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"The Modern System of the Arts" Part I P. O. Kristeller

はじめに

本稿は、クリステラーの著名な論文「近代的諸芸術のシステム:美学史研究」Kristeller, Paul Oskar. "The modern system of the arts: A study in the history of aesthetics part I." Journal of the History of Ideas (1951): 496-527. の読書ノートである。

この論文は「五つの主要なアート(絵画、彫刻、建築、音楽、詩)(the five major arts)を構成要素とする〈アート〉(Art)」という概念は18世紀以前には存在していなかった」ことを歴史的に示す。
わたしたちがよく耳にし、当たり前の概念として受け入れ、用いるアートという概念が、どのような背景の下で現れたのかということをクリステラーは問う。

クリステラーのこの主張は発表後広く受け入れられることとなった。近年、その真偽に関して正確な検証が行われはじめている*1。それらの論文もついで読解してゆくつもりである。

なお、理解の一助として筆者の責任で小見出しを付けた。

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Ⅰ. イントロダクション

アート(Art)という語でしばしば参照されるのは、「五つの主要なアート」(five major arts)、すなわち、絵画、彫刻、建築、音楽、詩である。
これらは現在、所与のものとして見なされ、美学研究の規範として用いられている。けれども、その中立的な見かけとは裏腹に、18世紀に生まれた比較的新しい概念なのだ。

現代美学の基礎をなしており、わたしたちによく知られている、この五つの主要なアートというシステムが、比較的最近生まれたものであり、古典期、中世そしてルネサンス期の思想に遡れば多くの材料を有していたものの、18世紀以前にははっきりとした形をなしていなかったことを示すことがここでのわたしの目標である。

It is my purpose here to show that this system of the five major arts, which underlies all modern aesthetics and is so familiar to us all, is of comparatively resent origin and did not assume definite shape before the eighteenth century, although it has many ingredients which go back to classical, medieval and Renaissance thought.(p.498, par.2)

Ⅱ. カテゴリーの異同

テクネーとアルス

古典ギリシア語τέχνη(テクネー)、あるいはラテン語ars(アルス)は特別「ファインアート」(fine art)を意味していたのではなく、わたしたちが工芸(crafts)や科学(sciences)と呼ぶような人間の活動のすべてに対して用いられていた。
たとえばギリシアの著述家がアートと自然(nature)とを対置するとき、前者は人間の活動一般を意味していた。ヒポクラテスの有名な言葉「人生は短く、技芸は長い」(Ὁ βίος βραχὺς, ἡ δὲ τέχνη μακρὴ.)*2という言葉における「技芸(τέχνη)」は芸術ではなく、医術のことを指している。また、プラトンは合理的な方法とルールによって発展するものとしてアートを考え、アリストテレスは知(knowledge)に基づいた活動としてアートを捉えていた。さらにストア派は、道徳的に生きる技術としてアートを捉えていた。(p.498, par.1)

現代美学の中心的な概念である美(beauty)は古典期において、現代的な意味では現れていなかった。
ギリシア語καλόνカロン)、ラテン語pulchrum(プルケルム)は道徳的なよさ(the moral good)とはっきりとは区別されていなかった。プラトンは、『ファイドロス』において、「神は美しく(καλός, カロス)、知恵深く(σοφός, ソフォス)、そして道徳的にすぐれている(ἀγαθός, アガトス)。」*3と述べている。ここでκαλόςは純粋に美しいものを意味するのではなく、道徳的なよさと結びついた美しさを意味している。また、ストア派の言葉に「美しいもの(καλός, カロス)のみが道徳的によい(ἀγαθός, アガトス)のだ。」*4とあり、それを受けたキケロの言葉「真摯であることのみが道徳的によいことだ」*5がある。ゆえに「美しさは道徳的なよさ以外ではありえず、よさとは有用なものとしてのよさ以外ではありえなかった。*6のだ。

