Lichtung

難波優輝|美学と批評|Twitter: @deinotaton|批評:lichtung.hateblo.jp

「美学における理論の役割」 モーリス・ヴァイツ

概要

分析的な芸術の定義論争がこの論考からはじまったとされる、モーリス・ヴァイツ(Morris Weitz, 1916-1981)の古典的な論文「美学における理論の役割」(1956)(Weitz, Morris. 1956. “The Role of Theory in Aesthetics.” The Journal of Aesthetics and Art Criticism, XV: 27-35.)のまとめです。

まとめ

  1. ヴィトゲンシュタインの家族的類似の概念を芸術の定義に援用し、あるものが芸術作品であるかどうかを判断する必要十分条件を見つけ出すことはできないとする。
  2. 概念には外延が定まった閉じた概念と、要素が変動する開いた概念とがある。
  3. 過去の芸術の理論は、特定のしかたで特定の芸術の特徴にわたしたちの注意を促す提案のまとめとして理解できる。

キイ・ワード

  • 家族的類似、開いた概念、閉じた概念、記述的用法、評価的用法、尊称的定義

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イントロダクション

芸術を定義するにあたり様々な定義が試みられてきた。こうした試みは単なる知的遊戯ではなく、芸術の理解と適切な評価に欠かせないものであるとされてきた。ゆえに、美学理論は、それ自身のためのみならず、鑑賞と批評の基礎づけのために重要であるとされてきた。

美学理論、すなわち、芸術であるための要素の必要十分条件の提示は可能なのか。いまだその定義は現れてはいない。ヴァイツはこの論文でそうした美学理論は到来しないと主張する。

現行の理論の批判

次にヴァイツは芸術作品であるための必要十分条件を提示しているとみられる5つの理論を紹介し、それらが必要十分条件を提示できていないことを示す。
そして、これらの定義は経験的でもなく、真偽が決定できるものでもない。

家族的類似説

次にさらに根本的な批判をする。
まず、ヴィトゲンシュタイン『哲学的探求』(1953年)において提示された「家族的類似説」を紹介する。

  • 「家族的類似説」:あるもの(e.g. ゲーム)が何であるかを知るために必要なのは、必要十分条件ではなく、重複し、交差する複雑な類似性の網を見つけることである。

芸術がなんであるかを知っていること→それらの類似性ゆえに「芸術」と呼ぶことができるものを認知し、記述し、説明できること。

開いた概念、閉じた概念

家族的類似説に関連して、ヴァイツは概念の二つのあり方を提示する。それは、開いた概念と閉じた概念とである。

  • 開いた概念→じしんの適用条件が改訂可能であるもの(→要素に応じて変更可能なもの)。
  • 閉じた概念→外延が固定化されているもの(→必要十分条件が確定したもの)。

ここで、「芸術」という概念は、それじしん開かれた概念であるといえる。ただ、芸術の下位区分の中には、閉じた概念と言えるようなものがありうる。例えば、「ギリシア悲劇」という概念は、その要素が決まっていると考えてよいので、閉じた概念であると言える。しかし、それに対して、「悲劇」という概念はその要素が変動しうるために、開いた概念であると言える。

あえて喩えれば、閉じた概念は古地図に引かれた国境で、開いた概念は現在と未来の国境と言える。

「芸術」の用法

つぎに、「芸術」という言葉には以下の二つの用法がある、とヴァイツは指摘する。

  • 記述的(descriptive)用法:認識の基準(criteria of recognition)
  • 評価的(evaluative)用法:評価の基準(criteria of evaluation)→尊称的定義(honorific definition)

記述的用法における「これは芸術だ」という発言は、何物かが芸術であるといわれる際に必要な条件に基づいた主張を行っている。

評価的用法における「これは芸術だ」という発言は、何物かが芸術であるといわれる際に必要な条件を主張しているのではなく、そのものを賞賛するために用いられている。

尊称的定義

定義(必要十分条件)そのものとしてではなく、定義的な形式を警句に近いかたちで用いることで、わたしたちの注意をある要素に向けるために核心的な提案を正確に指し示すことが美学理論の役割である。

ゆえに、伝統的な芸術理論を論理的には失敗を運命づけられた定義としてとらえるのではなく、特定のしかたで特定の芸術の特徴に注意を促す提案のまとめとして読み直すことができる。このようにして美学理論を扱うことが、その理論の役割を理解することになる。

コメント

論文の最後の議論、伝統的な美学理論の扱い方が含蓄深い。個人的に歴史的な美学理論と当時の芸術運動との関連に興味があるため、尊称的な芸術理論という理解の仕方は、伝統的な芸術理論とのうまい付き合い方を提示してくれるという点で研究の参考になる。