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幸せの複数形とさまざまな呪いについて 逃げ恥批評

逃げるは恥だが役に立つ。最終話を見終える。

あまりに良いと思ったので、この作品について語りたいと思う。

全十話のこの作品は、30代の「プロの独身」津崎平匡と「小賢しい女」森山みくりが契約結婚するところから始まる。

彼らはそれぞれに複雑な心情、コンプレックスを抱えていて、社会との不調和に悩んでいる。津崎は人間関係で傷つくことをおそれるがゆえにはじめから濃い人間関係をつくることを避けている。みくりは思ったことをそのまま口に出してしまってお節介とみられたり小賢しいと非難されたりする。

彼らだけではなく、彼らの周囲の人間たちも不調和を感じている。

モテるが恋をずっとしていないという風見涼太、男性との付き合いを避けてきた土屋百合、シングルマザーの田中安恵、同性愛者の沼田頼綱…さまざまな人物がさまざまな悩みを抱えていて、その苦悩はみな社会が押し付けてくるふつうという規範=「呪い」がもたらしている。

物語の多くは平匡とみくりの関係の動きを描写し、ポップなラブコメディタッチでそれはなされる。

だが物語の主軸は、「ふつうの幸せの理想型から逸脱したひとびとがどんなふうに幸せを見つけるのか」という問いだと思う。

その問いに対して大げさな言葉で語るのではなく、ポップとコメディの力を借りて明るく立ち向かっていくところにこの作品の魅力を感じる。

問いに対して「幸せは複数形なのだということ、そして呪いを解くことはできるということ」と作品は答えたようにわたしは感じた。

作品が問いを投げかけ、きみがそれを受け取ってしまったら、きみの思考と行動は開始してしまう。きみの思考と行動はそれまでと同じという訳にはいかない。すっかり変わってしまう。

そこからは各人の領分の話だ。幸せの理想型をどこに求めるか、それから外れたひとやじぶんをどう扱うか、社会が示してくる規範とどんな距離をとるか。この作品は問いを投げかけている。