詩、音楽、視覚芸術の実相

 さて、次に、個々の芸術が古典期においてどのように評価され、グルーピングされていたのかに注目しよう。

まず、(poetry)は古典期、非常に敬意を払われていた。ミューズによって霊感を受ける詩人という考えは、ホメロスやヘシオドスにまで遡ることができる。また、ラテン語のvatesという言葉は、古典期における詩と宗教的な讃歌との関連の消息を伝えている。さらに、プラトン『ファイドロス』における「聖なる狂気(divine madeness)」としての詩という表現もある*7。ここでは独立した「ファインアート」という概念はなかった。(p.500, par.1)

アリストテレスは『詩学Poetics)』において体系だった詩の研究を行い、後の批評家たちに大きな影響を与えた。ソフィストたちが活躍をはじめた時代から、古典期を通して、詩と弁論との間には相互関係があった。また、後のアラビア圏の解釈者たちは、アリストテレスの『弁論術(Rhetoric)』と『詩学』という二つの著作が彼の『論理学(Organon)』ののちに置かれていることから、論理学、修辞学、詩学という関係を強調した。そのことはのちにルネサンス期の思想にも影響することになる。(p.501, par.1)

音楽(music)は古典期の思想の中で重要な位置を占めていた。しかし、ギリシア語のμουσική(ムーシケー)という言葉には注意が必要である。例えばギリシアにおける音楽教育について見てみよう。それはプラトンの『国家』からうかがい知ることができる。当時の音楽教育では、わたしたちが考える音楽のみならず、詩や舞踊もまた教えられていた*8。また、プラトンアリストテレスの著作において、音楽は詩や舞踊、さらに叙情詩(lyric)や劇詩(dramatic poetry)とは区別されていなかった*9。こうした伝統は器楽曲、そして、ピュタゴラス派による数学的な音楽理論の発展によって徐々に消えていった。(p.501, par.2)

古典期の哲学者たちは視覚芸術(visual arts)について個別の組織的な論考を著さなかった。加えて、自分たちの思考の体系のなかで際立った位置を与えることもなかった。(p.502, par.1-p.503)

また、プラトンアリストテレスは模倣の術(imitation art)という分類を述べている。しかし、この模倣 μίμησις(ミメーシス)の術のなかには詩や音楽のみならず、鏡の用い方や、マジックなどが含まれていた*10。やはり現在のアートの分類とは異なるものだった。(p.504, par.1)

カテゴリーの欠如

次に次節で扱うリベラル・アーツ(liberal arts)の由来についてすこし触れておこう。
その前身はギリシアにおける初等教育(τὰ ἐγκύκλα)(タ・エンキュクラ)である。しかし、その初期の歴史は未だに明らかにはなっていない。キケロ(Marcus Tullius Cicero, BC. 106-BC. 43)は、しばしばリベラル・アーツに言及し、それらのアーツの相互作用について語っているが、その正確なリストは述べられていない*11
「自由七科」(seven liberal arts)のはっきりとした定義の登場はカペッラ(Martianus Capella)を待たねばならなかった。彼は、文法、修辞学、弁証法、算術、幾何、天文学、そして音楽の七つをあげた。(p.505, par.1)
(p.506, par.2)

以上をまとめよう。

古典期の著述家、思想家たちは、すぐれた作品に出会い、その魅力に鋭敏であったものの、それらの美的質をそれら作品の知的、倫理的、宗教的、実際的機能や内容から切り離すことができなかったし、したがらなかった。また、作品の美的質を、ファイン・アートを一緒にまとめ上げるための基準として用いることも、それらの作品を包括的な哲学的解釈の主題とすることもできなかったし、したがらなかった。

'ancient writers and thinkers, though confronted with excellent works of art and quite susceptible to their charm, were neither able nor eager to detach the aesthetic quality of these works of art from their intellectual, moral, religious and practical functional or content, or to use as such an aesthetic quality as a standard for grouping the fine arts together or for making them the subject of a comprehensive philosophical interpretation.'(p.506, par.2)

