Lichtung

難波優輝|美学と批評|Twitter: @deinotaton|批評:lichtung.hateblo.jp

「芸術の定義とファインアートの歴史的起源」

概要

近代社会のうちで芸術は本質的にイデオロギー的な機能を持つ。もしこの主張が正しいのなら芸術の定義をめぐる議論は見当違いなもので、取りやめられるべきものである。とする、クロウニーによる「芸術の定義とファイン・アートの歴史的起源」のまとめノートです*1

まとめ
  • 近代的な芸術の体系(≒芸術の定義)は論理的に定められているのではない。それはイデオロギー(経済的、階級的、社会的な機能を持ちつつもその機能の存在を隠蔽しながら作動するもの)的であり、その機能に従って芸術/非芸術の判別を行っている。これを穏健なイデオロギー説と呼ぶ。この説に従えば、論理的な芸術の定義づけの試みが見当違いであることが判明し、加えて、芸術/非芸術の境界に関するよりより説明が可能になる(かもしれない)。
キイ・ワード

 

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 I. イントロダクション

この論文では以下の主張がなされる。

  • 近代社会のうちで芸術は本質的にイデオロギー的な機能を持つ。もしこの主張が正しいのなら芸術の定義をめぐる議論は見当違いなもので、取りやめられるべきものである。

前件はクリステラー、シナー、ブルデュー、イーグルトン 、マティックを参照し、明らかなものとされ、この論文では詳しく議論されない*2

この論文では、18世紀に近代的な芸術の体系が誕生したというクリステラーたちの主張を正しいものとする。クロウニーによれば、近代的な芸術の体系とは、以下のような概念である。

  • 近代的な芸術の体系:諸芸術それ自身、加えて、芸術というカテゴリーが存在するという概念、そしてその芸術のカテゴリーと関連する制度、慣習を総称した概念である。

そして近代的な芸術の体系は、近代における経済的、社会的、階級的な条件と関係して発展した概念であり、ゆえに、イデオロギー的である、とみなすことができる。
芸術の定義には、一貫性が見当たらないにも関わらず、現実には機能し、他の活動と区別されている。ここから、芸術の定義はイデオロギー的な機能を持つ、とみなされる。 

II. 芸術の定義について

わたしたちは日常的には、芸術という言葉をどのように用いるのかを熟知している。しかし、言葉の使い方を知っているからといって、あるものが芸術か非芸術かを判断できない。わたしたちが求めているのは、あるものが芸術であるための必要十分条件である。例えば水のような人間の意図と関わりなく存在するものならば、その本質的な定義を人間の意図と関わりなく述べることができる。しかし、芸術という概念は人間によって創られ、その使用や解釈において人間の意図を伴っているために、その概念が人間の実践のうちでどのように用いられているのかについて分析する必要がある。ここでさらに、芸術の概念は、ある特定の時代に、ある特定のイデオロギー機能を担って生まれたものである。ゆえに、論理的な一貫性を見出すことができない。ゆえに、芸術の定義の試みはうまくいかないとクロウニーは主張する。

III. なぜ歴史的起源説は芸術が定義できないと主張するのか

クリステラーたちの主張が正しければ、次の主張が成り立つ。

  1. 近代的な芸術の体系(制度と慣習と関連づけられたファイン・アートという概念、そしてファイン・アートを構成するそれぞれの芸術がひとつの特有の本質を共有しているという概念)は18世紀の西欧に源を発する。
  2. その誕生から今日まで、近代的な芸術の体系は、近代的な資本主義社会を支えるにあたって、強力なイデオロギー的役割を担ってきた。
  3. 近代的な芸術の概念はファイン・アートという概念の直接的な継承者である。当然概念の歴史的な発展を考慮しても、同じ概念であると言える。

一つ目の主張はクリステラー『近代的な芸術の体系』において提唱され、シナー『芸術の発明』によってさらに詳しく述べられている。シナーによれば、古典的な芸術の体系においては、芸術作品の概念は、熟練の技という意味を意味していた。この熟練の技という概念はギリシア的なものであるとされる。そして、18世紀の初めになってもまだファイン・アートという概念は生まれていなかった。
近代的な芸術の体系の誕生には、次の三つの出来事が必要であったとされる。

  1. 限定された芸術の集合
  2. その集合を容易に同定するような広く受け入れられた術語
  3. その集合を他のすべての活動から区別するような、広く認められた規準

ファイン・アートの興隆に従って、制度(アカデミー、美術館、コンサートホール)や慣習(批評、鑑賞の作法)も発展していった。
近代的な芸術の体系の誕生は、ひとびとに新しい経験と鑑賞、そして芸術家に新しい役割をもたらした。

ファインアートというラベルは過去の人々が行っていた物事への何らかの洞察をわたしたちに与えるのか、あるいは、わたしたちは彼らの実践をわたしたちのカテゴリーに単に同質化させようとしているだけなのか?

前者の説を検討してみよう。
ファイン・アートというラベルがわたしたちに何らかの洞察を与えると主張する際、どんな論法を用いることができるだろうか? ひとつに、ファインアートというラベルの誕生は、18世紀の発展をある種の文化的分化(cultural differentiation)の結果物であると主張することができる。この分化のうちで、普遍的で価値のある人間の活動(諸芸術)が発展し、区別され、そしてそれ自身の場を得ることになった、と主張する。

ここで、この主張に関して二つの問題をあげることができる。

  1. 前近代においても、高度な技術と、豊かな批評の実践が存在していた。つまり、ファイン・アートというラベルがあってはじめて、芸術的な活動の発展や発達がなされたとは言えない。
  2. もしファイン・アートというラベルが文化的分化の結果物ならば、それが参照している人間の諸々の活動をより明確に説明できるはずだが、現実にはそうではない。

ゆえに、ファイン・アートというラベルは概念的に一貫性のある仕方では定義できない。

IV. 芸術のイデオロギー的機能と芸術の定義

ある言説をイデオロギー的であると呼ぶためには、その言説を生み出した者とは異なる読みがなされなければならない。すなわち、その言説を生み出した者たちには正確には意識されないでいたけれども、その言説を支えている諸仮定のセットを認識するような読み方がなされる必要がある。

イデオロギーは階級、人種、ジェンダー、富、その他の権力の構造といった概念と関係する隠された仮定のことである。

ここでクロウニーはイデオロギーと芸術に関するマティックの記述を引用している。

近代的なイデオロギーは、文化にはそれ自身の歴史があるのだとする考えによって特徴づけられる。加えて、文化それ自身の歴史というものは、文化について考えている者たちに作用している他の要因とは無関係に働いている思考の論理を伴うとされている。近代になってはじめて、18世紀以来ファイン・アートとしてまとめあげられた実践の一揃いが上述の意味でのイデオロギーの重要な要素となった。こうして、ファイン・アートは歴史的に自律性のあるものとして見做されるようになり、生産労働やありふれた生活一般とは対置されるような法律、倫理性、宗教、そして哲学と並ぶ「精神」の領域の一部であると見做されるようになった。近代的な芸術概念の特異性は、芸術概念によって定められた自身の言葉の中では説明できない。芸術は、のちに資本主義と呼ばれるような商業的な生産の様式のうちで発展した。芸術(とくに美学)—あるいは芸術の自律性—と相反するものと見做されているこうした商標的な生産の様式から芸術を理解することによってのみ、芸術は理解可能である。Mattick, Paul. Art in its time: Theories and practices of modern aesthetics. Routledge, 2003. p.3

クロウニーは、芸術の定義はイデオロギーであるとする自説を、穏健なイデオロギー(moderate ideological thesis)と呼ぶ。(これは、芸術がイデオロギーそのものでしかないと主張しているわけではない。ただ、鑑賞のある側面はイデオロギー的でありうるとは主張する。)

穏健なイデオロギー説の利点

  1. 近年の芸術の定義の多くを根本に立ち帰らせる。制度的/歴史的定義も現実のアートワールドの構造や働きを考慮できていないということを指摘する。
  2. 芸術のカテゴリーの源泉や存続に関する現行の定義とは別の説明が可能になる。
  3. 芸術と非芸術の区別が明らかに恣意的であるその理由を説明しうる。
  4. 芸術の定義や芸術の理論が説明できていない、芸術と非芸術の境界の変化を説明できる。
  5. 芸術と非芸術の境界は概念的な一貫性に基づいて画定されているのではなく、様々な社会的原因に基づいて画定されることを明らかにする。

V. 二つの反論に関する反駁

i. 反論:小文字の芸術

  • 小文字の芸術説:近代的な西ヨーロッパのファイン・アートという概念は、より一般的な意味における芸術(すなわち、諸文化をまたいで、人類史にわたって、普遍的に存在するような芸術(あえて名付ければ大文字の芸術))の特別な形式に過ぎない。

この主張が成立するには次の二つを証明しなければならない。

  1. 諸文化をまたぎ、またさまざまな時代にわたって存在する大文字の芸術の概念の核(そして音楽から映画に至るさまざまな諸芸術の実践を含むような核)を捉えるような定義を提出しなければならない。
  2. ファイン・アートが歴史的、イデオロギー的な機能を持つという主張に整合的であるためには、小文字の芸術説論者は、非西欧の社会と芸術との関係に注意を払う必要がある。具体的には、芸術の実践に対するその他の社会的な影響について明らかにしなければならない。18世紀の西ヨーロッパの影響範囲外にある文化において、その他の活動と区別されるようないわゆる芸術と呼ばれる実践についての事実を取り扱わなければならない。

[大文字の芸術があるのだとして、西欧の18世紀に起源を持ち、イデオロギー的な機能を持つファイン・アートという小文字の芸術がその大文字の芸術の一形式に過ぎないのだとする。すると、非西欧の社会における小文字の芸術は、ファイン・アートとは異なる社会的影響下や歴史において誕生し、独自の実践や機能を持つはず。もし、大文字の芸術の存在を主張するなら、こうした非西欧の社会における小文字の芸術についての事実を提示しなければならない。]

つまり、小文字の芸術説論者は、他の文化において、意識的にではないにしても、実際的に、わたしたちがそうしているように、しかしイデオロギー的な内容なしに、ひと組の実践と経験とを芸術として他の活動から区別していること、あるいは、そうした区別をしていなかったとしても、事実、ある実践と経験が、人間の生の一貫していて分離されている側面を形成していることを示す必要がある。

しかし、こうした小文字の芸術たちが西欧の影響なしに存在しているという事実は見つからない。ゆえに、小文字の芸術説は成り立たない。

ii. 不適切な還元主義

反論:穏健なイデオロギー説は、美的な経験やその価値を、経済的、階級的な機能に還元してしまっている。つまり、穏健なイデオロギー説は不適切な還元主義説である。

再反論:穏健なイデオロギー的説は特定の芸術や特定の経験の持続性や本性について、それらすべてがイデオロギー的であるとするような主張ではない。穏健なイデオロギー説は、一般的な近代的な芸術のカテゴリーの存在とその特徴をイデオロギーという側面から説明しようとする。芸術に関係するすべての経験をイデオロギーによって説明しようとするものではない。

補足:個々の芸術の鑑賞においてもイデオロギーは部分的に機能している。例えば、趣味にはイデオロギー的な側面がある。もちろん、そうした趣味においてもヒトの生物的な機能も同様に機能している。そうした事実を穏健なイデオロギー説が無視しているわけではない。

ここでクロウニーによって主張されている穏健なイデオロギー説は、近代的な芸術の体系に関して、何が芸術として定義され、何が定義されないのかは経済的、階級的な、総称して社会的な制度と慣習によるものだということを主張している。すなわち、近代西欧において、あるものが芸術か否かを判定する基準は論理的というよりもイデオロギー的であるということのみを主張している。

そして、すべての芸術に関する経験や鑑賞が(部分的には可能でも)イデオロギーという側面のみから説明できるといったことは主張していない。

VI. 結論

芸術か否かの判定は歴史的な起源を持ち、イデオロギー的な役割を持つ。ゆえに(純粋に論理的なやり方による)芸術の定義はうまくいかない。
ひとつのまとまった芸術という観点からではなく、個別の芸術に注目する重要性。

コメント

クリステラーの正しさへの疑義

クロウニーはクリステラーたちの主張が正しいものとして議論を進めている。しかし、少なくともクリステラーの論文に限って言えば、近代的な芸術の体系の誕生以前には、近代的な芸術の体系と同様に、ある程度はっきりとしていて、ひとつの基準に則ったような、いかなる芸術の体系も存在しなかったという主張とその主張の論拠とされる資料の解釈の多くは信用できないとわたしは考える(Young, James O. "The ancient and modern system of the arts." British Journal of Aesthetics 55.1 (2015): 1-17を参照)。ゆえに、クリステラーたちの主張がいかに自明なものに思えても、その主張の妥当性を検証しなければならない。

議論の前提

イデオロギーという概念の取り扱いに対する批判。クロウニーの定義では、あるものがイデオロギー的な機能を持つ=階級的な、経済的な、社会的な機能を持つことを意味する。しかし内実は曖昧である。クロウニーの想定する機能とはなんなのか。いつ、どこでそのイデオロギーが機能するというのか、そのイデオロギー的な機能なるものが、どの程度近代に特徴的なものなのかが明らかにされているとは言えない。イーグルトンやブルデューを引っ張ってきて、芸術はイデオロギー的であると単に結論しても説得的ではない。

ただわたしはイーグルトンもブルデューも読んでいないので正当な批判を行うことができない。したがって読まなければならない。

*1:Clowney, David. "Definitions of Art and Fine Art's Historical Origins." The Journal of Aesthetics and Art Criticism 69.3 (2011): 309-320.

