Lichtung

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SEP:芸術の定義

概要

スタンフォード哲学百科事典「芸術の定義」のまとめです*1
芸術の定義の試みをざっとさらっています。20世紀以前の伝統的な定義については触れず、1950年代からの英米圏における議論を扱っています。

キイ・ワード
  • 芸術の定義、定義に対する懐疑主義、慣習的定義、制度的定義、歴史的定義、機能的定義

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1.芸術の定義の制約

筆者によって十の取り組むべき条件があげられている。とくに次の二つの条件が注記されている。

  1. 外延的十全性(extensional adequacy)を与えるために、リスト的な定義、列挙的な定義は可能なら避ける。→もれを回避したい。
  2. 境界例を扱える定義が好ましい。→デュシャンの『泉』やケージの『4分33秒』などを扱いたい。

2.伝統的な定義

20世紀以前の伝統的な定義においては、一種類の要素によって芸術を特徴づけているものが多々ある。しかし、これらは十分条件ではない。けれども、これらの議論を役に立たないと放ってしまってはいけない。なぜなら、それらの定義は、提唱者たちの哲学理論ぜんたいと関係しているので、芸術の定義における議論の完成度のみならず、理論との関係を確かめて評価しなければならない。

3.定義に対する懐疑主義

芸術の定義に対する懐疑主義は、芸術を定義する価値とその実現可能性を疑う。ここでは七つの代表例が上げられている。

1.家族的類似説の発展系

芸術A、Bは要素aを共有している。芸術BとCは要素bを共有している。しかし、芸術AとCは要素を共有していない。ゆえに、AとBとCとに共有されている要素は見つからない。したがってこの3つを説明する定義は見つからない。ヴァイツ(Morris Weitz)が代表的。

2.伝統的な哲学の言葉遣いの問題

芸術の定義は伝統的な哲学の用語を用いている。それらの定義はいまだに議論されている。ゆえに、芸術の定義は伝統的な哲学の用語が定義されないうちは定義できない。ティルマン(Benjamin Tilghman)が議論している。

3.芸術の定義は歴史的に不安定である

クリステラー(P. O. Kristeller)が「近代的な芸術の体系」*2において示したように、西洋の芸術の定義は18世紀に誕生したものでそれ以前は存在しなかった。ゆえに、芸術の定義は歴史的に不安定である。

4.認知説の問題

人間がモノを分類する認知の構造に基づいて芸術の定義を組み立てようとする企てはうまくいかない。こうした人間の認知は、実際にどのように分類しているのかを明らかにはするが、論理的に整合性のあるものかどうかは保障されない。加えて、人間の生理的な機能がそうなっているからといって、その行動に基準を置いていいものかどうかは、倫理的な問題を孕んでいる。ディーン(Jeffery Dean)や、レイ(Georges Rey)、アダジアン(Thomas Adajian)らが議論している。

5.芸術の定義は不必要

個別の芸術形式の定義と、なにが芸術形式になるのかの定義があればいい。ロペス(D. M. Lopes)が代表。

6.芸術の定義はイデオロギー

社会的、経済的条件を抜きにした無関心性や美的質の議論は危険である。芸術はそうした諸条件によって成り立つひとつの社会的現象であって、中立を装う存在論を打ち立てることは問題である。イーグルトン (Terry Eagleton)が主張。

7.目的をもたない芸術の定義はない

歴史的な、慣習的な、美的な、鑑賞におけるような、意思疎通に用いられるような定義があるのであり、目的をもたない芸術の定義はありえない。

3.1 いくつかの派生

二つの代表的な理論がある。

  1. 典型例への類似説(resemblance-to-a-paradigm):典型的な芸術作品への類似によってそれが芸術作品かどうかが決まる。
  2. 群れ説(cluster):この説によれば、芸術作品であるための必要条件ではないが、選言的に十分条件、かつ、芸術作品であるためには十分な少なくともひとつの適切な部分集合であるような要素のリストを与えることができる。

4.現代的な定義

慣習的定義は、芸術が、美的要素への、形式的要素への、あるいは表現的要素への、もしくは伝統的な定義のうちで、芸術において本質的なものであるとされたいかなる種類の要素への本質的な関係を持つことを否定する。
おおきく制度的な慣習的定義、歴史的な慣習的定義の二つがある。

