Lichtung

難波優輝|美学と批評|Twitter: @deinotaton|批評:lichtung.hateblo.jp

自作解説:"勢力のデッサン"

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10月23日、高津宮アートギャザリングにてグループ"梅"のひとりとして作品展示をしました。
直接、間接問わず、手伝ってくださったかた、みてくださったかた、さまざまなひとに感謝の気持ちを送りたいです。

"勢力のデッサン"2016.10.23.大阪、高津宮

以下、自作に思考を向けてみます。

本作品は、「潜んでいるものを呼び出す」そのことを表現意図としています。
神社の鬼門、それも奥まったところにある廃墟めいた場所に心惹かれ、人為と自然の関わり合いを可視化したいと考えました。

直接的にはパウル・クレーの言葉、「芸術の本質は、見えるものをそのまま再現するのではなく、 目に見えないものを見えるようにするものである 」を実践するものとして、"成長という運動"を可視化すること。
そしてまた、ハイデガーの『芸術作品の根源』で語られる、「世界の真理性」を空け開くものとしての芸術、となることを夢みながら制作しました。

こういうふうに自作を語ることはミュージシャンの小沢健二言うところの「みずぼらしいメモ帳の切れ端を読み上げること」には間違いありません。

芸術とは「結局は向こうから走ってきた無限大がフュッと忍びこんで決定的な魔法をかけて住みついてしまったどうしましょう、というようなものではないか」となるものかもしれません。

しかし語りも芸術のひとつで有り得ると信ずるなら、きっとこれも無意味ではないと、やはり信じます。
もしお読みいただいたかたがいるなら、ふたたび感謝の気持ちを捧げたいと思います。

寸評:『繻子の靴』 京都芸術劇場 春秋座

先日、12月10日、ポール・クローデルの『繻子の靴』を観劇しました。
全四部作で、計8時間にわたる壮大な舞台でした。
物語は若く美しい人妻ドニャ・プルエーズと、彼女に恋する若き騎士ドン・ロドリック、同じく彼女に恋する背教者ドン・カミーユ、さらに彼女の夫ドン・ペラージュの四つ巴で進行します。
恋、愛をめぐる葛藤、衝突のなかで、キリスト教的な救いについての問いが繰り返し現れます。
複数回、互いの信仰・信義を賭けた火花散るようなダイアローグが勃発し、その度、圧倒される思いでした。

演出面では、舞台と音楽に注意が向きました。
舞台は白い三段だけで、そこにシーンごとにプロジェクションマッピングが行われる形でした。幻想的な海が投影されたり、発話に同期してフランス語字幕が現れる演出など興味深かったです。音楽では、ときに狂言の節回しが入り、そして節々に、劇中の人物の心情を表すような生演奏の能管が響き、しかし劇との緊張感を保っているのが印象的でした。

キリスト教思想や、当時の世界観、演出についてを深く掘り下げ、研究したくなる刺激的な劇でした。
消化するのにまだ時間がかかりそうです…

 

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