*2:第1部のまとめ:"The Modern System of the Arts" Part I P. O. Kristeller - Lichtung

SEP:芸術の定義

概要

スタンフォード哲学百科事典「芸術の定義」のまとめです*1
芸術の定義の試みをざっとさらっています。20世紀以前の伝統的な定義については触れず、1950年代からの英米圏における議論を扱っています。

キイ・ワード
  • 芸術の定義、定義に対する懐疑主義、慣習的定義、制度的定義、歴史的定義、機能的定義

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1.芸術の定義の制約

筆者によって十の取り組むべき条件があげられている。とくに次の二つの条件が注記されている。

  1. 外延的十全性(extensional adequacy)を与えるために、リスト的な定義、列挙的な定義は可能なら避ける。→もれを回避したい。
  2. 境界例を扱える定義が好ましい。→デュシャンの『泉』やケージの『4分33秒』などを扱いたい。

2.伝統的な定義

20世紀以前の伝統的な定義においては、一種類の要素によって芸術を特徴づけているものが多々ある。しかし、これらは十分条件ではない。けれども、これらの議論を役に立たないと放ってしまってはいけない。なぜなら、それらの定義は、提唱者たちの哲学理論ぜんたいと関係しているので、芸術の定義における議論の完成度のみならず、理論との関係を確かめて評価しなければならない。

3.定義に対する懐疑主義

芸術の定義に対する懐疑主義は、芸術を定義する価値とその実現可能性を疑う。ここでは七つの代表例が上げられている。

1.家族的類似説の発展系

芸術A、Bは要素aを共有している。芸術BとCは要素bを共有している。しかし、芸術AとCは要素を共有していない。ゆえに、AとBとCとに共有されている要素は見つからない。したがってこの3つを説明する定義は見つからない。ヴァイツ(Morris Weitz)が代表的。

2.伝統的な哲学の言葉遣いの問題

芸術の定義は伝統的な哲学の用語を用いている。それらの定義はいまだに議論されている。ゆえに、芸術の定義は伝統的な哲学の用語が定義されないうちは定義できない。ティルマン(Benjamin Tilghman)が議論している。

3.芸術の定義は歴史的に不安定である

クリステラー(P. O. Kristeller)が「近代的な芸術の体系」*2において示したように、西洋の芸術の定義は18世紀に誕生したものでそれ以前は存在しなかった。ゆえに、芸術の定義は歴史的に不安定である。

4.認知説の問題

人間がモノを分類する認知の構造に基づいて芸術の定義を組み立てようとする企てはうまくいかない。こうした人間の認知は、実際にどのように分類しているのかを明らかにはするが、論理的に整合性のあるものかどうかは保障されない。加えて、人間の生理的な機能がそうなっているからといって、その行動に基準を置いていいものかどうかは、倫理的な問題を孕んでいる。ディーン(Jeffery Dean)や、レイ(Georges Rey)、アダジアン(Thomas Adajian)らが議論している。

5.芸術の定義は不必要

個別の芸術形式の定義と、なにが芸術形式になるのかの定義があればいい。ロペス(D. M. Lopes)が代表。

6.芸術の定義はイデオロギー

社会的、経済的条件を抜きにした無関心性や美的質の議論は危険である。芸術はそうした諸条件によって成り立つひとつの社会的現象であって、中立を装う存在論を打ち立てることは問題である。イーグルトン (Terry Eagleton)が主張。

7.目的をもたない芸術の定義はない

歴史的な、慣習的な、美的な、鑑賞におけるような、意思疎通に用いられるような定義があるのであり、目的をもたない芸術の定義はありえない。

3.1 いくつかの派生

二つの代表的な理論がある。

  1. 典型例への類似説(resemblance-to-a-paradigm):典型的な芸術作品への類似によってそれが芸術作品かどうかが決まる。
  2. 群れ説(cluster):この説によれば、芸術作品であるための必要条件ではないが、選言的に十分条件、かつ、芸術作品であるためには十分な少なくともひとつの適切な部分集合であるような要素のリストを与えることができる。

4.現代的な定義

慣習的定義は、芸術が、美的要素への、形式的要素への、あるいは表現的要素への、もしくは伝統的な定義のうちで、芸術において本質的なものであるとされたいかなる種類の要素への本質的な関係を持つことを否定する。
おおきく制度的な慣習的定義、歴史的な慣習的定義の二つがある。

4.2 制度的定義

アーサー・ダントー(Arthur Danto)、ディッキー(George Dickie)が代表。
ダントーの主張は次のようにまとめられる。

「あるものが芸術であるための必要十分条件とは、(i)ひとつの主題(subject)を持つ、(ii)ある態度・観点を写し出している(スタイルをもつ)、(iii)修辞的(たいていは隠喩的)な省略がなされており、この省略によって鑑賞者はなにが失われているのかを埋めることを促される、(iv)問われている当の作品とそれについての解釈が美術史的文脈を要求する。」

ディッキーの主張は変化しているが、1984年におけるもっとも新しいものは以下のようにまとめられる。

(1)芸術家とは、理解とともに芸術作品の作成に関わる人物をいう。 (2)芸術作品とは、アートワールドに提示するために作られた人工物のことである。 (3)公衆とは、ある程度、自分たちに提示される対象を理解するために準備しているメンバーの集合である。 (4)アートワールドは、すべてのアートワールドのシステムである。 (5)アートワールドのシステムは、芸術家によって芸術作品をアートワールドの公衆に提示するための枠組みである(Dickie 1984)。

これに対しては、制度の外で生まれる芸術作品の存在を扱えない、また、いかなる制度もそれが芸術作品か否かの判断を間違いうるという批判がなされている。

4.3 歴史的定義

歴史的定義:芸術作品を特徴づけるのは、それがある特定された以前の芸術作品への芸術-歴史的な関係を持つことであり、ゆえに、歴史を越えた芸術の概念には一切関わらない。

もっともよく知られた定義は、レヴィンソン(Jerrold Levinson)による意図的-歴史的(intentional-historical)定義、すなわち、芸術作品は、先行する芸術作品が、現在に、あるいは以前に正しくみなされていたようなあり方でみなされることを真剣に意図されているものである、という定義である。

二つ目の例はステッカー(Robert Stecker)の歴史的-機能的(historical-functionalism)定義である。

  • 歴史的-機能主義的定義:ある時点tにおいてあるモノが芸術作品であるのは、tがそのモノが作られた時点よりも以前ではないときで、必要十分条件は以下である。
  • {そのモノがある時点tにおける中心的な芸術形式のうちにあること}かつ{(そのモノが時点tにおける芸術の機能を満たすことを意図して作られていること)または(それがそのような機能を獲得することの栄誉を獲得したモノであること)}

三つ目の例は歴史的語り説(historical narrativism)である。ここでは、キャロル(Noel Carroll)とストック(Kathleen Stock)の説に触れる。

キャロルの説は次のようにまとまられる。

  • あるモノが芸術作品であるかどうかの十分条件ではあるが、必要条件ではない条件:意識的な、そして生き生きとした芸術的な動機を伴って、芸術的な文脈において芸術家によって創られたそのモノが、そのように創られ、少なくともひとつのある認められた芸術作品に似ているかどうかに基づくまさしく歴史的な語りの構成物である。

もう一つはより挑戦的で唯名論的なストックの例である。

  • 芸術作品であるための必要十分条件:(1)そのモノと既に確立されている作品との間には内的な歴史的関係がある。 (2)これらの関係は語りによって正しく識別され、そして(3)関連する専門家によって語りは受け入れられる。専門家は、特定の存在者が芸術作品であることを検出しない。むしろ、専門家が特定の場合において特定の要素が重要なものであると主張するということが、芸術を構成する。

4.4 機能的(主として美的)定義

ある機能、あるいは、意図された機能によって芸術作品かどうかが決まる。機能の代表は美的質。伝統的な芸術観に適合し、また、芸術作品の普遍的な特徴を記述できるが、コンセプチュアル・アートの扱い、現代的な作品の扱いに問題がある。

感想

歴史的定義に魅力を感じた。次の二つの理由によって魅力的だ。一つに、芸術作品の普遍性は求めず、実践における文脈を組み込んだ説明を目指すがゆえに。二つに、あるものが芸術作品かどうかの判断において発生するであろうある種の政治性や個人や集団の力学を考慮する余地を残しているがゆえに。

また、劣勢に立っているとされている機能的定義に興味を持った。実践家の直観を整理するには適している。

SEP: 歴史哲学 PART I

はじめに

本稿はSEP(スタンフォード哲学百科事典)の「歴史哲学(Philosophy of History)」の項のまとめノートである。
この記事では、歴史哲学のうちで問われる、歴史の行為者・因果論。そして、大陸系、英米圏の歴史哲学。加えて、史学史と歴史哲学との違い歴史家からの問いが紹介される。

歴史哲学という言葉は、多くの人にヘーゲルの名前を思い起こさせるかもしれない。けれども、その著作は歴史哲学の際立った例ではあるものの、歴史哲学の歴史の中で位置付けられるべきものであって、歴史哲学の唯一の規範的な事例というわけではない。この記事では、歴史哲学のなかの、いくつかの時代と地域において議論され来たって、なおかついまもなお盛んに論争が繰り広げられている主要な問いをめぐって、さまざまな研究が紹介される。

近年、英米圏において盛んに議論されている歴史の存在論、因果論、認識論、方法論といった、史学史とは異なる歴史哲学に特徴的な問いとアプローチの存在を知ることができ、かつまた、ヘーゲルだけではない大陸系の歴史哲学の多様さを確認することができる。

なお分量と作業の進捗の関係からPART I と PART II の二つに分割した。

書誌情報

Little, Daniel, "Philosophy of History", The Stanford Encyclopedia of Philosophy (Summer 2017 Edition), Edward N. Zalta (ed.), URL = <https://plato.stanford.edu/archives/sum2017/entries/history/>.

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イントロダクション

歴史哲学のなかで扱われる問いは多岐にわたり、その問いへのアプローチもまた多種多様である。そのため、単一の歴史哲学があると考えるべきではなく、複数の歴史哲学が存在すると考えるべきである。それでも、便宜的に、歴史哲学とは以下のようなものであるとみなすことができる。
歴史哲学とは、哲学者たちが形而上学、解釈学、認識論、歴史主義といった分野と関わりつつなされる、いくつかの主要な問いをめぐる考察からなるものである。その問いは以下の四つに代表される:

  1. 歴史はなにによって構成されているのか(個人の行動、社会構造、時代および地域、文明、大きな因果過程、神の介入)?
  2. 歴史を形づくる個々の出来事や行動を超えて、歴史は全体として、意味、構造、または方向性を持っているのか?
  3. 歴史を知り、表象し、説明することには何が関係しているのか?
  4. 人間の歴史は、どの程度、現在の人間によって構成されたものなのだろうか?

1. 歴史とその表象

歴史家の五つの仕事

歴史家の仕事とはなんだろうか?

ここでは五つの活動があげられる。

  1. 歴史家は過去の出来事や状況に関する概念化や事実の記述を供給することに興味をもつ。
  2. 歴史家は「なぜこの出来事が起こったのか? いかなる条件によって、あるものがもたらされることになったのか?」といった「なぜ(why)」の問いに応えようとする。
  3. 上記のものとも関連しつつ、歴史家は「いかにしてこの結果が生まれたのか? この結果が現れる過程はどのようなものだったのか?」という「どのようにして(how)」という問いに興味を持つ。
  4. 所与の複雑な歴史的な活動の連なりの下にある、人間の意味と意図とをつなぎ合わせようとする。こうした歴史的思考は「解釈学的(hermeneutic)」な側面を持っている。
  5. 最後に、歴史家はよりいっそう基礎的な課題にも向き合う。すなわち、過去における所与の出来事や時間に関して存在している文書を見つけ出し、その意味を解明するという課題である。
まとめ

つまり、歴史家は、過去の出来事や状況の概念化、記述、文脈への位置づけ、説明、解釈をするのである。

究極的に、歴史家の課題は、現存する証拠に立脚した調査にもとづいて、過去に関する、何(what)、なぜ(why)、どうして(how)という問いに光を投げかけることにある。

二つの主要な問い

次に、次節から議論する二つの主要な問いについて触れておこう。

一つは、歴史における行為者と因果の関係に関する問いである。これは、歴史は因果関係の一連の流れなのか、それとも、互いに関連し合う人間の一連の行動の結果なのか? という問いである。

二つは、時間的、空間的な歴史的過程の規模に関する問いである。歴史家は歴史において、ミクロな、メソな、あるいはマクロな視野を調停しようとしなければならないのだろうか?

1.1 歴史における行為者と因果論

歴史哲学にとっての重要な問いは、どのようにして「歴史」を概念化するかという問いである。歴史的な出来事や構造のあいだに存在する客観的な因果関係があるために、歴史は重要なものなのだろうか?それとも、さまざまな身分の無数の個人の行動や思考の枠組みの集まりなのだろうか?

