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デイヴィッド・ベネター『人間という苦境』第1章 イントロダクション

『人間という苦境——人生の問題への率直なガイド』 The Human Predicament: A Candid Guide to Life's Biggest Questions *1

はじめに

著者のベネター(David Benatar, 1966—.)は南アフリカ共和国ケープタウン大学の哲学科教授。著書に『生まれてこないほうがよかった――生まれ出るという害悪(Better Never to Have Been: The Harm of Coming into Existence)』(2006年)や、『第二のセクシズム――成人男子と男児に対する差別(The Second Sexism: Discrimination Against Men and Boys)』(2012年)がある。専攻は道徳と社会の哲学、応用倫理学、法と宗教に関する哲学である*2

 ベネターは Better Never to Have Been における次のような主張によって有名である:いかなる場合においても、子供をもうけることはつねに道徳的に悪い(In all cases, it is morally wrong to procreate.)*3。これは一般的な感覚からすれば問題含みの主張であり*4、事実多くの論争を引き起こしていると言われる*5

このような記述から陰鬱でペシミスティックな、あるいはスノビッシュで奇を衒った哲学者の像が結ばれるかもしれない。

事実この本『人間という苦境——人生の問題への率直なガイド』*6 で扱われるのは、次のような陰鬱で奇妙なテーマである:生の無意味さ、死の無意味さ、自死の無意味さ、生の質(QOL)の無意味さ、不死の無意味さ。

けれども、単にひとを驚かすためにこれらのテーマが扱われるわけではない。ベネターは端々で、人生の苦境をその場しのぎでやり過ごすのではなく、真剣に議論することの価値を強調している。そして、すぐれて倫理的であろうとするなら、生と死に関する問い、そして、それらの意味に関する問いを放って置くわけにはいかないことに何度も注意を向ける。この主張には説得力があり、読者が本書に読む動機のひとつとなりうる。

加えてもうひとつ読み進める動機となりうるのは、彼の文章それそのものの魅力だろう。必要十分で乾いた論証のそこかしこに、おかしみを誘うぼやき、韜晦、とぼけが挿入され、読み進める苦痛を感じることは能うかぎり少ない。

筆者はその議論の態度と軽妙なユーモアに魅力を感じ、自分の学習と、ベネターの紹介のために、こうして読書ノートとして公開することにした。倫理学に興味のある方、人生の意味を考えているひとになんらかの形で寄与できれば幸いである*7

The Human Predicament: A Candid Guide to Life's Biggest Questions

第1章 イントロダクション

1. 人生の大問題 Life's big questions

この本は人生の「大問題」を扱う:わたしたちの人生に意味はあるのか? 人生は生きるに値するのか? わたしたちが現在も死に近づいていることにどう向き合うべきか? 永遠に生きることはよりよいことなのか? わたしたちは自身の人生をはやく終わらせてよいのだろうか?

この問題を考えたことのない者はいないだろう。その点ではわたしたちは共通しているものの、その答え方には様々な深さや方向の違いがある。この大問題に対して、宗教的、世俗的な心地よい出来合いの答えを持ち出す者もいれば、この問題が答えようがないほど複雑であると考える者もいるし、この問題に対する答えは一般にむごたらしいものだと考える者もいる。
そして、ベネターがこれから述べるものは最後の部類に属する。つまり、この本でベネターは端的に、「人生は悪く、死もまた悪い」ことを論証する。 'Life is bad, but so is death.' (p.1-2)

これから6章にわたる議論を概観しておこう。
まず、宇宙的視点(a cosmic perspective)から見て、人生にはなんの意味もない。わたしたちの人生は互いにとって意味があるかもしれないが(第2章)、それ以上の目的はない(第3章)。
わたしたちの生活の質(quality of life)はそれがどんなによいものでも、究極的に悪さがよさを上回る(第4章)。
死は人生の苦しみからの解放であるがゆえに悪くはない、と考えられている。けれども、死は人生の宇宙的視点からの無意味さになんら対抗し得ないし、自死すら救いをもたらさない(第5章)。
不死(immortality)がもし可能でも、悪いものである(第6章)。
自死は人生の苦しみからの解放としては合理的ではある。しかし、悲劇的であり、悪い(第7章)。
人生の苦境に対する応答はなにも自死に限らない。ベネターの悲観主義に対する楽観主義の反論を論駁しつつ、別の応答の可能性を述べる(結論部)。(p.2-4)