Ⅲ. リベラル・アーツ 

中世初期、古典期後期から自由七科の枠組みは受け継がれていた。この自由七科は、人間の知識の包括的な分類であるだけではなく、修道院学校(monastic school)や本山学校(cathedral school)のカリキュラムとして12世紀に至るまで用いられた*12

またカロリング朝期から、三学Trivium):文法、修辞学、弁証法と、四科(Quadrivium):算術、幾何、天文学、音楽。という区別が強調されはじめた。

加えて、自由七科とは別に、アリストテレス書物とその順番に基づいた論理学、倫理学、自然学という三つの哲学区分が、ギリシア語アラビア語の翻訳作業を通じて知られるようになってきた。さらに、大学の興隆に伴い、哲学、医学、法学が生まれた。

他方、聖ヴィクトールのフーゴ(Hugh of Saint Victor, 1096-1141)によって、自由七科に対置される形ではじめて機械七科(seven mechanical arts)が形成された*13。この枠組みは後の重要な思想家、ボーヴェのヴァンサン(Vincent de Beauvais, 1184-1264)やアクィナス(Saint Thomas Aquinas, 1225-1274)に影響を与えた。

ファインアートは以前として一つにまとめあげられることもなく、また、科学、工芸、そのほかの共通する部分のないばらばらな種々の人間の活動から拾い出されることはなかった。(p.507, par.1)

学校や大学では詩と音楽は教えられていたが、視覚芸術に関しては、職人のギルドにおいて扱われるものだった。(p.508, par.1)

アートは古典期と同じく広い意味を持っており、人に教えられるもの[技術]みなされていた。中世に生まれた artista (アルティスタ)という言葉は、職人(craftsman)、もしくはリベラルアーツの学生のどちらをも意味していた。加えて、ダンテ(Dante Alighieri, 1265-1321)、アクィナスにとって、artesアルテス)は絵画、彫刻、音楽のみならず、靴作り、料理、ジャグリング、文法や算術をも意味していた。(p.508, par.2)

他方、美(beauty)の概念について、アクィナスや少数の中世哲学者たちは言及していたが、それらはいかなるアートとも結びついていなかった。第一に神の形而上学的な恩寵と、神の創造として美は考えられていた。結論として、中世においては、ファインアートという概念やシステムは存在していなかった。(p.509, par.1)

Ⅳ. ルネサンス

人文学と詩

一般的に流布している意見とは異なり、ルネサンス期にファインアートというシステムは形成されなかったし、包括的な美学理論もまた形作られなかった。(p.510, par.1)

初期のイタリアの人文主義において、以前の自由七科を引き継ぎつつ、新たに人文学Studia humanitas)が誕生した。これは、自由七科の中の三学の論理学を抜き出し、伝統的な文法学と修辞学に歴史学ギリシアの哲学と、道徳哲学(moral philosophy)を加えて、さらに詩をもっとも重要な部分とした*14

14世紀から15世紀における詩(poetry)とは、ラテン語の詩句を書き、古代の詩句を解釈する能力のことと理解されていた。そして、16世紀には、俗語(vernacular)詩や俗語の散文がラテン文学と同様の地位を分かちもつようになった。加えて、プラトン主義の復興により、「聖なる狂気」としての詩人というイメージが再び広がった。(p.510, par.2)

16世紀の中期、アリストテレスの『詩学』が『修辞学』とともに影響を増した。翻訳書や注釈書が著わされただけではなく、詩学に関する論考の増加によるものだった。そして、詩的模倣(poetic imagination)がアリストテレス学者のうちで注目され、学者の中には、模倣の形式としての詩、絵画、彫刻、そして音楽の類似性を指摘した者もいる。しかし、多くはこうした模倣芸術としての分類を作ろうとはしなかった。(p.511, par.1)