ここで歴史を考えるべつの道がある。分離した原因と結果のセットではなく、行動を強制し、促進する社会的条件と過程のセットとして歴史に焦点をあてることができる。こうしたアプローチは、「行為者中心の歴史」であると呼ばれる。ひとびとが何を考え信じていたかを評価することで、ある時代を説明する。

1.2 歴史における規模

ミクロ・ヒストリー

翻身(ファンシェン)における中華革命の様子を月ごとに記述したヒントン(1966)、モンタイユーの村を対象としたル・ロワ・ラデュリ(1979)、そして、シカゴの発展を追ったクロノン(1991)といった歴史家は、特定の制限された時間と空間における歴史を研究した。彼らの仕事を「ミクロ・ヒストリー」と呼ぶ。

  • Hinton, William, 1966. Fanshen: A Documentary of Revolution in a Chinese Village, New York: Vintage Books.
  • Le Roy Ladurie, Emmanuel, 1979. Montaillou, the Promised Land of Error: The Promised Land of Error, New York: Vintage.
  • Cronon, William, 1991. Nature's Metropolis: Chicago and the Great West, New York: W. W. Norton.
マクロ・ヒストリー

世界の病の歴史を扱ったマクニール(1976)、世界人口の歴史を著述したリヴィ・バッチ(2007)、そして世界の環境の歴史を扱ったド・ヴリーズとグーズブロム(2002)といった歴史家たちの著述は、仮想的に全世界を含むような、また、千年以上の時をまたぐような規模を選択している。このような歴史を「マクロ・ヒストリー」と呼ぶことができる。

  • McNeill, William, 1976. Plagues and Peoples, Garden City: Doubleday.
  • Mink, Louis O., 1966. “The autonomy of historical understanding”. History and Theory, 5 (1): 24–47.
  • De Vries, Bert, and Johan Goudsblom, 2002. Mappae mundi: humans and their habitats in a long-term socio-ecological perspective: myths, maps and models, Amsterdam: Amsterdam University Press.
二つの欠点

ミクロ・ヒストリーは、「いかにしてそれらの特定の村がなにかより大きなものに光を投げかけるのか?」という問いを生み、マクロ・ヒストリーは、「いかにしてそれらの大きな主張が、特定の地域における文脈をで実際に説明できるのか?」という問いを生む。

メソ・ヒストリー

三つめの選択肢として、中国における広域的な地域を研究したスキナー(1977)の研究のような、中間的なレヴェルでの歴史、すなわち、「メソ・ヒストリー」がある。

  • Skinner, G. William, 1977. “Regional Urbanization in Nineteenth-Century China”, in In The City in Late Imperial China, G. W. Skinner (ed.), Stanford: Stanford University Press.

2.大陸系の歴史哲学

ヴィーコへルダーヘーゲルといった近代の哲学者たちは、歴史のおおきな方向性や意味についての問いを提起した。それらとは異なる流れとして、シュライエルマッハーディルタイ、そしてリクールといった解釈学的な哲学者は、他者によってつくられたテクストやシンボル、そして行為の意味を理解することを人間が引き受けるという「解釈学的循環(hermeneutic circle)」を重視した。

  • Schleiermacher, Friedrich, 1838. Hermeneutics and criticism and other writings, A. Bowie (ed.), Cambridge texts in the history of philosophy, Cambridge, New York: Cambridge University Press, 1998.
  • Dilthey, Wilhelm, 1860–1903. Hermeneutics and the study of history, R. A. Makkreel and F. Rodi (eds.), Princeton, NJ: Princeton University Press, 1996.
  • Ricoeur, Paul, 2000. Memory, history, forgetting, translated by Kathleen Blamey and David Pellauer, Chicago: University of Chicago Press, 2004.

2.1 普遍的な、あるいは歴史的な人間本性?

ひとつの基本的な「人間本性(human nature)」が存在するのか? あるいは、基本的な人間性の特徴は歴史的に条件とづけられているのだろうか?

ヴィーコは、『新しい学』(1725)のなかで、歴史的状況を超えて、人間本性の普遍性が存在し、ゆえに、歴史的な行為と過程の説明が可能であると主張した。

  • Vico, Giambattista, 1725. The first new science, L. Pompa (ed.), Cambridge texts in the history of political thought, Cambridge, New York: Cambridge University Press, 2002.

上記の人間本性を仮定する考えについて次の二つ点を注記しておく。

一つに、歴史を解釈し、説明する課題を平易にする。というのも、過去の行為者をわたしたちじしんの経験と本性から理解できる考えることができるからだ。二つに、この考えは、20世紀の社会科学理論のうちに、包括的な社会の説明の基礎としての、合理的選択理論の形式として継承されている。

普遍的な人間本性を否定する論者にヨハン・ゴットフリート・ヘルダーがいる。彼は、その著作のなかで、人間本性の歴史的な文脈性を議論した。人間本性とは、それじたいが歴史的な産物であり、歴史的な発展において異なる時期の人間は異なるふるまいをする、と主張した。そして、彼の主張は、のちにベネディクト・アンダーソンイアン・ハッキングミシェル・フーコーらによって議論された「社会構築(social construction)」という概念の先駆けとなった。

  • Herder, Johann Gottfried, 1791. Reflections on the philosophy of the history of mankind, F. E. Manuel (ed.), Classic European historians, Chicago: University of Chicago Press, 1968.
  • –––, 1800–1877. On world history: an anthology, H. Adler and E. A. Menze (eds.), Sources and studies in world history, Armonk, NY: M.E. Sharpe, 1996.
  • Anderson, Benedict R. O'G., 1983. Imagined communities: reflections on the origin and spread of nationalism, London: Verso.
  • Hacking, Ian, 1999. The Social Construction of What?, Cambridge: Harvard University Press.
  • Foucault, Michel, 1971. The order of things: an archaeology of the human sciences, 1st American edition, World of man, New York: Pantheon Books.

2.2 歴史は方向性を持つのか?

哲学者のうち、人間の歴史の意味や方向性を探求した者もいる。どのように歴史は聖なるものの秩序を実現するのか、あるいは、循環的、目的論的、進歩的な法則はあるのか、ヘーゲルの人間の自由の展開としての歴史のように、歴史は重要な題目を演じているのか、という問いが問われる。これらの動機は、一見したところ偶然的で恣意的な歴史的な出来事により基礎的な目的や秩序が横たわっていることを明らかにしようとするところにある。こうしたアプローチは、ランケによって強調されたように、解釈学的であると呼ばれる。行為や意味よりも、おおきな歴史の特徴を解釈しようとする。また、ライプニッツによる『弁神論』や20世紀におけるジャック・マリタンエリック・ラストクリストファー・ドーソンといった神学者たちの議論も、歴史に神の意志をみてとる点で、目的論的である。

  • Ranke, Leopold von, 1881. The theory and practice of history, W. Humboldt (ed.), The European historiography series, Indianapolis, IN: Bobbs-Merrill, 1973.
  • Leibniz, Gottfried Wilhelm, 1709. Theodicy: essays on the goodness of God, the freedom of man, and the origin of evil, A. M. Farrer (ed.), La Salle, IL: Open Court, 1985.
  • Maritain, Jacques, 1957. On the philosophy of history, New York: Scribner. Marx, Karl, 1852. The eighteenth Brumaire of Louis Bonaparte, New York: Mondial, 2005.
  • Rust, Eric Charles, 1947. The Christian understanding of history, London: Lutterworth Press.
  • Dawson, Christopher, 1929. Progress and religion, an historical enquiry, New York: Sheed and Ward.
啓蒙思想

コンドルセモンテスキューといった啓蒙思想家たちは、歴史の宗教的な解釈を否定したが、進歩という理想、すなわち、人間はよりよい、そしてより完全な文明へと進んでゆくということ、そして、文明の歴史の調査を通じて、こうした進歩を目の当たりにすることができる、という彼らじしんの目的論を持ち込んだ。

  • Condorcet, Jean-Antoine-Nicolas de Caritat, 1795. Sketch for a historical picture of the progress of the human mind, Westport, CT: Greenwood Press, 1979.
  • Montesquieu, Charles de Secondat, 1748. The spirit of the laws, A. M. Cohler, B. C. Miller and H. Stone (eds.), Cambridge texts in the history of political thought, Cambridge, New York: Cambridge University Press, 1989.

こうした、文明の歴史の解釈のための道具としてのそのつど固定的な段階の連続は、18世紀と19世紀にわたって繰り返された。ルソーカントアダム・スミスや、マルクスの著作にその表現をみてとることができる。

  • Rousseau, Jean Jacques, 1762a. On the social contract ; Discourse on the origin of inequality ; Discourse on political economy, Indianapolis: Hackett Pub. Co, 1983.
  • Rousseau, Jean-Jacques, 1762b. Emile, or, Treatise on education, Amherst, NY: Prometheus Books, 2003.
  • Kant, Immanuel, 1784–6. On history, L. W. Beck (ed.), Indianapolis: BobbsMerrill, 1963.
  • –––, 1784–5. Foundations of the metaphysics of morals and, What is enlightenment, 2nd revised edition, The Library of liberal arts, New York: Macmillan, 1990.
  • Smith, Adam, 1776. An inquiry into the nature and causes of the wealth of nations, R. H. Campbell and A. S. Skinner (eds.), Glasgow edition of the works and correspondence of Adam Smith, Oxford: Clarendon Press, 1976.
  • Marx, Karl, and Frederick Engels, 1848. The Communist Manifesto, in The Revolutions of 1848: Political Writings (Volume 1), D. Fernbach (ed.), New York: Penguin Classics, 1974.
  • Marx, Karl, and Friedrich Engels, 1845–49. The German ideology, 3rd revised edition. Moscow: Progress Publishers, 1970.
メタ・ヒストリアン

歴史のうちの方向性や段階を発見しようとする努力は20世紀初頭に新たな表現を見つけた。世界史に秩序をもたらすようなマクロな解釈を与えることを探求したシュペングラートインビーヴィットフォーゲルラティモアといった「メタ・ヒストリアン(meta-historian)」によるものである。 Spengler (1934), Toynbee (1934), Wittfogel (1935), and Lattimore (1932).

  • Spengler, Oswald, and Charles Francis Atkinson, 1934. The decline of the west, New York: A.A. Knopf.
  • Toynbee, Arnold Joseph, 1934. A study of history, London: Oxford University Press.
  • Wittfogel, Karl, 1935. “The Stages of Development in Chinese Economic and Social History”, in The Asiatic Mode of Production: Science and Politics, A. M. Bailey and J. R. Llobera (ed.), London: Routledge and Kegan Paul, 113–40, 1981.
  • Lattimore, Owen, 1932. Manchuria: Cradle of Conflict, New York: Macmillan.
メタ・ヒストリーへの批判

ヴィーコやシュペングラー、あるいはトインビーのように、歴史におおきな段階を見つけ出そうとする努力は、ひじょうに複雑な人間の歴史を単一の原因にもとづいて解釈しており、この解釈の方法論はさまざまな批判に対して脆弱である。これらの著者は、歴史を駆動させるひとつの要素を求めた。ヴィーコは普遍的な人間本性を、シュペングラーやトインビーは、普遍的な文明の[直面する]難題をあげた。

この批判は、「大きな歴史的」解釈を人間の歴史や社会に用いることに、いかなる説得力もない、ということを意味しない。たとえば、マンによる初期の農業改革の社会学や、ド・ヴリーズグーズブロムによる地球の環境史や、ダイアモンドによる疫病と戦争を扱った著作は成功を収めている。

  • Mann, Michael, 1986. The Sources of Social Power. A history of power from the beginning to A.D. 1760, Volume 1, Cambridge: Cambridge University Press.
  • De Vries, Bert, and Johan Goudsblom, 2002. Mappae mundi: humans and their habitats in a long-term socio-ecological perspective: myths, maps and models, Amsterdam: Amsterdam University Press.
  • Diamond, Jared M., 1997. Guns, germs, and steel: the fates of human societies, 1st edition, New York: W.W. Norton.

SEP: プラトン

はじめに

本稿は、SEP(スタンフォード哲学百科事典)のプラトンの項のまとめノートである。

この記事において、イデア説や模倣説といったプラトン中心的な理論が個別に議論されることはない。それよりも前の問い、「プラトンの作品である対話篇をいかに読むべきか」という歴史学的、文献学的な問いが議論される。

ここでは、対話篇を文学作品として読むべきなのか、ソクラテスの名声の宣伝として読むべきなのか、教育用のスキットとして読むべきなのか……このような「対話篇とは何か?」という問い、あるいは、対話篇をプラトンの思考の表現として読むべきなのか、プラトンの思考を読み取ることはできないような、単なる対話者たちの記録として読むべきなのか……こうした「プラトンの思考とは何か?」という問いが問われる。

書誌情報

Kraut, Richard, "Plato", The Stanford Encyclopedia of Philosophy (Fall 2017 Edition), Edward N. Zalta (ed.), forthcoming URL = <https://plato.stanford.edu/archives/fall2017/entries/plato/>. 