4.2 制度的定義

アーサー・ダントー(Arthur Danto)、ディッキー(George Dickie)が代表。
ダントーの主張は次のようにまとめられる。

「あるものが芸術であるための必要十分条件とは、(i)ひとつの主題(subject)を持つ、(ii)ある態度・観点を写し出している(スタイルをもつ)、(iii)修辞的(たいていは隠喩的)な省略がなされており、この省略によって鑑賞者はなにが失われているのかを埋めることを促される、(iv)問われている当の作品とそれについての解釈が美術史的文脈を要求する。」

ディッキーの主張は変化しているが、1984年におけるもっとも新しいものは以下のようにまとめられる。

(1)芸術家とは、理解とともに芸術作品の作成に関わる人物をいう。 (2)芸術作品とは、アートワールドに提示するために作られた人工物のことである。 (3)公衆とは、ある程度、自分たちに提示される対象を理解するために準備しているメンバーの集合である。 (4)アートワールドは、すべてのアートワールドのシステムである。 (5)アートワールドのシステムは、芸術家によって芸術作品をアートワールドの公衆に提示するための枠組みである(Dickie 1984)。

これに対しては、制度の外で生まれる芸術作品の存在を扱えない、また、いかなる制度もそれが芸術作品か否かの判断を間違いうるという批判がなされている。

4.3 歴史的定義

歴史的定義:芸術作品を特徴づけるのは、それがある特定された以前の芸術作品への芸術-歴史的な関係を持つことであり、ゆえに、歴史を越えた芸術の概念には一切関わらない。

もっともよく知られた定義は、レヴィンソン(Jerrold Levinson)による意図的-歴史的(intentional-historical)定義、すなわち、芸術作品は、先行する芸術作品が、現在に、あるいは以前に正しくみなされていたようなあり方でみなされることを真剣に意図されているものである、という定義である。

二つ目の例はステッカー(Robert Stecker)の歴史的-機能的(historical-functionalism)定義である。

  • 歴史的-機能主義的定義:ある時点tにおいてあるモノが芸術作品であるのは、tがそのモノが作られた時点よりも以前ではないときで、必要十分条件は以下である。
  • {そのモノがある時点tにおける中心的な芸術形式のうちにあること}かつ{(そのモノが時点tにおける芸術の機能を満たすことを意図して作られていること)または(それがそのような機能を獲得することの栄誉を獲得したモノであること)}

三つ目の例は歴史的語り説(historical narrativism)である。ここでは、キャロル(Noel Carroll)とストック(Kathleen Stock)の説に触れる。

キャロルの説は次のようにまとまられる。

  • あるモノが芸術作品であるかどうかの十分条件ではあるが、必要条件ではない条件:意識的な、そして生き生きとした芸術的な動機を伴って、芸術的な文脈において芸術家によって創られたそのモノが、そのように創られ、少なくともひとつのある認められた芸術作品に似ているかどうかに基づくまさしく歴史的な語りの構成物である。

もう一つはより挑戦的で唯名論的なストックの例である。

  • 芸術作品であるための必要十分条件:(1)そのモノと既に確立されている作品との間には内的な歴史的関係がある。 (2)これらの関係は語りによって正しく識別され、そして(3)関連する専門家によって語りは受け入れられる。専門家は、特定の存在者が芸術作品であることを検出しない。むしろ、専門家が特定の場合において特定の要素が重要なものであると主張するということが、芸術を構成する。

4.4 機能的(主として美的)定義

ある機能、あるいは、意図された機能によって芸術作品かどうかが決まる。機能の代表は美的質。伝統的な芸術観に適合し、また、芸術作品の普遍的な特徴を記述できるが、コンセプチュアル・アートの扱い、現代的な作品の扱いに問題がある。

感想

歴史的定義に魅力を感じた。次の二つの理由によって魅力的だ。一つに、芸術作品の普遍性は求めず、実践における文脈を組み込んだ説明を目指すがゆえに。二つに、あるものが芸術作品かどうかの判断において発生するであろうある種の政治性や個人や集団の力学を考慮する余地を残しているがゆえに。

また、劣勢に立っているとされている機能的定義に興味を持った。実践家の直観を整理するには適している。