ルネサンスにおける諸芸術

ルネサンス期、音楽理論リベラルアーツの一つとしての地位を保ち続けていた。加えて、16世紀終わりには、カメラータ(camerata)のオペラ形成のプロジェクトが、音楽と詩の関係性に改めて光を当てた。(p.512, par.1)
ルネサンス期には、イタリアにおいて、チマブーエ(Cimabue, 1240-1302)やジョット(Giotto di Bondone, 1267-1337)が現れ、絵画やその他の視覚芸術の漸進的な発展が始まっており、それは16世紀に頂点に達した。また、14世紀から16世紀にかけて、著述家は視覚芸術に共感を示し、絵画が機械的技術(mechanical arts)ではなく、リベラルアーツの一員として見なされるべきだと繰り返し主張していた。(p.513, par.1)

こうした視覚芸術に関する文化的主張は、16世紀のイタリアに重要な発展をもたらした。そして、三つの視覚芸術として、絵画、彫刻、そして建築がはっきりと定義された。

さらに画家、建築家であるヴァザーリ(Giorgio Vasari, 1511-1574)によって、'Arti del Disegno' という言葉も誕生し、この名称は、1563年のー絵画芸術アカデミー(Accademia delle Arti del Disegno)の誕生に影響した。これは画家、彫刻家、建築家がそれまでの職人ギルドとの繋がりを断ち切るかたちで設立された。工場における教育ではなく、幾何学と解剖学を取り入れた科学的な講義を行なった。(p.514, par.1)

'Ut pictora poesis.' 「詩は絵のように」というホラティウス箴言は16世紀から18世紀にかけて注意深く研究された。また、ホラティウスの『詩について(Ars poetica)』は絵画論のための文学のモデル(literlly model)として用いられ、多くの詩の理論と概念が絵画に応用された。こうした詩と絵画の比較は、三つの視覚芸術が工芸(crafts)から解放される契機となり、後の五つのファインアートのシステムの基盤をつくった。(p.515, par.1)

優位性、アマチュア、比較

また、当時、優位性(precedence)に関する論争が盛んに行われた。これはさまざまな科学、芸術、そのほか法学や医学などのさまざまな人間活動のなかでいずれが比較して長所や優越性を持っているかを議論するものだった。(p.516, par.1)

当時のマチュア(amateur)の伝統に目を向けてみよう。当時、カスティリョーネ(Baldassare Castiglione, 1478-1529)による紳士淑女のマナーを記載した『宮廷人の書』(Il Cortegiano)は出版されるや否や大好評を博した。この書の中で、詩、音楽、そして絵画の鑑賞は紳士淑女に御誂え向きの趣味であるとされている。ただ、同時に、フェンシングや乗馬、古典の学習やコインやメダル集め、自然探究もまた趣味のリストに入れられている。
けれども、17世紀前半には絵画、音楽、詩によって生み出される喜びは、幾人かの著述家に、同様のものであると感じられていた。(p.517, par.1)

ルネサンスの文芸における詩と絵画、そして音楽のもっとも精密な比較はボヘミアイエズス会ポンタヌス(Jacobus Pontanus, 1542-1626)の著作に記されている*15
ポンタヌスは、視覚芸術における三つの芸術を喜びを与えてくるような模倣の形式とみなし、絵画をリベラルアーツであることを論じている。一方、音楽理論ではない作曲は詩と絵画と同列ではないとしている。(p.517, par.2)

美についてのルネサンスの思索は、いまだアートとは関係しておらず、明白に古代の枠組みに影響されている。(p.518, par.1)

イタリアにおいて、ファインアートのモダンシステムはベッティネッリ(Saverio Bettinelli, 1718-1808)のような著述家が当時のフランス、イギリス、そしてドイツの論説に追随するようになる以前は現れなかった。(p.518, par.2)