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1. プラトンの中心的な学説

形相(Form)、あるいはイデア(Idea)といった、永遠で、不変で、わたしたちの感覚に表れる観測可能な対象に対して規範的なものが実在するという説がプラトンの中心的な学説であるとしばしば指摘される。

2. プラトンのパズル

けれども、プラトンの著作は、そうした学説の無味乾燥な列挙ではなく、わたしたちを問いに誘うような完結していない問いをめぐる対話篇(dialogue)としてある。そして、その形式ゆえに、さまざまな問いを含んでいる。以下、3、4、5節では簡単な説明を行い、何が問われるのかをそれ以下で記す。

3. 対話・設定・登場人物

  • 対話:ひとりの人物が語る劇(drama)や神話(myth)ではなく、議論(debate)という形式。
  • 設定:多様な生活の場面。
  • 登場人物:社会的地位も含んだ生き生きとした人間たちとの、生き方をも含めた対話。

4. ソクラテス

三つの主要なソクラテス

  1. アリストファネス(Aristophanes)『雲(Clouds)』:ソクラテスそのものというより、長髪、不潔、不道徳的、という当時の哲学者像の典型としてのソクラテス
  2. クセノフォン(Xenophon)『弁明(Apology)』:歴史的証言としての価値はあるものの、プラトンの著作にみられるような哲学的精妙さに欠ける記述。
  3. プラトンプラトンソクラテスの重要な方法論を引き継いでおり、ソクラテスプラトンの思考を分けることは難しいが、プラトンソクラテスの単なる翻訳者ではないとみなされている。

5. プラトンの間接性

対話は、それぞれに異なるトピック(topic)・話し手(speaker)・役割(role)からなっていて、単なる固定化した形式ではなかった。

また、プラトンは、先人たちや後の時代に一般的だった哲学的論考を書かなかった。つまり、彼が直接読者に主張を訴えることはなく、彼の主張が示されているとしても、それらはつねに間接的なかたちで示されていた。

6. プラトンの思考を知ることができるのか?

対話篇から「プラトンの哲学」といったものを導き出すことはできるのだろうか?
ミニマリスト(minimalist)」的なアプローチとして、著作に含まれる彼の意図に関しては中立的な立場を取りつつ、しかし完全に意図を想定しないのではなく(e.g. プラトンは自説の説得のための装置として対話篇を用いただろうと推測できる)、彼の登場人物(dramatis personae)が何を述べたかのみに注意して、彼の著作を解釈する方法がある。ここで、プラトンが、彼の書かれたものとしての著作を、哲学的な対話のための補助として考えていたのであり、著作を読むだけで何か知識が身につくといったことを否定していた(cf.『パイドロスPhaedrus)』274e-276d)ことに注意すべきである。

7. 主要な話し手としてのソクラテス

登場人物として「ソクラテス」は『法律(Laws)』をのぞくすべての対話篇に登場する。なぜか? これは、プラトンがその哲学的技法や思考を師としてのソクラテスに負っていることを考えれば自然ではある。
プラトンがたんにソクラテスの名声のために彼をすぐれた人物として描いているという主張は、ソクラテスがうまくいかない主張を行い、にもかかわらず愚かな対話相手が納得するという描写があることから、支持されえない。
多くの場合、ソクラテスの議論は対話相手を納得させることに成功する。ここからわたしたちは、プラトンの考えのなかに立ち入っていることに注意しなければならない。というのも、対話相手を納得させている議論は、プラトンがそう記述している限り、著者である彼自身が、その議論を現実にも説得的な議論であると評価しているということだ*1

8. 対話篇のつながり

対話篇は独立したものだが、いくつかは事前に他の著作を読んでおかなければ理解できないものもある(例えば、『パイドロス』は、『テアテイトス(Theaeteitus)』『ソピステスSophist)』『国家(Republic)』を読んでいることを前提とする。あるいは、『ティマイオスTimaeus)』の冒頭は『国家(Republic)』との関連を示唆している)。こうした著作においては、主要な登場人物が自説を著作ごとに洗練させている。ここから、プラトンは、たんに教育的な目的のみならず、プラトンの自説の擁護と読者への説得のために対話篇を著述したと結論づけることができる

9. プラトンは形相についての考えを変えるか?

プラトンじしんの思想が変化したかどうかを決定することは簡単なことではない。わたしたちは、彼の著した対話篇を手掛かりに真偽を確かめるほかはない。

パルメニデスPamenides)』においてはイデア説が批判され、それに対する応答が行われ、次にそれとは別の一性(oneness)が議論される。ここから少なくともプラトンが初期のイデア説を部分的に改訂していると主張できるかもしれない。あるいは、『ティマイオス』におけるティマイオス、『ソピステス』と『政治家(Statesman)』におけるにおけるエレア人によって、ソクラテスが『パイドン』や『国家』で語ったイデア説に一致する説が語られながら、いっぽうでソクラテスが考える抽象的な存在者とは異なるものが議論されてゆく。ここからプラトンは、こうした存在者についての考えを変化させていったと考えることができる。

10. プラトンは政治についての考えを変えるか?

同様に、政治に対するプラトンの考えが変化したかどうかを考える。
そもそも、プラトンは形而上的なものへの共感を強くもっていた(e.g.『パルメニデス』『ソピステス』における実践的なものとは関わりのないものについての議論)、同時にわたしたちの生きている世界を理解し、その限りのある美を鑑賞し(e.g.『ティマイオス』における感覚的な世界における混成的な美についての議論)、国家の制度を改善すること(e.g.『国家』に描かれる、政治生活からの改善の欲求。そして『法律』において議論される具体的で実践的な制度論)にも心血を注いだ。
プラトンの政治観は、多数による支配への嫌悪によって特徴づけられる(e.g.『国家』におけるソクラテスの議論)。しかし、多数による支配の具体的な制度についての議論もなされている(e.g.『法律』におけるアテナイ人)。このふたつの『国家』『法律』という著作における話し手の態度の違いをプラトンのうちの分裂と考える根拠はない。なぜなら話し手が異なっているからである*2。ゆえに、プラトンの政治についての考えが変化したとは考えにくい。

11. 歴史的なソクラテス:初期、中期、後期

初期

プラトンは、『ソクラテスの弁明(Apology)』を含むいくつかの倫理に関する短い対話篇によって、彼の著述家としての道をひらいた。それらは、『カルミデス(Carmides)』『クリトー(Crito)』『エウテュデモス(Euthydemus)』『エウテュプロン(Euthyphro)』『ゴルギアスGorgias)』『ヒッピアス(大)(Hippias Major)』『ヒッピアス(小)(Hippias Minor)』『イオン(Ion)』『ラケス(Laches)』『リュシス(Lysis)』『プロタゴラスProragoras)』であり、これらは初期の対話篇と呼ばれる。
これらの著作においては、後期ほど深く形而上学的、認識論的、方法論的な問いが扱われておらず、ソクラテスを主要な登場人物として、もっぱら倫理的な事柄に関する議論がなされている。その議論は、(a)対話相手が知っていると思いなしていることをソクラテスが繰り返し問い直し、その矛盾やあいまいさを明らかにしてゆくというかたちをとっており、また、(b)倫理的な事柄に関する議論に限られているという点で、ソクラテスに関するアリストテレスの証言(e.g. ソクラテスが(a)つねに定義に関する問いを問うていたこと、そして(b)「いかに生きるべきか」という倫理的な問いを問い、それ以外のことにはそれほど注意を払わなかったこと。)とも符合している。そのため、これらの対話篇は、「歴史的なソクラテス(historical Socrates)」すなわち、ソクラテスそのひとの歴史的な記録であるというみなすこともできる。また、ここからこうした対話篇を「ソクラティック(socratic)」な対話篇と呼ぶ。

中期

パイドン』を皮切りに、プラトンの対話篇には、ソクラテスそのひとではなく、登場人物としてのソクラテスが現れるようになる。「ソクラテス」は数学に着想を得た哲学の方法論、美や善のイデアの重要性、不死性など、ソクラテスが語らなかったことを語りはじめる。この時期から、前期に扱われた倫理的な問いのみならず、さまざまな問いが問われはじめる。『パイドンPhaedo)』『クラテュロス(Cratylus)』『饗宴(Symposium)』『国家(Republic)』『パイドロスPhaedrus)』は、上述の特徴を持つために、中期の作品であると考えられている。

『国家』第1巻には、正義の定義を問う「歴史的なソクラテス(historical Socrates)」の姿が、そして以後はソクラテスが答えられなかった問いに答えうるような新しい概念や道具立てがプラトンの「新しいソクラテス(new Socrates)」によって示される。ここからソクラテスの問いを問う問い方を踏襲していることを示すために、プラトンソクラテスという人物像を彼の著作に用いたことが見てとれる。

後期

歴史的な証言によれば、『法律』はプラトンの晩年の作品のひとつであるとされている。この『法律』の文体的特徴と類似する対話篇、『ソピステスSophistes)』『政治家(Statesman)』『ティマイオスTimaeus)』『クリティアス(Critias)』『ピレボス(Philebus)』を合わせて後期の対話篇とされている。文体の類似性は19世紀にはすでに指摘されていた。これらの六つの対話篇には、異なる時期の対話篇を参照する記述があり、そのため、これらの対話篇が前期や中期とはことなる哲学的な議論の発展の段階を示しているかどうかは明らかではない。

区分について

以上の三つの区分がプラトンの理解に益するかどうかは議論されている。

クラウトの議論に少し触れよう。初期の対話篇は、簡潔で短いという特徴があるが、プラトンがその後、そうした簡潔で短く、哲学的な教育に有益な対話篇を著していないとは言えないかもしれない。つまり、初期の「ソクラティック」な対話篇が後期に書かれたのではないと決定されたわけではない。

プラトンは哲学教育のための著作と、自説の構築という二つの種類の対話篇を著したといえる。これらを同じ時期にそれぞれ著したのか、前期以後は、後者のみを著したのかが問われる。ここで、クラウトは前者の主張を支持する。プラトンは対話篇のなかで、哲学を行う方法論について、天下り式に結論を受け入れるのではなく、みずから考え獲得する重要性を強調していた(e.g. 『メーノ(Meno)』『テアテイトス』『ソピステス』)。ゆえに、形式上前期の対話篇と考えられているもの(e.g.『エウテュデモス』『カルミデス』『パルメニデス』)も、中期、あるいは後期に著されたものである可能性がないとは言えないとする。

ソクラテスについて

ソクラテスの弁明』による記述から、ソクラテスは道徳家であり、プラトンのように形而上学や認識論や宇宙論を研究することはなかったとされている。これはアリストテレスの記述にも一致する。そしてまた、プラトンの対話篇においても、ソクラテスは倫理に関する問い投げかける人物として描かれており、倫理に関する問い以外については、以下のように、形而上学的な議論はエレアからの旅人によって(cf.『ソピステス』『政治家』)、宇宙論的な議論はティマイオスによって、制度論的な議論はアテナイからの旅人によって(cf.『法律』)担われた。ただ、それでも「ソクラテス」が『法律』をのぞく全対話篇に登場するのは、彼の独自の哲学の方法、すなわち、問いを投げかけ、対話を行うという営みがソクラテスそのひとに帰されるとプラトンがみなしていたからこそであると考えられる。

12. なぜ対話篇なのか?

「なぜプラトンは対話篇を著したのか」という問いはうまくいく問いではない。そうではなく、「なぜプラトンはこの特定の対話篇を著したのか」という問いを立てて、個別に議論してゆくことが望ましい。この際「もし対話篇が対話篇でなければ失われるものは何か」という問いを問うことができる。失われるだろう代表的なものとしては、おのおのの社会的地位や環境のことなるひとびとが出会うさまから感じられる、会話の生き生きとしたありさまであり、そして、哲学的な営みとは、このように対話し、批判し、質問し、応答するのだという実例を示す教育的な意義である。

総じて言えることは、プラトンの対話篇をこのように読むべきであるというような機械的なルールは存在せず、おのおのの著作をおのおのに従って解釈することが必要だということである。

 注

*1:「著作のなかで、ソクラテスの議論が対話相手を説得することに成功していると記述しつつ、その議論の成功をプラトンが心から信じていない」という場合が確かにあるにせよ、すべての場合においてそうであるとすると、「プラトンの哲学」を描くことは不可能になる。こうしたプラトンの思考と著作とを分割する主張を否定する議論がこの記事では主として述べられている。

*2:話し手とプラトンそのひとの思考との距離をどう取るかについて、ここでは議論がつくされていない。もちろん議論がないわけではなく、本記事の文献表には「話し手をどう解釈するか」という問いに関する1996年から2002年までの10冊の著作があげられている。

エイミー・L. トマソン「芸術の存在論論争:わたしたちはなにをしているのか? 」

はじめに

本稿は、芸術の存在論(ontology of art)は諸芸術をひとつに包括するような単一の説明を目指すべきではなく、わたしたちの実践の分析にもとづいた存在論として組み立てられることが必要であると主張する、哲学者エイミー・トマソンの論考のまとめである。ごく簡単な各章のまとめを記載している。

書誌情報

 Thomasson, Amie L. "Debates about the ontology of art: what are we doing here?." Philosophy Compass 1.3 (2006): 245-255.