2. 悲観主義と楽観主義 Pessimism and optimism

 ここで悲観主義(pessimism)と楽観主義(optimism)の区別をしておこう。
これらの間には、事実についての見方の違いと、事実をどのように評価するかについての二つの違いがある。

事実についての見方の違い:楽観主義者は、不幸が自分のもとには降りかからないと考えており、悲観主義者は、自分に不幸が降りかかる、と考えている。あるいは不幸な人間の数について両者は明白に異なる答えを出すはずである。

事実をどのように評価するかについての違い:使い古された例だが、コップに半分の水が入っているときに楽観主義者は「半分も水が入っている」と考え、悲観主義者は「半分しか水が入っていない」と考える。
しかし、これから扱う問題に関して、その回答の仕方が楽観主義的か悲観主義的かを判別する際には注意を要する。例えば、6章で扱う不死性について、不死性が悪いものだと考える立場は悲観主義だろうか? しかしこれは死性(mortality)がましなものだと考えているために楽観主義的な見方であるとも言える。ゆえに、この本では、人間の条件の要素をネガティブな言葉で描写する立場を悲観主義と呼び、その反対を楽観主義と呼ぶこととする。(p.4)

この節の最後に、悲観主義と楽観主義に関して注意すべき点を挙げておこう。

まず、わたしたちが悲観主義的であるか楽観主義的であるかは、扱う対象ごとに変わりうるのであって、すべてにわたって悲観主義的な、あるいは楽観主義的な態度を取る必要はない。
次に、悲観主義と楽観主義とはデジタルな0と1の問題ではない。わたしたちは、両極端な主義に振り切ることなく、正確に議論を展開しなければならない。(p.5-6)

人生の大問題に関する悲観主義的な回答は不人気である。ひとびとは悪いニュースを避けたがるものであり、楽観主義的な見方を信じたがるものである。
けれども、そうした楽観主義に馴染めず、かといって現実の過酷さを認められない者は厳しい現状にある。
しかし、人生の大問題は、その見かけに反して、回答不可能な問題などではない。単に怖ろしい(horror)ものであるだけだ。ゆえにベネターは「人間の条件」(human condition)は「人間という苦境」(human predicament)に等しいと考える。(p.7)

3. 人間の苦境と動物の苦境 The human predicament and the animal predicament 

人間の苦境は動物の苦境とそれほどかけ離れてはいない。
例えば、孵卵場で鶏のひよこは孵化後雄と雌とに選別され、卵を産まない不要な雄は粉砕や圧殺など様々な方法で処理される*8。雌として生き延びても、狭いゲージでストレスを感じながら一生を終える。
ある種の動物の苦境は人間の苦境よりもひどいと言える。

にも関わらず、この本で人間の苦境を主題的に扱い、動物の苦境について本格的な議論を行わない。次の二つの理由がある。
一つに、人間は自分が苦境にあると意識し、自殺も選択できるという点で、他の動物とは異なる。ゆえに、この点で検討の価値がある。
二つに、実際的な理由として、人間は自分たちの苦境にしか興味を持たないことが多い。ゆえに、人間の条件に関する悲観主義的な見方を打ち出すことは、人間の注意を引くことができる。(p.8-9)

4. 伝えるべきか、伝えざるべきか To tell or not to tell?

この章の最後に、悲観主義的な見方を擁護する際に起こる明白なディレンマについて考えよう。
ひとびとが人間の苦境を直視しないために様々な仕組みを用いて対処しているというのに、その鼻面に人生の苦境を、それがいかにひどいものかを強調して見せつけることになんの意味があるのだろうか?
もちろんベネターはひとを不幸にさせたくて人生の苦境を考察しようとしているわけではない。しかし、ひとびとが苦境に対処するために抱いている幻想が無害なものであるとは限らないことを指摘する。
人生の苦境に対処するための宗教が不寛容を生み出すことはしばしば見受けられる。瀆神者、同性愛者、不信心者、宗教的マイノリティに対する宗教的な弾圧の例は多く存在する。
加えて、世俗のイデオロギーによって、多くの悲惨な出来事が起こされたことも間違いがない。そして、日常的な楽観主義的なイデオロギーにも苛烈ではないにせよ多くの害が潜んでいる。ゆえに、ひとびとの楽観主義的な幻想は無害というわけではないのだ。

