「崇高」とも関わり、また、しばしば、音楽は「別世界」を立ち上がらせると言われる。それはいったいどういう事態で、ほんとうに音楽それ自体にしかもたらすことのできない価値はあるのか。

・ピーター・キヴィ『音楽哲学入門』第13章参照。

・音楽の価値の議論にあたっては、音楽が歴史的にどう聴かれてきたのかをふりかえることも有用だろう。西洋における歴史のかんたんな概観については、次を参照。

16. 価値づけ

・作曲者、楽曲、演奏をどう評価するか

・こちらは批評の哲学とも関係するトピック。音楽をいかに価値づけるかは、たんにその楽譜に基づいて可能なのか、それとも、つねにその曲の演奏を通じてしか不可能なのか。また、ロックやポップスのような、楽譜に準拠するわけではないパフォーマンスはどのようにそれぞれのパフォーマンスを比較しうるのか。

・批評一般についてはノエル・キャロルの『批評について』を参照。

批評について: 芸術批評の哲学

批評について: 芸術批評の哲学

 

・こんな本です。

・わたしがつねに驚かされるミュージシャンである浦上・想起(旧:浦上・ケビン・ファミリー)の曲は、価値づけに挑戦を与える。

どのようにして彼の曲を価値づけられるのだろうか。その歌詞からだろうか、その演奏技能からだろうか。わたしは、彼の曲が特定の聴取のあり方をデザインするものだ、という視点から価値づけを行った。他にはどのようなアプローチがありうるだろうか。

17. アプロプリエーションとハイブリッド性

・アプロプリエーションとは、音楽的内容や録音のサンプリング、あるいは、じぶんが属するわけではないほかの文化の音楽や録音を流用すること。アプロプリエーションは著作権の問題のみならず、その旋律や曲がある文化において精神的な価値や伝統的な意義を持つ場合、他の文化に属する者がそれらを用いていいのかどうか、という倫理的でもあり美的でもある問題が生じる。このトピックは音楽にのみ限られるわけではないが、しかし、作曲家とともに、、さらに倫理学者とともに、美学者もまた、ともに考える必要があるトピックだろう。

・たとえば、vaporwaveというジャンルにおいては、既存の曲の変形、ノイズ加工によって独特の鑑賞経験をもたらしているが、これは原曲に対してどのような関係にあるのか。アプロプリエーションによって原曲は傷つけられうるのか、それとも無関係なのか。こうした問いを問うトピックであり、その意義は大きいだろう。

・文化的アプロプリエーションの議論はヤングのこの本が有名のようだ。

Cultural Appropriation and the Arts (New Directions in Aesthetics)

Cultural Appropriation and the Arts (New Directions in Aesthetics)

 

・この本もある。

The Ethics of Cultural Appropriation

The Ethics of Cultural Appropriation

 

・日本語だと渡辺さんのこちら渡辺一暁. 2018. 「文化的盗用—その限界、その分析の限界—」がアクセスしやすい。

フィルカル Vol. 3, No. 2 ―分析哲学と文化をつなぐ―

フィルカル Vol. 3, No. 2 ―分析哲学と文化をつなぐ―

 

18. 器楽の技術

・楽器と音楽、演奏の関係について。技術の発展による、音楽の語られ方や、「電子楽器では心を表現できない」といった物言いは正しいのか、それとも的外れなのか。音楽の哲学では主要なトピックではないが、しかし、発展可能性を持つ議論だろう。

・特に、音楽演奏においては、絵画や彫刻制作における絵筆やノミ以上に、楽器についての語りがしばしばみられ、楽器はプレイヤと様々なレベルで結びつけて語られる。

・部活動などで吹奏楽に関わったことのあるひとは、楽器とじぶんの親密な結びつきや、あるいは距離を感じることがあるだろう。トランペット奏者なら、自身を鼓舞しどこまでも遠くへ声を届けられるような相棒として、打楽器奏者なら、その時々にコミュニケーションをとる様々なおしゃべりな友人たちとして。

武田綾乃原作小説・京都アニメーション制作アニメーションである『響け! ユーフォニアム』においても、吹奏楽部における高校生活を描きながら、楽器とじぶんとの様々な関係が語られ、ときにはパートナーのような、ときには思い通りにいかない相手として楽器が描かれる。