本論

概要

哲学者は、いくつかまたはすべての芸術作品を、物理的な物体、抽象的な構造、想像的な存在者、行動タイプやトークンなどとすることで、ほぼすべての利用可能な存在論的カテゴリーに位置づけている。これらの主張のうちどれを受け入れるか、いかにして決定できるだろうか? 「絵画」や「交響曲」のようなソータルの用語を用いる規則は、わたしたちがこれらの用語で言及しているものの存在論的なものの種類を確立している。ゆえに、上述の論点を判断する際には概念分析の形式を使用しなければならないと主張する。これにより、いくつかの興味深い結論が導き出される。それは、改訂的応答の疑わしさ、十分な答えを得るためにはカテゴリーのシステムを広げなければならないこと、そして芸術の存在論に関する基本的な問い —「芸術作品の存在論的地位はいかなるものか? 」 -は誤って立てられた問いであり、答えられない問いである、という結論である。

Philosophers have placed some or all works of art in nearly every available ontological category, with some considering them to be physical objects, others abstract structures, imaginary entities, action types or tokens, and so on. How can we decide which among these views to accept? I argue that the rules of use for sortal terms like “painting” and “symphony” establish what ontological sorts of thing we are referring to with those terms, so that we must use a form of conceptual analysis in adjudicating these debates. This has several interesting consequences, including that revisionary answers are suspect, that adequate answers may require broadening our systems of categories, and that certain questions about the ontology of art – including the basic question “What is the ontological status of the work of art?” – are ill-formed and unanswerable. (p.245)

イントロダクション

・芸術の存在論は芸術作品の展示、保存、収集、売買といった実践にも寄与する。なにより、芸術の存在論は、一般的な存在論の枠組みではうまく説明できないために、一般的な存在論を洗練させる事例として有益である。

1. 近年の観点 

・抽象的存在者(abstract entities)←芸術家がつくっているために抽象的存在者としての定義にそぐわない。∴ 抽象的人工物(abstract artifact)としての定義をあげる。・サルトルコリングウッド、キュリー、D. デイヴィスといったその他の論者について触れる。

2. 論争を評価する:わたしたちはなにをしているのか?

・芸術作品を扱う際の、あるいは批評する際の実践、文脈を分析することで、芸術作品の存在論を構築する必要性を述べる。

・絵画を例に、何が絵画と呼ばれるのか(それをつくる芸術家の存在の必要性)、絵画とはどのようなものか(ある温度以上で燃えたり展示したりできる)といった実践において、絵画ということばの用いられ方を分析する。

ゆえに、この種の芸術作品の存在論的地位を決定するためには、これらの作品について話したり、これらを扱ったりする実践を分析し、加えて、どのような存在論的な種が、その用語(が参照しているだろうもの)の適切な指示対象として確立されているのかを分析しなければならない。

As a result to determine the ontological status of works of art of these kinds, we must analyze the practices involved in talking about and dealing with works of these kinds and see what ontological kind(s) they establish as the proper referents for the terms (assuming the terms refer).(p.249)

3. 答えられない問い

・音楽や彫刻や絵画それぞれにおける存在論を議論することはできる。

・芸術作品一般はどのような存在者か? という問いはそもそも誤っている。とトマソンは主張する。

例えば、対象、もの、存在者といったことばは、それが言及する存在者のカテゴリーを明白にするために必要な、同一性の基準とは結びつかない。そして、より内容のある「贈り物」といったことばでさえ、カテゴリーを特定することはないだろう。わたしの贈り物は、シャツであったり、海辺への旅行であったり、髪を切ってあげることだったり、詩だったりする。
そして、「芸術」あるいは「芸術作品」という一般的なことばは、カテゴリー特定的ではないという意味で、「贈り物」に似ている(The generic term “art” or “work of art” seems to be like “gift” in this regard: it seems not to be category-specifying.)。

4. 改訂的応答

・わたしたちの芸術に対する概念の枠組みが間違っており、議論によって明らかになった事実にもとづいて改訂(revision)を加える必要がある、とする改訂的理論(revisionary theory)は誤りである。改訂主義者は、もし、わたしたちが概念の枠組みを改訂することを望むなら、そうすることでわたしたちが得る利益について説得的でなければならない。加えて、彼らが指摘するわたしたちの実践の不一致性(inconsistency)は、そこまで深刻なものではなく、もし、改訂しなければならないとしても、それは最小限にとどめなくてはならない。

5. 結論

・実践を分析することでさまざまな芸術の存在論の問題を解決する糸口が見つかる。芸術の存在論ではなく、さまざまな芸術の存在論を問うべきである。芸術作品や実践の存在論を組み立てる際は、伝統的なカテゴリー分けの外に出なければならない。

コメント

どんな論文?

芸術の存在論論争を概観。芸術というカテゴリーにはあまりに多様なカテゴリーが含まれているために、それらの多様なカテゴリーを統一的に説明できるような存在論は組み立てられないと述べる。また、各々の芸術作品の存在論を組み立てるために、芸術作品を扱う際の、そして批評する際の実践を分析する必要性を強調。

有用さ

さまざまな芸術をまとめ上げる芸術というカテゴリーを問うべきではないことを指摘し、さまざまな芸術のカテゴリーを問う必要性を述べた。実践を分析するという指針を提示している。

発展性

芸術の存在論の目的や方法論の検討を図ることができる。わたしたちの実践を記述するような存在論の必要性を述べている点で、興味深い。

関連文献 

Thomasson, Amie L. “Categories.” Stanford Encyclopedia of Philosophy. 2004b

http://plato.stanford.edu/entries/categories

——.“The Ontology of Art.” The Blackwell Guide to Aesthetics. Ed. Peter Kivy. Oxford: Blackwell, 2004a.

——.“The Ontology of Art and Knowledge in Aesthetics.” Journal of Aesthetics and Art Criticism 63.3 (2005): 221–30.

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"Amie Thomasson"

メモランダム

・第2、3節のソータル(sortal)に訴えた議論をきちんと理解できていない。絵画(painting)は、適用条件(application condition)と同一条件(identical condition)を含むソータル(sortal)である(p.248)。そして「存在論的地位に関する問いが、能力のある話者が関連するソータルと結びつけるような、適用と同一に関する基準を明らかにすることで答えられるとするなら、少なくともこれまで芸術の存在論に関して哲学者によって述べられた、いくつかの問いは単純に答えられないということになる(If questions about ontological status are to be answered by determining what basic criteria of application and identity competent speakers associate with the relevant sortal terms, then at least some of the questions that have exercised philosophers in addressing the ontology of art may be simply unanswerable.)」。ゆえに、絵画の何割を入れ替えても当の絵画のままであるか、といった議論には答えを与えることができない。という議論(p.249-250)。

・ソータルとは、「特定の状況で使うことができる」という適用条件と、「異なるAとBに対して同じソータルXである」と発言できる同一条件を持つ言葉である? 

・ソータルとは? 存在論的地位に答えを与えられる/られないがソータルの有無によって決まるのはなぜなのか?

ジョン・ディック「音楽の歴史および音楽の存在論における完全な対応」

はじめに

本ノートは、音楽のプラトン主義的な音楽作品の存在論において前提とされている「完全な対応の条件(PCC: Perfect Compliance Condition)」に対して歴史的批判を加えることで、それが成立しないことを示す、ジョン・ディックの「音楽の歴史および音楽の存在論における完全な対応」*1のまとめである*2

2017年9月1日追記:校正し、PDFにまとめました。ご利用ください。

https://drive.google.com/open?id=0BzXV4zzUSBO_SWRfOWhVbnFGc00

Abstract

西洋クラシック音楽の演奏は基本的に完全な対応(perfect complianceの理想音楽作品を演奏するためには、演奏者はその作品の楽譜にあるすべての音を、逸脱することなしに、演奏しようと意図しなければならない、を必然的に伴うのだとする一般的な前提がある。西洋音楽に焦点を当てた音楽の存在論の多くの説明は、結果として、この前提をそれらの説明の前提としている。しかしながら、近年の音楽学における研究によって、この理想は比較的最近に現れた現象であり、多くの規範的なクラシック音楽には適合しないことがあきらかになっている。わたしは、この研究結果を用いて、音楽哲学者たちが以上のような一般的な前提を棄却すべきであることを論じる。

1. 音楽の存在論における完全な対応の重要性

現代における音楽の存在論者たちは、彼らが音楽演奏について説明する際、レオ・トリエトラー(Leo Trietler, 1931-)が「西ヨーロッパの古典的な伝統('Western European classical tradition)」と呼び、一般に「クラシック音楽(classical music)」と呼ばれるようなものに焦点を当てている。このことは重要で、というのも、多くの音楽の存在論者は、クラシック音楽について広く受け入れられている前提を受け継いでいるからである。その前提とは、ある作品(work)の演奏(performance)における必要な条件とは、演奏者(performer)がその作品の楽譜(score)に完全に従おうとしなければならない、というものである。演奏者は自分の演奏が楽譜にあるすべての音符(note)を演奏し、かつその楽譜から逸脱(deviate)しないように意図(intent)しなければならないというものである。このように楽譜にこだわろうとすること-これを理想(ideal)と呼ぶ-は、ジャズにみられるような他の音楽ジャンルの演奏とは異なった、クラシック音楽の演奏の本質的な特徴であると考えられる。(p.31, par.1)

この理想はわたしたちがクラシック音楽に向き合うとき、顕著に現れる。二つの例がある。一つに、この理想はクラシック音楽教育において現れる。二つに、この理想はわたしたちが一般的にクラシック音楽を評価するしかたのなかに現れる。(p.31, par.2)

この理想へのコミットメントは、音楽のプラトニズム(musical Platonism)においてはっきりとなされている。音楽のプラトニズムは、なにによってある演奏はある特定の作品であるとみなすことができるのか? という問いに応えようとする。音楽のプラトニズムによれば、音楽における作品/演奏の区別は、少なくとも部分的にはプラトン主義的なタイプ/トークン(type/token)の区別であるとされる。このような観点においては、演奏は(少なくとも部分的に)抽象的な作品の具体的なトークン化(tokening)あるいは実例(instance)とされる

このように、音楽のプラトニズムは作品/演奏の関係への問いに動機づけられており、その説明を目指している。音楽のプラトニズムのうち、有名なものによれば、その関係は以下のようなものである。
演奏は、それが作品の楽譜に完全に従う意図(intent)を伴って演奏されたときに限って、ある特定の作品の演奏だとみなされる。音楽のプラトニストであるニコラス・ウォーターストーフ(Nicholas Wolterstof, 1932-)は「音楽作品Wを演奏することは、もしそれがWの正確な例であるためには、なにが必要なのかという演奏者の知識に基づいて音列の生起(sound-sequrnce-occurrence)を生み出そうとすることであり、かつWの例を生み出すことに少なくとも部分的に成功することである」と述べている。

ここで、ネルソン・グッドマン(Nelson Goodman, 1906-1998)の悪名高い、音楽演奏への完備な(complete)対応、すなわち、「楽譜への完備な対応のみが、作品の純粋な(genuine)実例(instance)であることの唯一の要求である」という過剰な要求を避ける動機を説明しておきたい。こうした要求に従えば、一音でも余分に演奏したり、間違えてしまえば、その演奏がある作品の演奏ではなくなってしまう。ウォルターストーフによる説明はこうした結論を避けることができる。彼にとって、完備な対応は実際の演奏というより、演奏者の意図に関係するものである。彼は、音楽作品は「ある種の規範(norm-kind)」であり、これが楽譜にこだわることを規定し、また、意図の役割は規範的な次元を生み出すとされている。(p.32, par.2)

レヴィンソン(Jerrold Levinson, 1948-)はグッドマン主義者による音楽作品の実例であるための条件を次のように定義する。:ある作品Wの実例は、「Wの構造である音/演奏に完全に一致する」ものである。彼はこの主張が強すぎると考え、適切な演奏は(演奏者によって)「Wを実例化することを意図したものであることが唯一必要」であり、またある程度成功することも必要である、と主張する。また、ジュリアン・ドッド(Julian Dodd)は、近年、その音楽のプラトン主義的説明において、作品を演奏が成功するためには、演奏者は演奏において「作曲家の指示(instruction)に従うこと」が必要であると述べている。スティーヴン・デイヴィス(Stephen Davies)は、上記そのものではないがかなり近い規範を支持している。「誰が書いたものであろうと、作品を特定化する指示のほとんどに演奏者が従おうとすること」が必要であるとする。
音楽のプラトン主義者は、クラシック音楽演奏の必要な条件として、「完全な対応条件(perfect compliance condition)」あるいは'PCC'にコミットメントしている。

PCC: ある演奏Pは、ある作品Wの楽譜に規定された音の構造にPを対応させることを演奏者が意図する場合にのみ、Wの演奏とみなすことができる

2. 歴史における完全な対応の理想

この節では、1800年以前と以後の完全な適合の理想について、音楽学的な証拠を検討する。ディックはゲーアの立場を改定し、音楽学における証拠から、1800年以前には、演奏は完全な対応の理想によっては特徴づけられないことを主張する。(p.35, par.2)

デイヴィッド・シューレンベルクは、バロック音楽家においては、即興演奏がひじょうに重要で、音楽は教育目的にのみ書き留められた。と考えている。
つまり、多くの音楽家には、楽譜に書かれた音のすべて、かつそれのみを演奏するという習慣がなかった。(p.35, par.1)

また、マン(Alfred Man)は、ヘンデルのオーケストラメンバーは「しばしば、彼ら自身の即興の権利を断固として保持しようとし」、そして、楽譜への対応に対するヘンデルの厳格な態度としばしば衝突した、と述べている。つまり、多くの音楽家には、楽譜に書かれた音のすべて、かつそれのみを演奏するという習慣がなかった。(p.35, par.1)

同時に、多くのその他のバロック音楽の作曲家には、完全な適合の理想があった。例えば、フランスの作曲家クープラン(François Couperin, 1668-1733)は「彼の装飾音符の記譜に果てしない労苦を注いだ」。そして18世紀までにわたしたちが用いるような装飾音符の標準的な記譜法を確立した。また、バッハJohann Sebastian Bach, 1685-1750)やヘンデル(Georg Friedrich Händel, 1685-1759)、18世紀初頭のフランスの作曲家、ルクレール(Jean-Marie Leclair, 1697-1764)や17世紀のイタリア音楽の作曲家のほとんどは同様に正確な記譜を行なった。先に述べた演奏家の習慣と同時に、こうした正確さが存在していた。つまり、1800年以前には、地域、時期、個人、そして演奏習慣にわたって実践の複数性があったのだ。「初期の複数性(early pluralism)」が存在したのだ。

