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ドイツ語 すずろ歩き 1日目

はじめに

辞書の中には思わず考え込んだり、ふわりと物語が生まれたりする言葉が潜んでいる。

ふつうは忙しくて読み流してしまうそんな言葉たちをひとつずつ拾い上げて自由にさせてみたい。そこから広がる詩情やユーモアを、たまたま訪れたあなたと共有できればと思う。ドイツ語を勉強していてもいなくても、イメージの広がりを楽しめればと思う。

1日目

Sie bekommen alles, was sie (sich) nur wünschen.

彼らはおよそ望む限りのものをすべてを手に入れる。

1日目はこの文章から。

彼らとはどんなひとびとだろうか? ふつうは大富豪をイメージするかもしれない。唸るほど金があり、札束で頬を叩けばすべて解決するような。だが、わたしは違うひとびとをイメージした。

望むものが極端に少ないひとびとをイメージした。

たとえば、明日生きることだけを望みとするひと。彼はきっと明日すべてを手に入れる。たとえば、見知った日々を過ごすことを望みのすべてとするひと。彼らもまた一瞬一瞬を望みの成就として過ごしている。

この世でもっとも富をもっているのは、手に入らないものを望まない者かもしれない。

しかし、わたしはそうした満ち足りた幸福をあまり善いものとは思わない。それは想像できない誰かの犠牲で成り立っていて。わたしにはその嘆きがどこからか聞こえてくるような気もする。

be-kommenという言葉が効いている。わたしの方にやってくる、という意味で手に入れるわけだ。むろんこのbekommenは能動的に働きかけるという意味での獲得するを意味している。しかし本来的には掴み取るというよりかは贈られるというイメージだ。こちらから摑みかかる、掴み取るという意味で、greifenのほうがふさわしいような気がする。

In seiner Heimat hat sich nur wenig verändert.

彼の故郷は少しも変わっていなかった。

これは幸福な事例だろうか?

郊外を故郷とする者なら誰しも、愛した田畑や商店街が駐車場とイオンモールに変わる悲哀を知っている。それはまだしも故郷が生きているということだろう。この時代に変わらない故郷があるとすれば、それは間違いなく没落と衰退のただなかにある。同じく変わらないものは売れないものである。もはやノスタルジーは贅沢品になったのだ。次にひとの場合をみてみよう。

Sie hat sich kaum verändert.

彼女はちっとも変わっていなかった。

ひとが変わる。往往にして悲しい話だ。環境が変わり時が経てばひとは変わっていく。良い方にも変わるが、わたしたちがひとを好ましく思うのは、むしろそのひとの欠点の魅力によるものだと思う。だから良く変わることこそ、あの時の彼女が失われるできごとなのだろう。

ちっとも変わっていなかった。というのは喜ばしい。彼女がよい人々と巡り合ってきたことを感じさせる。欠点を埋めるのではなく、欠点の魅力をさらに磨くような変化。そうした喜ばしい変化というのもまたあり得る。

一般に、あなたを変えようとするひとには近づかないほうがいい。あなたが変わりたいと思えるひとのそばで時を重ねるべきだと思う。短い人生経験だが、心底そう思う。