Ⅴ. 芸術と科学の分離 

フランスの達成

17世紀の間、ヨーロッパの文化的主導権はイタリアからフランスへと移った。その際、イタリアのルネサンスに特徴的な思考や傾向性は引き継がれた。(p.521, par.1)
ルイ14世の治世、フランスでは多くの文化的偉業が達成された。詩や文学、絵画ではプッサン(Nicolas Poussin, 1594-1665)、音楽ではリュリ(Jean-Baptiste de Lully, 1632-1687)が登場した。(p.521, par.2)
こうしたさまざまな芸術の興隆は、政府主導による学会や団体の発展によるものだった。
1635年には宰相リシュリー(Armand Jean du Plessis de Richelieu, 1585-1642)により、フランス語及びフランス詩の発展のためのアカデミー・フランセーズ(Académie Française)が設立された。その7年後王立絵画彫刻アカデミー(Académie Royale de Peinture et de Sculpture)が設立され、アルチザンギルドから芸術家たちを切り離すことが試みられた。
以後1660年から1680年の間に、さらに多くのアカデミーが政治家コルベール(Jean-Baptiste Colbert, 1619-1683)によって設立された。
こうしたコルベール設立のアカデミーは文化的な分野や各々の職業の分野の包括的なシステムを反映していたものの、特にはっきりとしたファインアートという概念を反映していたわけではなかった。(p.521, par.3)

この時代、自然科学の発展と自立とがなされた。1666年にはフランスでは科学アカデミー(Acqdémie des Sciences)が誕生し、1660年にはイギリスで王立協会(Royal Academy)が設立された。

新旧論争

こうしたさなか、「新旧論争」(Querelle des Anciens et Modernes)が勃発した。

その由来に触れておこう。
自分たちの新しい方法論や視座をひとびとにアピールするために、現代的な研究のメリットを古典的なそれと対置する方法は、ベーコン(Francis Bacon, 1561-1626)やデカルト(René Descartes, 1596-1650)に起因する*16。例えば、デカルトの『情念論』(1649)ではこう述べられている。

What the ancients have taught is so scanty and for the most part so lacking in credibility that I may not hope for any kind of approach toward truth except by rejecting all the paths which they have followed.

古典作家たちが教えてきたことは、あまりに不十分で、信頼性に欠けるために、彼らが辿っていったあらゆる道を拒否することのないような真理に向かうどんな行程も望まない。

直接新旧論争を引き起こしたのは、近代派ペロー(Charles Perrault, 1628-1703)による、ルイ14世の病気からの回復祝いとして書かれ、ルイ14世の治世における科学的、文芸的な達成を寿ぐために著された『ルイ大王の世紀』(1687)の中の次の詩句だった。

La docte Antiquité dans toute sa durée
A l'égal de nos jours ne fut point éclairée.

Le siècle de Louis le Grand ("The Century of Louis the Great," 1687)*17

Learned Antiquity, through all its extent,
Was never enlightened to equal our times.

ペローのこの文章に対して、古代派はさまざまな反駁を加え、以後長きに渡る論争が繰り広げられた。(p.525, par.1)

この論争は二つの重要な結果をもたらした。

一つに、近代派は、文芸における論争を、古代人と近代人との間での、人間活動のさまざまな分野の組織だった比較へと拡大した。そのことにより、これまでのシステムよりも新しく、より明確な、知識や文化の分類を発展させた。

二つに、古代人と近代人の発言がひとつひとつ検証されることで、近代人が古代人にはっきりと優越している数学的計算や、知識の蓄積に拠るすべての分野がある一方で、近代人と古代人のどちらが優れているのかはっきりしないような、個人の才能や批評家の趣味に依拠する分野があることが確認された。(p.525, par.2)

こうして、芸術と科学とを明白に区別する基礎がはじめて用意されたのだった。(p.525, par.7)