初期の複数性は以上の両方の種類の事実を説明する。

例えば、バロック音楽の作曲家であるリュリ(Jran-Baptiste Lully)は委嘱されたオーケストラによってどの程度装飾音符を正確に書き表すかを使い分けていた。初期のフランスのバロック音楽研究で有名なアンソニー(JamesAnthony )は、「(彼の別のグループ)フランス王の24のヴィオロンを特徴づけるような、過剰な装飾音符や思いつきの即興に耽ることを、小さなヴィオロンというグループでは禁じていた」。音楽者のアルソープ(Peter Allsop)は、イタリアにおいて、装飾音符に関する演奏伝統の多様性を記述する際、初期の複数性を強調している。

作曲家は、みずから装飾音符を書くことを必ずしも嫌ってはいなかった。コロンビ(Colombi)の原稿には、装飾のない大枠とひじょうに華麗な旋律で構成された序曲を含んでいる。一方、装飾へのイタリア人の態度は、一般的に想定されているほど、決して明白ではなかった。チーマからG. M. ボノチーニまでの17世紀の作曲家の流れは、その習慣に対する軽蔑を表明していた。そして、有名な歌手であるシファーチェでさえ、表現伝達の手段として、装飾よりもむしろメッサ・ディ・ヴォーチェ(messa di voce)のようなものに頼っていた。

そして、音楽学者ブット(John Butt)は、「18世紀に至るまでの西洋音楽史のほとんどは単純化されている」ことを批判した。(p.36, par.2)

また、ときおり、通奏低音(badso continuo)やカデンツ(cadenza)は即興を含むがゆえにPCCに反するとされるが、それは間違いである。なぜなら、このどちらもすでに楽譜に指示が記載されているがゆえに、作曲者の指示から逸脱することはないからである。(p.37, par.1)

初期の複数性に関して、重要なことは、音楽家がある文脈において、演奏において楽譜を逸脱することができたということである。事実、作曲家でさえも、リュリのように、状況に応じて、異なる対応の理想を用いていたのだった。従って、1800年以前には、多くの演奏の伝統においては、完全な対応の理想は存在しなかったのであり、ゆえに、PCCは1800年以前のクラシック音楽の演奏の一般的な制約とはならない。(p.37, par.2)

さらに重要なことは、対応に対する複数性の態度は室内楽において、1800年以降も存続するということである。ケネス・ハミルトン(Kenneth Hamilton)とサーモン(Jim Samon)による研究によれば、今日におけるような完全な対応の理想は、とりわけピアノリサイタルの文化において、19世紀を通して存在しなかった。例えば、ハミルトンによれば、19世紀の有名なピアニストであるリストFranz Liszt, 1811-1886)は装飾音や即興部分を付け加えることで、意図的に楽譜を逸脱していた。「即興、指定されていない和音のアルペジオ、そしてテンポの柔軟性」は、「ほとんどのロマン主義的演奏習慣の重要な特徴であった」と彼は述べている。(p.37, par.3)

また、ハミルトンは、記譜を尊重していたために当時保守的であるとみなされていた、ピアニストであるルビンシュタイン(Anton Rubinstein, 1829-1894)に触れている。

ルビンシュタインはピアノの生徒に、まずは作曲者が書いた通りに作品を学ぶことを勧め、次に、もし作品に改善の余地があるように思われるのであれば、ピアニストはそれを変更することをためらってはならない、と述べていた。彼の方法論は彼の同時代人に比べはるかに厳格であった。彼らは最初の段階を完全に省いていたからである。

また、フェリス(David Ferris)は「ヴルトゥオーソのコンサートの聴衆は、誰が曲を作曲したのかについて気にかけなかった。というのも、彼らは演奏を聴きに来たのであって、特定の作品を聴きに来たわけではなかった。聴衆は音楽の形式や構造よりも、熟練や独創性や趣向の方にはるかに関心があったのである」と述べている。(p.38, par.1)

にもかかわらず、19世紀の室内楽において、他の音楽家たちは事実完全な対応の理想を持っていたのである。例えば、メンデルスゾーン(Felix Mendelssohn)は即興を嫌い、楽譜に忠実に対応して演奏することを好んだ。このことは「後期の複数性(late pluralism)」すなわち、1800年以後のクラシック音楽もまた、完全な対応の理想に対する演奏者や作曲者の肯定的、否定的なさまざまな態度によって特徴付けられる。ということを支持する。初期と後期の区別は純粋に歴史的な区別であり、概念的なものではないことに注意されたい。1800年以後も演奏者が作品の楽譜から自由に逸脱していたことは、そのような逸脱が作曲者の意図と両立すると考えていたからではなく、そもそも、多くの演奏者にとって、1800年以後も完全な対応の理想が存在しなかったということを意味しているのだ。(p.38, par.2)
このような、19世紀の多くの音楽家が楽譜から自由に逸脱していた、という主張は傍流のものでははない。まず、ハミルトンの著書に対する深刻な反論が存在しないこと、また、ショパンの場合にも同様の主張がなされている。(p.39, par.1)

こうした完全な対応の理想はいかにして生まれたのだろうか?ケネス・ハミルトン(Kenneth Hamilton)とアンディ・ハミルトン(Andy Hamilton)はともに、録音技術の発達によるものと考えている。また、ゲーア(Lydia Gehre)は作品概念において、クラシック音楽の演奏において楽譜からの逸脱の減少は、完全な対応という見方が支配的になったことの自然な流れだと考えている。(p.39, par.1)

ここまでの結論として、PCCは過去の多くのクラシック音楽の演奏を特徴づけるものではないということが言える。(p.40, par.1)

3. 音楽の存在論の意味

 これまで1800年以前そして以降も、完全な対応の理想がクラシック音楽の演奏の演奏を特徴づけるわけではないことを議論してきた。ここで改めて、「対応に関する議論compliance argument)」を定式化しよう。

対応に関する議論
(1) もし初期の、そして後期の複数性が正しいのであれば、演奏者が意図的に作品の楽譜から逸脱しているようなクラシック音楽の演奏の具体的な実例が存在する。
(2) しかし、もし、演奏者が意図的に作品の楽譜から逸脱しているようなクラシック音楽の演奏の具体的な実例が存在するのであれば、PCCは正しくない。
(3) 初期の、そして後期の複数性は正しい。
(4) ゆえに、PCCは偽である。

複数性の事例は、厳格な音楽のプラトン主義的説明に反しているだけではなく、スティーヴン・デイヴィスによる説明にも反している。というのも、彼は、ほとんどの指示に従う必要を述べているが、それが満たされない場合が存在するからである。

さて、以上の対応に関する議論は正当なものだが、成り立ちうるのだろうか?まず、レヴィンソンの主張に基づいて(2)を否定する立場を考えよう。わたしたちは音楽作品や演奏を分析する際、「規範的事例(paradigmatic cases)」のみを検討すればよいという立場である。上述したディックの事例は規範的な事例ではなく、ゆえに、(2)は偽であると主張する。(p.41, par.1)

そもそも何が正確に規範的な事例とみなされるべきかどうかは難しい問題をはらんでいる。しかし、そのことはともかく、リストやルビンシュタイン、ペデレウスキらは、クラシック音楽の伝統において規範的な事例である。(p.42, par.1)

より洗練された反論は、スティーヴン・デイヴィスや、トーム(Paul Thom)らによってなされている。彼らによれば、リストの演奏は、作品の演奏ではなく、「ヴァリエーション(variations)」あるいは「同型(homages)」と呼ばれるもので、これらは作品の完全な演奏である必要のないものであるとされる。ゆえに、ディックがこれらのヴァリエーションを用いて行う演奏に関する主張はみな誤っているのだとされる。(p.42, par.2)

バーテル(Christopher Bartel)は、ヴァリエーション(彼はそれを「再演(rendition)」と呼ぶ)に訴える議論の整合性に懸念を示している。ディックはここで、こうした立場を音楽学における事実と整合性のないものだ考える。まず、リストのように、PCCに拘らなかった演奏者が存在していた。さらに、次のタルスキンの主張を参照することができる。

タルスキンは、西洋音楽の歴史のすべてにわたって存在していたとされる二つの伝統を「口述の伝統(oral tradition)」と「記述の伝統(textual tradition)」としてまとめた。

[フランチェスコ・ダ・ミラノや中世のリチェルカーレ]、また、パガニーニやリストが演奏するときのように、[多くの音楽家は]口述の媒体のうちで仕事を行なっていた。音楽家の技術と保存されたさまざまな音楽の記述とのあいだにはある程度関係が存在した世紀であったものの、それはフランチェスコ・ダ・ミラノにとってすでに利用可能なものの二次的な関係であった。そして、それ[音楽と記述との関係]は、ヴィラールト(Adrian Willaert, 1490-1562)あるいはヴース(Jaqcues Buus, 1500-1565)がフランチェスコの時代に「完全なる技(ars perfecta)」がしたようには、あるいは、パガニーニの時代にベートーヴェン交響曲がしたようには、フランク・シナトラの時代にシェーンベルク弦楽四重奏がしたようには、彼の芸術を構成することはなかった。

重要な点は、口述的な、あるいは逐語的(literal)な演奏者は、ともに音楽のテキストと関係していたが、前者は、音楽のテキストを二次的なものと考え、後者は一時的なものと考えたということである。そして、この二つはクラシック音楽において、前者は20世紀には規範的ではなかったにせよ、同時に存在していたのである。(p.42, par.3)

二つめの反論は(1)に関するものである。

わたしたちの現代的な演奏実践は、基本的に完全な対応の理想によって特徴づけられる。そして、音楽の存在論における説明は、わたしたちの音楽作品に対する現代的な観念にのみ注目すればよい。そのため上述のような演奏を説明する必要はない。ゆえに、(1)は誤っている。ロマン主義における演奏ではなく、現代的な演奏のみが実在する(substantial)演奏なのである。(p.43, par.1)

過去ではなく現在のみに注目すればよいという考え方は、現在の著名な音楽哲学者のなかで共有されているとはいえない。レヴィンソンは1750年以降の音楽作品を分析することを述べているし、音楽のプラトン主義者であるキヴィ(Peter Kivy)も歴史的な演奏実践を分析することをひじょうに重視している。ゆえに、もしわたしたちがこのような(歴史的な)制限を受け入れている哲学者たちに従うならば、歴史的な例はさまざまな音楽のプラトン主義における問題を構成することになる。(p.43, par.2)

PCCは歴史的には信頼できないものであるが、少なくとも、論理的にはクラシック音楽の特定の存在論と一致するものであると主張するかもしれない。しかし、デイヴィッド・デイヴィス(David Davies)の「実用的制約(pragmatic constraint)」すなわち、わたしたちの芸術の哲学はどんなものであれ、「批評及び鑑賞の実践(critical and appreciative practice)」に一致しなければならない、という考えがある。ここで、もし、PCCを受け入れたなら次の二つの点で、西洋音楽史と矛盾をきたす。一つに、もしクラシック音楽の演奏に完全な対応の理想が不可欠であると主張するなら、クラシック音楽の演奏であるものとそうでないものとの区分がおかしなことになる。つまり、1900年以前、多くの室内楽クラシック音楽の演奏とはみなされえない一方、多くの管弦楽曲はみなされることになってしまう。

二つに、上述の19世紀におけるリストのような、多くの有名で典型的な音楽作品の演奏が実際には音楽作品の演奏ではないことになってしまう。この二つともに受け入れがたく、ゆえに、批評の実践とは一致しない。(p.43, par.3)

最後の反論は(3)に対するものである。これはエディディン(Aron Edidin)の主張に基づく。

エディディンは彼の論考「パフォーミング・コンポジション(Performing Composition)」のなかで、西洋音楽の伝統には、作曲者の重要性についてのロマン主義的な概念が本質的に存在することを議論している。「音楽的価値のある実現化の行為者として、演奏家は作曲家に対して従属的であった。そして、この従属はクラシック音楽におけるわたしたちの演奏実践に組み込まれている」と主張する。そして、ここから、(3)に対する反論を行う者は、音楽演奏は作曲者の作品を提示(exhibit)するためにつくられているのであり、ゆえに、演奏者は楽譜のうちにあるものの、すべてかつそれのみを演奏すべきである、という音楽作品に関するわたしたちの概念の一部をなしている。と主張する。この議論のもっともすぐれた主張はスティーヴン・デイヴィスにみられる。「わたしたちは、演奏者がある作品の演奏であると称しているものの、たまたま作品に関連しているだけのたんに快い戯れとしての演奏には関心がない」と彼は述べている。(p.44, par.1)

しかしこの主張は現行の議論における問いをぼやけさせてしまっている。ここで問われているのは、西洋の芸術音楽の演奏伝統が本質的にPCCによって特徴づけられるかどうかである。そしてディックは歴史的に特徴づけられえないことを示した。ゆえに、エディディンの擁護者は、なぜリストやショパンクラシック音楽を演奏しているとは言えないのかを説明しなければならない。(p.44, par.2)