しばしば語られる楽器性格論(トランペッターには勇壮な者が多い、打楽器奏者は移り気ではしゃぎがち)とも関連して、楽器とプレイヤの関係は、音楽の哲学の興味深いトピックとして、これからまだまだ議論の余地はある。わたしも趣味ではあるが楽器と日常的に触れている者として、プレイヤと楽器との関係をより深く考えていく。

19.情動と表出

・音楽は悲しいのだろうか。それともただわたしたちが悲しくなるだけなのか。あるいは、そもそも音楽は悲しくもなく、わたしたちが感じる情動もじつはほんとうの悲しさではないのか。「情動と表出」をめぐる問いとして、音楽の哲学において魅力的でひじょうに多くの論争が交わされているトピック。

・参考として、源河亨さんの「音楽は悲しみをもたらすか?–––キヴィーの音楽情動について–––」

そして、「悲しい曲のどこが「悲しい」のか?:音楽のなかの情動認知」

が参考になる。

・キヴィの議論も簡便なまとめとして参考になる。

・情動をめぐる歴史的議論を振り返ることも有用だろう。

20. ジャンル

・音楽には様々なジャンルがあり、それらはどのような価値として聴かれているのだろうか。

・ポップス、ロック、ジャズ、オペラ、器楽曲/歌、映画音楽、映像のための音楽、ダンスミュージックなど、音楽には、様々な目的を持ち、様々な機能を持つ音楽がある。これらを通り一遍に評価することは望ましくないだろうし、特定の音楽のみに絶対的な価値があり、他のものにはないとするには、かなりがんばらないといけないだろう。

・たとえば、ヘヴィ・メタルはどのように聴かれているのか。それは、ライブハウスやフェス会場でのコミュニティやライフスタイルとの関わりもあり、ほんとうに音楽だけの響きの価値から分類、価値づけ可能なのだろうか。

グレイシクのこの論文は、ジャンルの歴史、受容の複雑性を考えるうえでひじょうに示唆に富む。

https://onlinelibrary.wiley.com/doi/abs/10.1111/phc3.12386

II. 音楽の哲学についてのメモランダム

1. 日本における音楽の哲学の現状

日本で英米圏の音楽の哲学に取り組んでおられる方は、ナンバの知る限りですが、立命館大学助手をしておられます田邊健太郎さんと、慶應義塾大学非常勤講師を務められておられる源河亨さんがいらっしゃいます。

田邊さんは、存在論や音楽理解についての研究を、源河さんは、音楽の情動表出の議論をされています。西条玲央さんも、音楽の存在論に関わる論文を著されています。

加えて、院生の方ですと、デジタル写真論、表象文化論を研究しておられる銭清弘さんは、vaporwaveやファンクに関する浩瀚な記事を著されており、音楽の哲学は日本においておもしろい展開を見せています。

ナンバも音楽の哲学全般、音楽と想像、音楽理解、そして価値づけといったトピックに関心を持っており、継続的に研究を進めています。

現在は、特に、詩の哲学に興味を持っていることもあり、歌の哲学について研究を進めています。今年中には論文一本投稿する準備を進めています。

・学知は共同で形成されていくものなので、あらたなプレイヤの参入をひとりのプレイヤとしてお待ちしています。

2. 学習のアドバイス

・分析美学全般の教科書についてはこちら。

分析美学入門

分析美学入門

 

・分析美学の主要なトピックについてのブックガイドは、森さんの「分析美学邦語文献リーディングリスト」が参考になります。

・さいきん、グレイシックの音楽の哲学入門が訳されました。ありがたい。

音楽の哲学入門

音楽の哲学入門

 

学生さんなら、興味があるトピックは、教科書を二三かるく読んでから、ガリガリ論文読んじゃっていいと思います(わたしはそうしてます)。論文で一番新しくおもしろそうなのを五つぐらい読んでいくと参照されている古典的な文献がわかってくるし、逆に辿っていけばいいので。

学籍がなく論文をダウンロードできない方は、個別にナンバに依頼頂ければ調査を請け負います。「演奏の美学について知りたい!」「演奏指導に役立つ哲学研究はあるの?」など。そのシステムはまだ準備中なのですが、お見積もりは受付中です。