もちろん、ベネターは、各個人の幻想に関しては、それが他人を傷つけない限り関知しない*9
ただ、世の中に流通している心地よい書物や言説、本屋の「セルプヘルプ」(self-help)や「精神と宗教」(spiritual and religious)といった棚に並んでいる心理学的インチキ薬(psychological snake oil)に抗してこの本を書いているのだ、と強調する。(p.9-10)
最後にベネターは彼の著述の目的を述べる。

悲観主義的な書物は、すでに悲観的な見方を持っており、孤独を感じ、ゆえに精神に不調をきたしているひとびとにいくらか快癒をもたらす。他の者も自分と同じ見方を分かち持っていることを認識し、さらに、その見方が優れた議論によって組み立てられていることを知ることで快活さを得るだろう。
もちろんすべてのひとの目の曇りを晴らせるわけではない。けれども、読者の幾人かが、以前には持ち得なかった自分の立場を支持する議論の力を理解することを望む。人間という苦境を認識することは決して心地よいものではない。けれども、結論で述べるように、現実を否定せずに、現実に対処する道があるのだ。

A pessimistic book is most likely to bring some solace to those who already have those views but who feel alone or pathological as a result. They may gain some comfort from recognizing that there are others who share their views and that these views are supported by good arguments.
This is not to say that the scales will fall from a nobody's eyes. One hopes that at least some readers will come to see the force of arguments for a position that they did not previously hold. Recognizing the human predicament will never be easy. However, as I show in the concluding chapter, there are ways of coping with reality that do not denying it.(p.11) 

*1:原題は The Human Predicament: A Candid Guide to Life's Biggest Questions.  字義通りに訳せば『人間の苦境』となるはずだが、次の理由から『人間という苦境』とした:Predicamentには苦境の他にも、論理学用語として「範疇」の意味があり、加えて、古い用法として「状態」の意味がある。ベネターは本書で、人間の存在そのものが無意味であるという立場を取っており、人間の状態が根本的に苦しみであること、人間という範疇がつねに苦しみを伴うものであることを主張している。ゆえに、Predicamentの「範疇」「状態」「苦境」という3つの意味を含意するよう、『人間の苦境』ではなく、『人間という苦境』と訳した。しかし、文中で字義通りに訳したほうが意味が取りやすい場合は適宜「人間の苦境」とそのまま訳す。predicament - definition of predicament in English | Oxford Dictionaries及びpredicament noun - Definition, pictures, pronunciation and usage notes | Oxford Advanced Learner's Dictionary at OxfordLearnersDictionaries.comを参照。

*2:Overview | Department of Philosophy

*3: ベネターの議論を整理した図2を参照。Philosophical Disquisitions: Harman on Benatar's Better Never to Have Been (Part One) 2017/07/23閲覧

*4:反出生主義に対する反応にも少し触れられているベネター本人に対するインタヴュー記事:The Critique – Why We Should Stop Reproducing: An Interview With David Benatar On Anti-Natalism 2017/07/23閲覧。

*5:例えば、Harman, E. "Critical Study: David Benatar's Better Never to Have Been: The Harm of Coming into Existence" (2009) 43 Nous 776

*6: Benatar, David. The Human Predicament: A Candid Guide to Life's Biggest Questions. Oxford University Press, 2017.

*7:倫理学に関して門外漢の筆者がベネターの名前を知ったのは長門氏(@nag_ato)のTweetを偶然見かけたことによる。

*8:独の研究(Laser tech may mean fewer unwanted male chicks 2017/07/23閲覧)によって孵化前に雌雄の診断を可能にする技術が開発されたとのことである。もし痛みを感覚しないことがよいという立場に立つならば、孵化前の痛みを感覚しないであろう時期にひよこを処分できることはひよこたちにとってはよいことだと言える。生命を容易に選別できることがよいことかどうかは別の問題である。

*9:ベネターはある倫理学者との会話を注記している。あるとき、『生まれてこないほうがよかった――生まれ出るという害悪(Better Never to Have Been: The Harm of Coming into Existence)』(2006年)に対して反論を加えてきた倫理学者のハーマン(Elizabeth Harman)が「わたし妊娠しているんです」とベネターに言った。ベネターはそれに対して沈黙していた。そこで、彼女が「あなたはせめておめでとう、と言うべきです」と言ったとき、ベネターは「おめでとう。あなたにとってはね。しかしこれからも生まれて来る子どもにとっては、おめでたくないですね」("I am happy for you. It is your expected child for whom I'm not happy.")と言った。ベネターによれば、ハーマンは学会などでこの会話を不正確な形で広めているという。なので、正しい会話の記録を注記しておくそうである。(本書216ページ、注9)