スティーヴン・デイヴィスにならい、作品の同一性(identity)は作曲者の意図にあると考えることはできるだろうか。彼は「歴史的または文化的に隔たった作曲家同士が、別々に、同一(identical)の音構造を書き記していたとしても、作品を同定する(identifying)機能の一部は、それが創り出された音楽的-歴史的状況に依拠する」と主張している。しかし、複数性が示すのは、なにが演奏とみなされるのかは、この説明よりも、さらに存在論的に文脈に基づくものであるということである。というのも、演奏の基準に作曲者の意図が無関係であるような演奏の伝統が存在するからである。デイヴィスは上記の立場を洗練させ、次のように述べている。

特定の芸術的実践に由来しつつ、その特定の芸術的実践に具現化されている規範を描き出すことの中心的な役割は、特定の存在者を厳密な、あるいは欠陥のある「実例p」として分類することにある。このような作品の複数性(再現性)はそれが分かち持つ歴史の観点から説明することができる。音楽作品Wの実例pとなるためには、(少なくとも楽譜に書き表された作品の場合)楽譜に伴う歴史 H を持つことと、その共同体[それじしん]の規範によって認可された方法でその楽譜を解釈する演奏者の共同体(performative community)を持つだけでよい。

ゆえに、対応に関する議論は正しい。PCCは棄却されるべきである。(p.45, par.1)

4. 結論

 以上で見てきたように、PCCと音楽のプラトン主義とは密接に関係している。プラトン主義者を動機づけるのは、PCCが音楽作品とその演奏との類似性(similarity)を説明できるからである。だが、PCCは誤っている。ならば、わたしたちは音楽のプラトン主義をも棄却しなければならないのだろうか?(p.45, par.2)

音楽のプラトン主義において、PCCを棄却し、次のように主張することができる。
演奏者は作品に完全に対応しようとする意図する必要はなく、作品を演奏しようと意図するだけでよい。(p.45, par.3)

しかし、この主張はうまくいかないとディックは考える。音楽のプラトン主義の動機は、作品とその演奏とのあいだに「音の類似性(sonic similarity)」、すなわち、同じ作品の演奏がみな「似たように鳴る(sound alike)」場合を説明することにあった。グッドマンによる説明は厳格に音のタイプの同一性を説明できるが、楽譜からのわずかな逸脱によって成り立たなくなってしまう。ある程度楽譜の演奏に成功することをもって類似性を説明する方法も上記の議論で棄却された。(p.45, par.4)

事実、演奏における対応の説明を必要としない存在論がある。ローバウ(Guy Rohrbaugh)音楽作品を歴史的個体(historical individual)だと考えている。カプラン(Ben Caplan)、マテゾン(Carl Matheson)は音楽作品を永続する個体(perduring individual)だと説明する。そしてティルマン(Chris Tillman)は音楽作品を持続する個体(enduring individual)だとする。これらの論者は、なにによって、ある演奏はある作品の演奏となるのか、という問いに答える必要はある。(p.46, par.1)

最後にディックは一般的な事柄について述べる。
芸術に関するわたしたちの直観は誤りやすい。歴史的に不正確な演奏実践に関する直観に頼っている場合、わたしたちの記述は誤りやすい。ゆえに、わたしたちの芸術-存在論的説明は、わたしたちの芸術の伝統に基づく証拠と一致する必要があるのだ。(p.46, par.3)

まとめ

西洋クラシック音楽において、ある演奏がある特定の音楽作品の演奏としてみなされるためには、その音楽作品の楽譜に対して、実際の演奏が完全に対応していること、あるいは、演奏者が完全な対応を意図していることが必要だとする「完全な対応の条件(PCC: Perfect Compliance Condition)」は間違っている。西洋音楽史を紐解けば、1800年以前、そして以降も、演奏者は楽譜に忠実に演奏する伝統と同時に、楽譜を逸脱する伝統をも持っていた。これを複数性と呼ぶ。この複数性が存在していたという事実から、PCCは西洋クラシック音楽の演奏を特徴づけるわけではないことが論証される。ゆえに、PCCは棄却されるべきである。

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フランツ・リストコンプライアンス違反」の容疑』

*1:John Dyck. 2015. Perfect Compliance in Musical History and Musical Ontology.

*2:この論文は次回の現代の音楽美学研究会において購読する論文として岩切さんにご紹介いただいたものです。

"The Modern System of the Arts" Part I P. O. Kristeller

はじめに

本稿は、クリステラーの著名な論文「近代的諸芸術のシステム:美学史研究」Kristeller, Paul Oskar. "The modern system of the arts: A study in the history of aesthetics part I." Journal of the History of Ideas (1951): 496-527. の読書ノートである。

この論文は「五つの主要なアート(絵画、彫刻、建築、音楽、詩)(the five major arts)を構成要素とする〈アート〉(Art)」という概念は18世紀以前には存在していなかった」ことを歴史的に示す。
わたしたちがよく耳にし、当たり前の概念として受け入れ、用いるアートという概念が、どのような背景の下で現れたのかということをクリステラーは問う。

クリステラーのこの主張は発表後広く受け入れられることとなった。近年、その真偽に関して正確な検証が行われはじめている*1。それらの論文もついで読解してゆくつもりである。

なお、理解の一助として筆者の責任で小見出しを付けた。

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Ⅰ. イントロダクション

アート(Art)という語でしばしば参照されるのは、「五つの主要なアート」(five major arts)、すなわち、絵画、彫刻、建築、音楽、詩である。
これらは現在、所与のものとして見なされ、美学研究の規範として用いられている。けれども、その中立的な見かけとは裏腹に、18世紀に生まれた比較的新しい概念なのだ。

現代美学の基礎をなしており、わたしたちによく知られている、この五つの主要なアートというシステムが、比較的最近生まれたものであり、古典期、中世そしてルネサンス期の思想に遡れば多くの材料を有していたものの、18世紀以前にははっきりとした形をなしていなかったことを示すことがここでのわたしの目標である。

It is my purpose here to show that this system of the five major arts, which underlies all modern aesthetics and is so familiar to us all, is of comparatively resent origin and did not assume definite shape before the eighteenth century, although it has many ingredients which go back to classical, medieval and Renaissance thought.(p.498, par.2)

Ⅱ. カテゴリーの異同

テクネーとアルス

古典ギリシア語τέχνη(テクネー)、あるいはラテン語ars(アルス)は特別「ファインアート」(fine art)を意味していたのではなく、わたしたちが工芸(crafts)や科学(sciences)と呼ぶような人間の活動のすべてに対して用いられていた。
たとえばギリシアの著述家がアートと自然(nature)とを対置するとき、前者は人間の活動一般を意味していた。ヒポクラテスの有名な言葉「人生は短く、技芸は長い」(Ὁ βίος βραχὺς, ἡ δὲ τέχνη μακρὴ.)*2という言葉における「技芸(τέχνη)」は芸術ではなく、医術のことを指している。また、プラトンは合理的な方法とルールによって発展するものとしてアートを考え、アリストテレスは知(knowledge)に基づいた活動としてアートを捉えていた。さらにストア派は、道徳的に生きる技術としてアートを捉えていた。(p.498, par.1)

現代美学の中心的な概念である美(beauty)は古典期において、現代的な意味では現れていなかった。
ギリシア語καλόνカロン)、ラテン語pulchrum(プルケルム)は道徳的なよさ(the moral good)とはっきりとは区別されていなかった。プラトンは、『ファイドロス』において、「神は美しく(καλός, カロス)、知恵深く(σοφός, ソフォス)、そして道徳的にすぐれている(ἀγαθός, アガトス)。」*3と述べている。ここでκαλόςは純粋に美しいものを意味するのではなく、道徳的なよさと結びついた美しさを意味している。また、ストア派の言葉に「美しいもの(καλός, カロス)のみが道徳的によい(ἀγαθός, アガトス)のだ。」*4とあり、それを受けたキケロの言葉「真摯であることのみが道徳的によいことだ」*5がある。ゆえに「美しさは道徳的なよさ以外ではありえず、よさとは有用なものとしてのよさ以外ではありえなかった。*6のだ。

詩、音楽、視覚芸術の実相

 さて、次に、個々の芸術が古典期においてどのように評価され、グルーピングされていたのかに注目しよう。

まず、(poetry)は古典期、非常に敬意を払われていた。ミューズによって霊感を受ける詩人という考えは、ホメロスやヘシオドスにまで遡ることができる。また、ラテン語のvatesという言葉は、古典期における詩と宗教的な讃歌との関連の消息を伝えている。さらに、プラトン『ファイドロス』における「聖なる狂気(divine madeness)」としての詩という表現もある*7。ここでは独立した「ファインアート」という概念はなかった。(p.500, par.1)

アリストテレスは『詩学Poetics)』において体系だった詩の研究を行い、後の批評家たちに大きな影響を与えた。ソフィストたちが活躍をはじめた時代から、古典期を通して、詩と弁論との間には相互関係があった。また、後のアラビア圏の解釈者たちは、アリストテレスの『弁論術(Rhetoric)』と『詩学』という二つの著作が彼の『論理学(Organon)』ののちに置かれていることから、論理学、修辞学、詩学という関係を強調した。そのことはのちにルネサンス期の思想にも影響することになる。(p.501, par.1)

音楽(music)は古典期の思想の中で重要な位置を占めていた。しかし、ギリシア語のμουσική(ムーシケー)という言葉には注意が必要である。例えばギリシアにおける音楽教育について見てみよう。それはプラトンの『国家』からうかがい知ることができる。当時の音楽教育では、わたしたちが考える音楽のみならず、詩や舞踊もまた教えられていた*8。また、プラトンアリストテレスの著作において、音楽は詩や舞踊、さらに叙情詩(lyric)や劇詩(dramatic poetry)とは区別されていなかった*9。こうした伝統は器楽曲、そして、ピュタゴラス派による数学的な音楽理論の発展によって徐々に消えていった。(p.501, par.2)

古典期の哲学者たちは視覚芸術(visual arts)について個別の組織的な論考を著さなかった。加えて、自分たちの思考の体系のなかで際立った位置を与えることもなかった。(p.502, par.1-p.503)

また、プラトンアリストテレスは模倣の術(imitation art)という分類を述べている。しかし、この模倣 μίμησις(ミメーシス)の術のなかには詩や音楽のみならず、鏡の用い方や、マジックなどが含まれていた*10。やはり現在のアートの分類とは異なるものだった。(p.504, par.1)

カテゴリーの欠如

次に次節で扱うリベラル・アーツ(liberal arts)の由来についてすこし触れておこう。
その前身はギリシアにおける初等教育(τὰ ἐγκύκλα)(タ・エンキュクラ)である。しかし、その初期の歴史は未だに明らかにはなっていない。キケロ(Marcus Tullius Cicero, BC. 106-BC. 43)は、しばしばリベラル・アーツに言及し、それらのアーツの相互作用について語っているが、その正確なリストは述べられていない*11
「自由七科」(seven liberal arts)のはっきりとした定義の登場はカペッラ(Martianus Capella)を待たねばならなかった。彼は、文法、修辞学、弁証法、算術、幾何、天文学、そして音楽の七つをあげた。(p.505, par.1)
(p.506, par.2)

以上をまとめよう。

古典期の著述家、思想家たちは、すぐれた作品に出会い、その魅力に鋭敏であったものの、それらの美的質をそれら作品の知的、倫理的、宗教的、実際的機能や内容から切り離すことができなかったし、したがらなかった。また、作品の美的質を、ファイン・アートを一緒にまとめ上げるための基準として用いることも、それらの作品を包括的な哲学的解釈の主題とすることもできなかったし、したがらなかった。

'ancient writers and thinkers, though confronted with excellent works of art and quite susceptible to their charm, were neither able nor eager to detach the aesthetic quality of these works of art from their intellectual, moral, religious and practical functional or content, or to use as such an aesthetic quality as a standard for grouping the fine arts together or for making them the subject of a comprehensive philosophical interpretation.'(p.506, par.2)

Ⅲ. リベラル・アーツ 

中世初期、古典期後期から自由七科の枠組みは受け継がれていた。この自由七科は、人間の知識の包括的な分類であるだけではなく、修道院学校(monastic school)や本山学校(cathedral school)のカリキュラムとして12世紀に至るまで用いられた*12

またカロリング朝期から、三学Trivium):文法、修辞学、弁証法と、四科(Quadrivium):算術、幾何、天文学、音楽。という区別が強調されはじめた。

加えて、自由七科とは別に、アリストテレス書物とその順番に基づいた論理学、倫理学、自然学という三つの哲学区分が、ギリシア語アラビア語の翻訳作業を通じて知られるようになってきた。さらに、大学の興隆に伴い、哲学、医学、法学が生まれた。

他方、聖ヴィクトールのフーゴ(Hugh of Saint Victor, 1096-1141)によって、自由七科に対置される形ではじめて機械七科(seven mechanical arts)が形成された*13。この枠組みは後の重要な思想家、ボーヴェのヴァンサン(Vincent de Beauvais, 1184-1264)やアクィナス(Saint Thomas Aquinas, 1225-1274)に影響を与えた。

ファインアートは以前として一つにまとめあげられることもなく、また、科学、工芸、そのほかの共通する部分のないばらばらな種々の人間の活動から拾い出されることはなかった。(p.507, par.1)

学校や大学では詩と音楽は教えられていたが、視覚芸術に関しては、職人のギルドにおいて扱われるものだった。(p.508, par.1)

アートは古典期と同じく広い意味を持っており、人に教えられるもの[技術]みなされていた。中世に生まれた artista (アルティスタ)という言葉は、職人(craftsman)、もしくはリベラルアーツの学生のどちらをも意味していた。加えて、ダンテ(Dante Alighieri, 1265-1321)、アクィナスにとって、artesアルテス)は絵画、彫刻、音楽のみならず、靴作り、料理、ジャグリング、文法や算術をも意味していた。(p.508, par.2)

