Lichtung

難波優輝|美学と批評|Twitter: @deinotaton|批評:lichtung.hateblo.jp

ピーター・キヴィ『音楽哲学入門』第13章 どうして聴かなければならないのだろう

第13章 どうして聴かなければならないのだろう

この章では、なぜわたしたちは音楽を聴くのか、という根本的な問いを問う。

ショーペンハウアーの音楽理解が参照されつつ、キヴィの自説が述べられる。

Introduction to a Philosophy of Music

なぜ聴くのだろう

この章では、音楽を聴くよろこびをなぜ選び取るのだろうか?(Why should you want this kind of pleasure or satisfaction instead of some other kind? )問いを扱う。(p.252, par.2)
キヴィはこの問いに答えるために、ショーペンハウアーの主張を参考する。
ショーペンハウアーは、音楽の特質を主張するために〈充足理由律〉(Principal of Sufficient Reason)を扱った。
これは、ライプニッツ(Gottfried Willhelm von Leibniz, 1646-1716)が「なにものも因果なしに発生しない」(nothing happens withoit reason)と述べたように、すべてのできごとにはかならずその因果的な理由があるという法則のことである。(p.252)
ショーペンハウアーにとって、こうした充足理由律は、わたしたちを動機付けさせ、行為へと仕向け、わたしたちに変化していってしまう時空間的の中で生きることを強制し、あれを行なったならばこれを行うことができないように論理的な限定を加え、果てしない因果の連続のなかに引き摺り込むものと考えた。(p.253)
そして、ショーペンハウアーは、芸術を、上記のようにわたしたちを時空間的に、因果律的に、論理的に、行為的に拘束している充足理由律からわたしたちを解放するものだと考えた。そして音楽をその最上のものと考えたのである。(p.254)
キヴィはこのショーペンハウアーの説を発展させ、音楽は、〈解放する〉(liberating)芸術である、と述べる。
他の芸術はすべてのなんらかのできごとを表象している。例えば物語は登場人物たちの選択を提示することで、それを享受するわたしたちに、わたしたち自身がいかに生きるべきか、という現実的な問いを投げかける。
しかし、音楽はそうした物語的内容を持たない。キヴィはその無内容性を「音楽は、毎日の生活からわたしたちを解放する唯一の芸術である」(Music, alone of the fine arts, makes us free of the world of our everyday lives.)として評価する。(p.257)
そして、キヴィは、以下のように主張する。

わたしは、絶対音楽を聴くことは、とりわけ、わたしたちの住むこの試練と苦難とあいまいさに満ちた世界から脱して、わたしたちの世界の描写の表象として解釈する必要がなく、その言葉そのものによってのみ鑑賞できるがゆえに、苛烈な痛みの解消とも正当に類比できるような解放の感覚を与えるような、純粋な音構造の世界へと誘うことだと述べているのだ。この解放の感覚は、痛みからの解放のようにポジティブなものであり、ネガティヴな感覚ではないということを強調しておく。それは単になにかしら悪いものから自由になることであるというよりも、明白な喜びや満足であるのだ。

I am arguing, then, that listening to absolute music is, among other things, the experience of going from our world, with all of its trials, tribulations, and ambiguities, to another world, a world of pure sonic structure, that, because it need to not be interpreted as a representation of a description of our world, but can be appreciated on its own terms alone, gives us the sense of liberation that I have found appropriate to analogize with the pleasurable experience we get in the process of going from the state of intense pain to its cessation. I have emphasized that this feeling of liberation, like that liberation from pain, is a positive rather than a negative feeling: that it is a palpable pleasure or satisfaction rather than simply a release from something bad.(p.260)

さいごに

キヴィはこの本の最後に、読者に向けた言葉を書き残している。この本は読者が、これから音楽に関する問いを問うてゆく助けになるように書かれたのであり、なんらかの定まった真実を教えるために書かれたのではないということを強調する。
「わたしが書いたことのすべてを信じてはいけない」(Don't believe anything I have written.)。とキヴィは明記する。そして、この本の〔そしてこの読書ノートの〕冒頭に掲げられたソクラテスの言葉をキヴィはもう一度繰り返す。

すべての議論に対してそのつど、ぼくの言うことが正しい、ともし君が思ったのなら、ぼくに賛成して欲しい。そしてもし思わなかったのならそのつど反対して欲しい。じぶんじしんをも、君をも決して偽りたくないというぼくの思いと、さらに、ぼくが去ったあとも、蜂のように、君のもとに針を残しておきたいというぼくの切望を思いやって欲しいのだ。

If you think that what I say is true, agree with me; if not, oppose it with every argument and take care that in my eagerness I do not deceive myself and you and, like a bee, leave my sting in you when I go.
(p.263)