*1:Porter, James I. "Is Art Modern? Kristeller's ‘Modern System of the Arts’ Reconsidered." The British Journal of Aesthetics 49.1 (2009): 1-24. Shiner, Larry. "Continuity and Discontiuity in the Concept of Art." The British Journal of Aesthetics 49.2 (2009): 159-169. Kivy, Peter. "What Really Happened in the Eighteenth Century: The ‘Modern System’Re-examined (Again)." The British Journal of Aesthetics 52.1 (2012): 61-74. Young, James O. "The ancient and modern system of the arts." The British Journal of Aesthetics 55.1 (2015): 1-17. 筆者注

*2:Hippocrates, Aphorisms

*3:τὸ δὲ θεῖον καλόν, σοφόν, ἀγαθόν, καὶ πᾶνὅτι τοιοῦτον. Plato, Phaedrus, 246 d-e

*4:μόνον τὸ καλόν ἀγαθόν. Stoicorum Veterum Fragmenta III, p.9ff.

*5:quod honestum sit id solum bonum. Cicero, De finibus III, 26

*6:"Beauty" nothing but moral goodness, and in turn understood by "good" nothing but the useful. p.500, par.1

*7:Phaedrus 245 a.

*8:Republic II, 376 e ff.

*9:Poetics I, 1447 a 23ff. Laws II, 669 e f.

*10:Republic X, 596 d f. 1602 d.

*11:Pro Archia poeta 1, 2: "etenim omnes artes quae ad humanitatem pertinent habent quoddam commune vinculum." 「実際、人間に関係する技芸のすべては、互いに強い関連性を持つ」筆者注。

*12:P. Abelson, The Seven Liberal Arts ( thes. Columbia University, New York, 1906.)

*13:Hugonis de Sancto Victore Didascalion, bk. II, ch20ff. 簡単な説明を付す。lanificium:織物の学。毛織物や服飾、カーテンやシーツなどの作製に関する織物の学(cf. haec omnia studia ad lanificium pertinent.)。armatura:戦争の道具の学。造船、建築、鎧作りなど、戦争の道具に関する学(cf. arma aliquando quaelibet instrumenta dicuntur, sicut dicimus arma belli, arma navis, id est, instrumenta belli et navis. ceterum proprie arma sunt quibus tegimur, ut scutum, thorax, galea, vel quibus percutimus, ut gladius, bipennis, sarisa. tela autem sunt quibus iaculari possumus, ut hasta, sagitta.)。navigatio:商業の学。航海法だけではなく、商業や交渉に関する学(cf. Navigatio continet omnem in emendis, vendendis, mutandis, domesticis sive peregrinis mercibus negotiationem.)。agricultura:農業の学。葡萄園や果樹園、林業を含む学。venatio:狩りの学。狩猟のみならず、畜産と漁業、養蜜やチーズの発酵業など、かなり幅広い分野を含む学(cf. venatio igitur continet omnia pistorum, carnificum, coquorum, cauponum officia.)。medicina:医の学。手術や薬といった医学のみならず、運動や睡眠、食事や空気といった広い意味での健康に関する学。theatrica:劇の学。アートを鑑賞する劇場や、祈りのための教会のみならず、晩餐会や祭りの場といったひとびとが喜びや休息のために集まる場所に関する学(cf. Theatrica dicitur scientia ludorum a theatro ubi populus ad ludendum convenire solebat, non quia in theatro tantum ludus fieret, sed quia celebrior locus fuerat ceteris.)。筆者注。

*14:Kristeller, Paul Oskar. "Humanism and Scholaticism in the Italian Renaissance," Byzantion 17 (1944-45), 346-47, esp.364-65

*15:Jacobi Pontani de Societate Jesu Poeticarum Institutionum libri III. Catalog Record: Jacobi Pontani ... Poeticarum institutionum... | Hathi Trust Digital Library2017/08/16閲覧。サイト引用は筆者。

*16:Dictionary of the History of Ideas Ancients and Moderns in the Eighteenth Century Dictionary of the History of Ideas :: :: University of Virginia Library 2017/08/16閲覧。筆者注。

*17:筆者引用。