他方、美(beauty)の概念について、アクィナスや少数の中世哲学者たちは言及していたが、それらはいかなるアートとも結びついていなかった。第一に神の形而上学的な恩寵と、神の創造として美は考えられていた。結論として、中世においては、ファインアートという概念やシステムは存在していなかった。(p.509, par.1)

Ⅳ. ルネサンス

人文学と詩

一般的に流布している意見とは異なり、ルネサンス期にファインアートというシステムは形成されなかったし、包括的な美学理論もまた形作られなかった。(p.510, par.1)

初期のイタリアの人文主義において、以前の自由七科を引き継ぎつつ、新たに人文学Studia humanitas)が誕生した。これは、自由七科の中の三学の論理学を抜き出し、伝統的な文法学と修辞学に歴史学ギリシアの哲学と、道徳哲学(moral philosophy)を加えて、さらに詩をもっとも重要な部分とした*14

14世紀から15世紀における詩(poetry)とは、ラテン語の詩句を書き、古代の詩句を解釈する能力のことと理解されていた。そして、16世紀には、俗語(vernacular)詩や俗語の散文がラテン文学と同様の地位を分かちもつようになった。加えて、プラトン主義の復興により、「聖なる狂気」としての詩人というイメージが再び広がった。(p.510, par.2)

16世紀の中期、アリストテレスの『詩学』が『修辞学』とともに影響を増した。翻訳書や注釈書が著わされただけではなく、詩学に関する論考の増加によるものだった。そして、詩的模倣(poetic imagination)がアリストテレス学者のうちで注目され、学者の中には、模倣の形式としての詩、絵画、彫刻、そして音楽の類似性を指摘した者もいる。しかし、多くはこうした模倣芸術としての分類を作ろうとはしなかった。(p.511, par.1)

ルネサンスにおける諸芸術

ルネサンス期、音楽理論リベラルアーツの一つとしての地位を保ち続けていた。加えて、16世紀終わりには、カメラータ(camerata)のオペラ形成のプロジェクトが、音楽と詩の関係性に改めて光を当てた。(p.512, par.1)
ルネサンス期には、イタリアにおいて、チマブーエ(Cimabue, 1240-1302)やジョット(Giotto di Bondone, 1267-1337)が現れ、絵画やその他の視覚芸術の漸進的な発展が始まっており、それは16世紀に頂点に達した。また、14世紀から16世紀にかけて、著述家は視覚芸術に共感を示し、絵画が機械的技術(mechanical arts)ではなく、リベラルアーツの一員として見なされるべきだと繰り返し主張していた。(p.513, par.1)

こうした視覚芸術に関する文化的主張は、16世紀のイタリアに重要な発展をもたらした。そして、三つの視覚芸術として、絵画、彫刻、そして建築がはっきりと定義された。

さらに画家、建築家であるヴァザーリ(Giorgio Vasari, 1511-1574)によって、'Arti del Disegno' という言葉も誕生し、この名称は、1563年のー絵画芸術アカデミー(Accademia delle Arti del Disegno)の誕生に影響した。これは画家、彫刻家、建築家がそれまでの職人ギルドとの繋がりを断ち切るかたちで設立された。工場における教育ではなく、幾何学と解剖学を取り入れた科学的な講義を行なった。(p.514, par.1)

'Ut pictora poesis.' 「詩は絵のように」というホラティウス箴言は16世紀から18世紀にかけて注意深く研究された。また、ホラティウスの『詩について(Ars poetica)』は絵画論のための文学のモデル(literlly model)として用いられ、多くの詩の理論と概念が絵画に応用された。こうした詩と絵画の比較は、三つの視覚芸術が工芸(crafts)から解放される契機となり、後の五つのファインアートのシステムの基盤をつくった。(p.515, par.1)

優位性、アマチュア、比較

また、当時、優位性(precedence)に関する論争が盛んに行われた。これはさまざまな科学、芸術、そのほか法学や医学などのさまざまな人間活動のなかでいずれが比較して長所や優越性を持っているかを議論するものだった。(p.516, par.1)

当時のマチュア(amateur)の伝統に目を向けてみよう。当時、カスティリョーネ(Baldassare Castiglione, 1478-1529)による紳士淑女のマナーを記載した『宮廷人の書』(Il Cortegiano)は出版されるや否や大好評を博した。この書の中で、詩、音楽、そして絵画の鑑賞は紳士淑女に御誂え向きの趣味であるとされている。ただ、同時に、フェンシングや乗馬、古典の学習やコインやメダル集め、自然探究もまた趣味のリストに入れられている。
けれども、17世紀前半には絵画、音楽、詩によって生み出される喜びは、幾人かの著述家に、同様のものであると感じられていた。(p.517, par.1)

ルネサンスの文芸における詩と絵画、そして音楽のもっとも精密な比較はボヘミアイエズス会ポンタヌス(Jacobus Pontanus, 1542-1626)の著作に記されている*15
ポンタヌスは、視覚芸術における三つの芸術を喜びを与えてくるような模倣の形式とみなし、絵画をリベラルアーツであることを論じている。一方、音楽理論ではない作曲は詩と絵画と同列ではないとしている。(p.517, par.2)

美についてのルネサンスの思索は、いまだアートとは関係しておらず、明白に古代の枠組みに影響されている。(p.518, par.1)

イタリアにおいて、ファインアートのモダンシステムはベッティネッリ(Saverio Bettinelli, 1718-1808)のような著述家が当時のフランス、イギリス、そしてドイツの論説に追随するようになる以前は現れなかった。(p.518, par.2)

Ⅴ. 芸術と科学の分離 

フランスの達成

17世紀の間、ヨーロッパの文化的主導権はイタリアからフランスへと移った。その際、イタリアのルネサンスに特徴的な思考や傾向性は引き継がれた。(p.521, par.1)
ルイ14世の治世、フランスでは多くの文化的偉業が達成された。詩や文学、絵画ではプッサン(Nicolas Poussin, 1594-1665)、音楽ではリュリ(Jean-Baptiste de Lully, 1632-1687)が登場した。(p.521, par.2)
こうしたさまざまな芸術の興隆は、政府主導による学会や団体の発展によるものだった。
1635年には宰相リシュリー(Armand Jean du Plessis de Richelieu, 1585-1642)により、フランス語及びフランス詩の発展のためのアカデミー・フランセーズ(Académie Française)が設立された。その7年後王立絵画彫刻アカデミー(Académie Royale de Peinture et de Sculpture)が設立され、アルチザンギルドから芸術家たちを切り離すことが試みられた。
以後1660年から1680年の間に、さらに多くのアカデミーが政治家コルベール(Jean-Baptiste Colbert, 1619-1683)によって設立された。
こうしたコルベール設立のアカデミーは文化的な分野や各々の職業の分野の包括的なシステムを反映していたものの、特にはっきりとしたファインアートという概念を反映していたわけではなかった。(p.521, par.3)

この時代、自然科学の発展と自立とがなされた。1666年にはフランスでは科学アカデミー(Acqdémie des Sciences)が誕生し、1660年にはイギリスで王立協会(Royal Academy)が設立された。

新旧論争

こうしたさなか、「新旧論争」(Querelle des Anciens et Modernes)が勃発した。

その由来に触れておこう。
自分たちの新しい方法論や視座をひとびとにアピールするために、現代的な研究のメリットを古典的なそれと対置する方法は、ベーコン(Francis Bacon, 1561-1626)やデカルト(René Descartes, 1596-1650)に起因する*16。例えば、デカルトの『情念論』(1649)ではこう述べられている。

What the ancients have taught is so scanty and for the most part so lacking in credibility that I may not hope for any kind of approach toward truth except by rejecting all the paths which they have followed.

古典作家たちが教えてきたことは、あまりに不十分で、信頼性に欠けるために、彼らが辿っていったあらゆる道を拒否することのないような真理に向かうどんな行程も望まない。

直接新旧論争を引き起こしたのは、近代派ペロー(Charles Perrault, 1628-1703)による、ルイ14世の病気からの回復祝いとして書かれ、ルイ14世の治世における科学的、文芸的な達成を寿ぐために著された『ルイ大王の世紀』(1687)の中の次の詩句だった。

La docte Antiquité dans toute sa durée
A l'égal de nos jours ne fut point éclairée.

Le siècle de Louis le Grand ("The Century of Louis the Great," 1687)*17

Learned Antiquity, through all its extent,
Was never enlightened to equal our times.

ペローのこの文章に対して、古代派はさまざまな反駁を加え、以後長きに渡る論争が繰り広げられた。(p.525, par.1)

この論争は二つの重要な結果をもたらした。

一つに、近代派は、文芸における論争を、古代人と近代人との間での、人間活動のさまざまな分野の組織だった比較へと拡大した。そのことにより、これまでのシステムよりも新しく、より明確な、知識や文化の分類を発展させた。

二つに、古代人と近代人の発言がひとつひとつ検証されることで、近代人が古代人にはっきりと優越している数学的計算や、知識の蓄積に拠るすべての分野がある一方で、近代人と古代人のどちらが優れているのかはっきりしないような、個人の才能や批評家の趣味に依拠する分野があることが確認された。(p.525, par.2)

こうして、芸術と科学とを明白に区別する基礎がはじめて用意されたのだった。(p.525, par.7)

*1:Porter, James I. "Is Art Modern? Kristeller's ‘Modern System of the Arts’ Reconsidered." The British Journal of Aesthetics 49.1 (2009): 1-24. Shiner, Larry. "Continuity and Discontiuity in the Concept of Art." The British Journal of Aesthetics 49.2 (2009): 159-169. Kivy, Peter. "What Really Happened in the Eighteenth Century: The ‘Modern System’Re-examined (Again)." The British Journal of Aesthetics 52.1 (2012): 61-74. Young, James O. "The ancient and modern system of the arts." The British Journal of Aesthetics 55.1 (2015): 1-17. 筆者注

*2:Hippocrates, Aphorisms

*3:τὸ δὲ θεῖον καλόν, σοφόν, ἀγαθόν, καὶ πᾶνὅτι τοιοῦτον. Plato, Phaedrus, 246 d-e

*4:μόνον τὸ καλόν ἀγαθόν. Stoicorum Veterum Fragmenta III, p.9ff.

*5:quod honestum sit id solum bonum. Cicero, De finibus III, 26

*6:"Beauty" nothing but moral goodness, and in turn understood by "good" nothing but the useful. p.500, par.1

*7:Phaedrus 245 a.

*8:Republic II, 376 e ff.

*9:Poetics I, 1447 a 23ff. Laws II, 669 e f.

*10:Republic X, 596 d f. 1602 d.

*11:Pro Archia poeta 1, 2: "etenim omnes artes quae ad humanitatem pertinent habent quoddam commune vinculum." 「実際、人間に関係する技芸のすべては、互いに強い関連性を持つ」筆者注。

*12:P. Abelson, The Seven Liberal Arts ( thes. Columbia University, New York, 1906.)

*13:Hugonis de Sancto Victore Didascalion, bk. II, ch20ff. 簡単な説明を付す。lanificium:織物の学。毛織物や服飾、カーテンやシーツなどの作製に関する織物の学(cf. haec omnia studia ad lanificium pertinent.)。armatura:戦争の道具の学。造船、建築、鎧作りなど、戦争の道具に関する学(cf. arma aliquando quaelibet instrumenta dicuntur, sicut dicimus arma belli, arma navis, id est, instrumenta belli et navis. ceterum proprie arma sunt quibus tegimur, ut scutum, thorax, galea, vel quibus percutimus, ut gladius, bipennis, sarisa. tela autem sunt quibus iaculari possumus, ut hasta, sagitta.)。navigatio:商業の学。航海法だけではなく、商業や交渉に関する学(cf. Navigatio continet omnem in emendis, vendendis, mutandis, domesticis sive peregrinis mercibus negotiationem.)。agricultura:農業の学。葡萄園や果樹園、林業を含む学。venatio:狩りの学。狩猟のみならず、畜産と漁業、養蜜やチーズの発酵業など、かなり幅広い分野を含む学(cf. venatio igitur continet omnia pistorum, carnificum, coquorum, cauponum officia.)。medicina:医の学。手術や薬といった医学のみならず、運動や睡眠、食事や空気といった広い意味での健康に関する学。theatrica:劇の学。アートを鑑賞する劇場や、祈りのための教会のみならず、晩餐会や祭りの場といったひとびとが喜びや休息のために集まる場所に関する学(cf. Theatrica dicitur scientia ludorum a theatro ubi populus ad ludendum convenire solebat, non quia in theatro tantum ludus fieret, sed quia celebrior locus fuerat ceteris.)。筆者注。

*14:Kristeller, Paul Oskar. "Humanism and Scholaticism in the Italian Renaissance," Byzantion 17 (1944-45), 346-47, esp.364-65

*15:Jacobi Pontani de Societate Jesu Poeticarum Institutionum libri III. Catalog Record: Jacobi Pontani ... Poeticarum institutionum... | Hathi Trust Digital Library2017/08/16閲覧。サイト引用は筆者。

*16:Dictionary of the History of Ideas Ancients and Moderns in the Eighteenth Century Dictionary of the History of Ideas :: :: University of Virginia Library 2017/08/16閲覧。筆者注。

*17:筆者引用。