依頼まではいかなくとも、ご関心のある方は、SNSにおけるコメントやツイートで「音楽の哲学は加速するべき」「音楽の哲学の本が読みたい!」などとつぶやいて頂ければ、出版社の方の目に留まり、音楽の哲学に関する著作依頼が美学者に来るはずですので応援よろしくお願いいたします。

おわりに

これを読んで学生さんが音楽の哲学に興味を持っていただいたらなと思います。さらに、音楽学や関係する領域で研究されている方がこの記事を読んで関心を持ち、議論の整理に音楽の哲学の概念や枠組みを役立てていただけたらさいわいです。

わたしも音楽の哲学はまだまだ勉強中なので、読んだ記事をまとめて、ブログやウェブサイトにあげて頂けるとうれしいです。宣伝ですが、もちろん、解説記事の依頼などがあれば、お仕事お待ちしています。『音楽の哲学入門』も翻訳され、音楽の哲学へのアクセス環境は整ってきました。音楽の哲学をはじめましょう。

ナンバユウキ(美学と批評)Twitter: @deinotaton

引用例

ナンバユウキ. 2019. 「音楽の哲学にはどのようなトピックがあるのか」Lichtung. http://lichtung.hatenablog.com/entry/topics.of.philosophy.of.music.

*1:

*2:Gracyk, T., & Kania, A. eds. 2011. The Routledge companion to philosophy and music. Routledge.

The Routledge Companion to Philosophy and Music (Routledge Philosophy Companions)

The Routledge Companion to Philosophy and Music (Routledge Philosophy Companions)

 

*3:Davies, D. 2004. Art as Performance. Oxford: Blackwell.

*4:染谷大陽. 2014. 「2014.10.23 Thursday 北園みなみ『promenade』を聴いて」

*5:染谷太陽. 2019.「ライブ盤『Lamp “A Distant Shore” Asia Tour 2018』について」2019.04.10 Wednesday

分析美学のQ&A:落語と幻想文学、正しい批評、メタ分析美学

はじめに

本稿は、分析美学の(ひとつの)質問箱にて受け付けた質問に答える記事です。分析美学に関するトピックに興味のある方の参考になれば。

f:id:lichtung:20190214191252j:image

質問1:落語と幻想文学

Q.1:「友達が落語と幻想文学の共通性をテーマに苦しんでいます。何かヒントはありますでしょうか」(明智小五郎さん)

A.1:おもしろい質問ですね。落語と幻想文学。人生ではじめて口にしたならびです。「共通性をテーマに苦しんで」いるとのこと。わたしは「共通性を見出したい」と理解しました。どちらも詳しくないので一般的なヒントを二点だけ。

まずは、それを問う意義はどんなものか考えてみるとよいです。落語と幻想文学の共通性を見出すと何がうれしいのか。なぜその作業に意味があるのか。友人が彼/彼女自身の家族やあなたを納得させうる説明を組み立てていくなかで、問うべき問いも見つかるかもしれません。

第二に、扱う対象を具体的にするとよいです。落語といっても、幻想文学といっても、ものすごい種類が時代と地域とによってあるでしょうから。いきなりそれらの共通性を探すのは得策ではなさそうです。それら一般の共通性を最終的には問うにせよ、現在焦点をあてる具体的な対象や範囲を絞ってゆくとよいです。

  • まとめ:意義と対象の明示化はいかがですか。(2019/02/14)

質問2:正しい批評

Q. 2:「何でもかんでも関連性のありそうなものを引用した批評(特に映画批評やアニメ批評に多いと思うのですが)は、正しい批評に思えず、気持ち悪さを感じてしまいます。正しい批評はともかくとして、批評の美学のようなものはどう我々の前に姿を現しているのでしょうか」(トッポギさん)

A. 2:舌鋒鋭い質問ですね。わたしは違和感半分おもしろみ半分を感じます。それ自体異様な魅力を放つものもしばしばあるので。とはいえ、「正しい批評」あるいは「より正しい/正しくない批評」の存在を完全に否定する立場をとろうとは現在考えていません。批評それ自体を評価できるような尺度の存在も気になっています。

話を戻して、「批評の美学のようなものはどう我々の前に姿を現しているの」か、という質問には、批評をめぐる分析美学の問いの広がりに触れることで、部分的にせよお答えできるかもしれませんね。

まず、日本語でアクセスできる批評の哲学のすぐれた著作には、一昨年刊行された、ノエル・キャロル『批評について:芸術批評の哲学』森功次訳、勁草書房(2017)があり、特定の「正しい価値づけ」がありうるとするラインであり、「正しい批評」を考える際にはおすすめです。とはいえ、キャロルの主張にも批判は加えられています。

たとえば、ジェームス・グラントによる『批評的想像力』において、キャロルの立場も含めたいくつかの批評の哲学の論者の主張は、批評と呼ばれる言説の一部分のみを拾っているものだとの批判が加えられています。また、同著において、グラントは、批評と隠喩の関わり、優れた批評家の能力とは何か、といった問いも議論しており、ここに批評の妥当性の探求のみではない批評の美学/哲学のひろがりを見出すことができます。

批評について: 芸術批評の哲学

批評について: 芸術批評の哲学

 

The Critical Imagination (Oxford Philosophical Monographs)

というわけで、「批評の美学のようなものはどう我々の前に姿を現しているの」かという問いには、以下のようなお答えになります。

  • まとめ:分析美学における批評の哲学は、「よりよい/より正しい批評とは何か」といった問いを代表に、隠喩やすぐれた批評家とは何か、と言った問いも扱いつつ幅広く議論され(はじめ)ており、そうしたものとして批評の美学が現れている*1。(2019/02/14)

質問3:メタ分析美学

Q.3:分析美学の方法論、認識論、パースペクティブ、学史などメタレベルの問題について、わかりやすく論じられた概説書などご存知ありませんか?(JBさん)

A. 3:盛りだくさんな質問ですね。そういった概説書はいずれも見たことないですわたしが読みたいです。見つけたらぜひ教えてください。

特に、あげられているように、(1)方法論、(2)認識論、(3)学史については、いま分析美学をやる者にとってもあればひじょうに有益であり必要です。ただ、概説書こそありませんが、方法論に関しては散発的にウォルトンステートメントやカリーの論文でみられますし*2、あるいは芸術作品の存在論(特に音楽作品の存在論)に関しては、メタ哲学的議論が行われていますね*3。認識論に関しては、若手のジョン・ロブソンが精力的に行なっていますね*4。学史についても、教科書の章ではありますが、コンパニオンなどで、ネルソン・グッドマン、リチャード・ウォルハイムなどの目立った哲学者は項目があります*5。これらのいずれかをまとめる仕事はかなり重要な仕事になりそうですね*6

  • まとめ:残念がら概説書はありませんが、いくつか議論はあります。(2019/02/14)

ナンバユウキ(美学)Twitter: @deinotaton

*1:ちなみに、わたしは、このあたりの議論をある程度以上探索しているので、批評の美学に関する原稿を書く準備は揃っています。批評の美学/哲学の記事はおまかせください。

*2:Walton, K. 2007. “Aesthetics—what? why? and wherefore?.” The Journal of Aesthetics and Art Criticism, 65 (2), 147-161.; Currie, Gregory, 2013, “On getting out of the armchair to do aesthetics.” In Philosophical Methodology: The Armchair or the Laboratory? M. Haug ed. Routledge. なおこちらの論文は次の有用なまとめ記事があります。

*3:たとえば、Thomasson, A. L. 2006. “Debates about the ontology of art: what are we doing here?.” Philosophy Compass, 1 (3), 245-255.; Dodd, J. 2008. “Musical Works: Ontology and Meta‐Ontology.” Philosophy Compass, 3 (6), 1113-1134.

*4:たとえば、Robson, J. 2014. “A social epistemology of aesthetics: belief polarization, echo chambers and aesthetic judgement.” Synthese, 191 (11), 2513-28.

*5:Gaut, B., & Lopes, D. Eds. 2013. The Routledge companion to aesthetics. Routledge.

*6:ちなみに、ナンバは(1)分析美学の方法論を調査開始しています。長いスパンでお楽しみに。